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 奇跡的な出来事は奇跡だろうか。これはまあ、ちょっとややこしい表現であって、人間的な生物は人間かというような言い方をすると、もうちょっとややこしさを増すことができるかもしれない。一般的に「的なもの」は近似とみなされることが多いだろう。「ふりをする」に近い。

 「存在は存在者ではない」とちょっとわけのわからないことを言って有名になれた人も存在しているので、似ている表現を並列するというのは「なんかいい感じ」なことだ。もし暇なら「俺のリアルにはリアリティがないんだ」とか深刻そうに言うと、あなたもなんかいい感じになれるだろう。

 というわけで、バチカンには奇跡を認定する部署があり、年に数件から十数件の認定があるようだ。毎年毎月、世界中から奇跡の認定要請があるため、日々、その調査に赴いては「これは奇跡ですねミラクル」と奇跡的な出来事を奇跡として登録しているそうだ。

 ある出来事を「奇跡」として認定する機関があるという事実こそが奇跡と自己矛盾しそうなことを言いそうになるが、「バチカン認定の奇跡」には「インドの山奥で修業した僧侶」に似た凄まじい説得力があるのはたしかだ。それがもしヨガの達人だったら、もはや不可能はないだろう。

 とはいっても、そうして公式に認められる奇跡の大半は「病の治癒」であるらしい。奇跡の認定に当たっては「現在の科学・技術では説明が付かない」という項目があるようで、ひょんなことから起きることに定評がある「難病の平癒」という出来事は奇跡として認定しやすいみたいだ。

 たしかに聖書にも病気を治す(どころか、死者のよみがえる)奇跡が描かれている。詳しい理由は分からないけれど治ったというようなことや、わたしが病むって言ったからいまからわたしは病気記念日みたいなことが、当たり前のような事態として巷間を闊歩している。

 「馬鹿は風邪を引かない」という迷言があるけれど、そんなこともあるのかもしれない。馬鹿はストレスを感じないから免疫力が落ちないとか、馬鹿は風邪を引いていることに気付かないから病識のないうちに治っていたとかそんなところだろう。ナチュラルボーン馬鹿は偉大である。

 有名な奇跡というと、出エジプトのときの「モーセの海割り」というチートが思い出される。ラオウが渾身の力を込めて手刀を叩き込むとか、亀仙人がマッチョになってかめはめ波(どどん波でも可)を放つとかならわかるのだけれど、モーセはこれといった修行なしに海を割った。

 奇跡に説明は必要ない、海は割れた、そういうことだ。「オンバサラソワカ、アーメン」みたいなことは言ったかもしれないが(言うか)、それは海が割れたこととはあまり関係がないだろう。それはアラレちゃんが地球を割るときにイデオンソードは必要ないということと同じである。

 聖書には魔術師シモンというイリュージョニストが登場するが、彼は空中に浮かぶことができた。が、神に墜落死させられた。ここからわかるのは、人間は奇跡を起こさないほうが良いということだ。ほかの有名な奇跡というと「復活」も挙げられる。復活とは「死者の蘇生」のことである。

 死者の蘇生というとこれはもうとんでもないことに思われるが、実のところ死者が目覚めたという事態は枚挙にいとまがない。さすがに現代では少ないと思うけれど、歴史的にそういった逸話は多い。もちろん、厳密に言うと「仮死状態の人が起きた」ということだろう。

 お通夜のときに親族が集まってどんちゃん騒ぎをするのも、夜通しそんなことをしているうちに死者が目覚めることが実際にあったからだと(いう、まことしやかな話を)聞いたことがあるし、海外だと死者が目覚めたときのために棺桶を浅めに土葬していたとも聞いたことがある。

 橋爪大三郎さんによると「復活や輪廻は、死後の世界など存在するはずがないという、強烈な合理主義の表現」らしいが、本当にそうだろうか。少なくとも、ルネッサンス以降の理神論者たちがいうような後付けサクサクの合理性を真に受けるほど僕は素直ではない。

 もっとも僕も、基本的に宗教というのは合理的にできているとは思うのだけれど、それはやはり神秘主義的な発想と表裏一体となっていて、その超自然的な側面を排除して宗教を語ることってフェアなのかなとは疑問に思うところだ。それはちょっとしたズルさを孕んでいる。

 それにまあ、合理的だからといって真実だとも限らない。ロジックは内容にタッチしないからだ。処女懐胎において「処女(乙女)」と訳された単語はヘブライ語でもギリシャ語でも「若い女」という意味があったが、神学者たちはどちらの解釈をとるかというときに「処女」をとった。

 なぜなら、神は特別な存在なのだから、人間と同じように産まれはしないだろうと考えたからだ。子供が若い女から産まれるというのは当たり前のことだが、それは「当たり前である」がゆえに却下された。神は当たり前の存在ではないからである。これは実に理に適った不合理である。

 もし難点があるとしたら、それがファンタジーだということである。しかし、個々人の人生において、自分の重要な信念の一部がファンタジーだったということはそれほど問題だろうか。これはウィトゲンシュタインが書き残しているように、やはり簡単な問題ではないように思う。

 それによって、さらに生き続けられるような手段を手に入れたのなら、それにはやはり価値があったのだろう。テルトゥリアヌスは「不合理ゆえにわれ信ず」と言ったし、アンセルムスは「知らんがためにわれ信ず」と言った、それが最高に理性的な人たちの合理的な解答なのだった。

 さて、当たり前のように文意が行方不明になっているけれど、案外、こういったとりとめのなさにこそ、文章を読むということの楽しさがあったりするのではないかということを僕は提案したい。というか、本当はヒュームの奇跡論に関して書こうと思っていた。だが、これでおしまいである。
# by kourick | 2012-03-20 00:00 | 随想
 不味いもの(自分の口に合わないもの)には理由があるけれど、「美味しいものに理由はない」という発想は、誰もが抱いたことがあるだろう。主観に引き寄せられる感覚の場合、「美味しいから美味しいんだ」というトートロジーを否定することはできない。そう思うから、そうなのだ。

 納豆はネバネバしていて気持ち悪いじゃんと言われたところで、いや、ネバネバしていて気持ち悪いかもしれないけど美味いよと言われたらそれまでで(美味さという感覚を問うかぎりは)どうにもならない。それでも、美味しさを疑うことは可能だし、美味しさを説明することも可能だ。

 どうしてそんなことをする必要があるのかというのはもっともな意見かもしれないが、そうした考察が感覚の精度を細かにするというのももっともだろう。少なくとも、送り手は美味しさを考察し、追究している。僕はそうした考察と、そして、その過程で生まれる批評もけっこう好きだ。

 ハンバーガーは美味しい(と僕は思う)が、さまざまな理由からハンバーガーを決して食べない人もいる。そういう人は、ときにハンバーガーというものを否定する。それはそれでけっこうなことで、それを「美味いんだから食えばいいだろ」と一蹴することはやはり噛み合っていない。

 というか、僕の場合は「食べられるもので不味いものはない」というような程度の低い人間なので、美味しさをどうこうというのはちょっとわからなかったりする。あそこのラーメンは美味しいと言われるとたしかに美味いのだけれど、不味いラーメンを食べたことがなかったりもする。

 そして、今日は暖かいななどと思って街を歩いているときに「今日は日差しはあるけど、肌寒いね」などと言われると、とたんに寒気を感じるというようなこともあって、挙句に「今日はちょっと寒いな」なんて言い出しかねないので、人の認識というのはあてにならない。

 たしかに感覚は誤らないものかもしれないが、感覚をどのように認識するかという判断は、ちょっとしたきっかけで容易に覆る。価値観が多様化した昨今、人の好みを論じることは軽いタブーになっているように思うけれど、人の感覚を論じるようなことはもっとあって良いと僕は思う。

 というのも、僕がもっとそういうものを読みたいというだけの話なのだけれど、自分自身がそういうことをしようとは思わない。そんなことをすると硬軟巧みな煽りを喰らって、僕のガラスのハートが粉みじんに砕け散ってしまうからである。割ったほうも少し怪我をするかもしれない。

 だが、自分の好きなものに対して「いかに好きか」ということを「馬鹿になってみせる」ことによって表現するのはもう、ちょっといいかなとは思っている。言葉にならない好きさをそうした仕方で競争するのは、するほうもみるほうも疲れるんじゃなかろうか。

 しかし、正直、こんなに面白いものが溢れかえっているときに、なにかを客観的に批評するという行為にどれほどの積極的な意義があるのかと思わないこともない。いまどき、「面白い」ということは結果ではない、もはや前提である。楽しむから面白いというより、面白いから楽しむのだ。

 ただでさえ面白いはずなのに、それを楽しんじゃったらもうチョー楽しいじゃんというわけである。だから、「普通に面白い」という表現が生まれる。これは自分の想い入れはないけれど、まあ、良いんじゃないのという、感情的に一歩引いた表現だ。わかるわかる、みたいな感じ。

 いまの時代は人類史上、これまでもこれからも、たぶん、もっとも情報に溢れている時代なんじゃないかと僕は思っているけれど、いまや「面白いのは当たり前」である。そうじゃなきゃ、見向きもされない。むしろ、面白さの上にどれだけの付加価値があるかを試されている。

 なるほど、つまりこれは食べ物と同じ道を辿っている。美味いのは当たり前、面白いのは当たり前。江戸時代の人たちが白米を食って「そんなもんばかり食ってると脚気になるぞ」と言われても、「いや、けど美味いし」みたいなことを言っていたのと同じである(同じか?)。

 キリンの首は長いけれど(脚も長いから、もしかすると胴体が短いのかもしれないが)、あれは「樹の葉を食みたい」と思ったから伸びたわけではない。そういう目的論的な発想は、少なくとも現代の生物学ではしない。キリンは首が伸びちゃったから、樹の葉を食むようになったのだ。

 要するに、目的が先にあって変化が生じたとは(率直には)考えない。結果を事実として認め、それに説明を加えて納得するのである。批評においても、「美味しさ」「面白さ」は目的ではない。それらは説明によってそうなるのではない。成立している結果から、思考が始まる。

 「美味い!」「面白い!」と思った肯定的な感情をいかにして表現するかというときに、「面白すぎて、だから、こんなことしちゃいました!」と爆発的に表現することもあれば、「ここがこうなっていて、だから、面白いですよ」と分析的に表現することもある。どちらも方法だろう。

 さて、相変わらず、とりとめもないことを書いているけれど、書いた傍から「キリンの首は関係ないんじゃないかな」と思い出している。いつから関係ないことは書いてはいけないことになったのかわからないけれど、関係ないところに飛躍しているあたり、僕らしい楽しみ方ではある。
# by kourick | 2012-03-15 00:00 | 随想
 去年の五月に発売された カール・サパー 『子どもの頃の思い出は本物か』 は、専門的な書籍としては例外的に売れたそうだ。確認してはいないけれど、ちょっと前にラジオで言っていた(たしか 『居酒屋の世界史』 の下田淳さんだったと思う)。

 疑問形タイトルの地雷率(特に新書)はちょっと異常で、どうしてそんなことになるのか買うほうも考えないといけないと思うが、それはさておき、この書籍と三年前に発売された 『なぜあの人はあやまちを認めないのか』 はおすすめできる。ちなみに、これらはハードカバーだ。

 どちらも似た領域の話だけれど、『あやまち』 は人が自己を正当化するメカニズムとその顛末を具体的な事例を通して広範に紹介しているものであり、どちらか一冊ということだとこちらをすすめる。そのなかの第四章が 『思い出』 で考察される子供の頃の記憶に関するものだ。

 1980年代から90年代にかけて、アメリカでは子供の頃のトラウマや被虐待体験を思い出す人が続出した。もちろんそのなかには本当にそういう体験をした人もいたのだけれど、しかし、なかには実際にはそんな体験をしていない人もいた。

 わかるだろうか、その人たちは「体験していないことを思い出した」のだ。その人たちに共通していたのは回復記憶療法を受けていたことだった。なんらかの精神的な失調から心理療法士に相談し、その症状からみて「抑圧されているに違いない記憶」を思い出すよう促された。

 そしてふと、いまの自分の精神的苦痛を説明する物語を思い出した。それはあるときは父親からの性的虐待だったし、あるときは母親からの虐待だったりした。面白いのは、一度そうした記憶を思い出すと、次第にその詳細やそのときの自分の気持ちまで思い出し始めることだ。

 そして、一度思い出してしまうと、その記憶が作られたものだとわかったあとでも、それを受け容れられないことが多いようだ。ある種、なんともアメリカらしい騒動という気がしないでもないが、なににせよ、これは非常に面白い心理的なメカニズムが働いているというのがわかる。

 もちろん、これはあらゆる対話療法を否定するものではないが、ただ、その危うさを指摘するものではある。このことは犯罪捜査において自白のみの立件がどれだけ危ういかということもほのめかす。実際、『あやまち』 の第五章はその話題に割かれている。

 まあ、その謎解きは実際に本書にあたってほしいと思うけれど(キーワードは「認知的不協和」と「確証バイアス」と、意外かもしれないけれど「科学的態度」だ)、しかし、もっと可愛らしい例なら、誰だってひとつやふたつ、過去の思い出を修整していたというようなことはあるだろう。

 あまり可愛らしい例ではないけれど、僕も10年程前に「人の記憶は巧妙だ」と感じたことがある。大学に入学するちょっと前あたりから、僕はどういうわけか精神的に病んでいる人と関わることが多かった。スタンド使いがスタンド使いに惹かれるみたいな感じだろうか(いや、違う)。

 そのときにメンタルなことや薬のことはもちろん、「不幸は単独行動しない」といったことや「被害者の味方になることは加害者の敵になることではない」といった基本的なことを身をもって知るのだけれど、そのなかで、僕はある家族と長期にわたってかかわった。

 これはまあ、パンドラの箱を覗いたようなけっこう苛烈な事態だったのだけれど、状況が変化するにしたがって、言動や出来事、気持ちや価値観を各人が忘れていっていることに僕は気付いた。それは都合の良いようにというよりは、滑らかになるように忘れるか変化していった。

 それはたしかに悪いことではなかった。いろいろと自分や他人の余計な言動を覚えていたり、拘ったりしているから苦しんでいることが多かったし、そのことで周りを傷付けるということが多かったからだ。そして、僕が以前に言ったことをそのまま僕に喋るというようなこともあった。

 僕が「それは前に僕が言ったことだよね」と言うと「いや、前からこうだった」と言うし、僕が「前はこんなことを言っていたよね」と指摘すると「そんなこと言っていない」と怒られる始末だった。僕はそれ以上なにも言わなかったけれど、その人のなかに僕がいるようで、やはり責任を感じた。

 たまに発達障害の子供を抱えた人に「うちの子は治りますか」と訊かれることがあるのだけれど、この「治る」という発想はときに人を苦しめる。精神的な失調に関しても、「治る」というよりは「新しい環境に適応する」や「関係性が変化して状況が改善する」というのが近い。

 時間に身を任せるわけにもいかないけれど、「時間が解決する」ということの効力も感じるところだ。環境に適応させるには、人を環境に合わせることと環境を人に合わせることの両方が必要だし、関係性に関しては、なにをもって「改善した」とするのかの見定めが重要になる。

 どこか過去の一点に問題のなかった地点というのがあって、その地点に戻ることを祈っていても、それはやはりどこかで裏切られるし、前向きに変化していけないものだ。いま直に感じている困難を受け止めて、より良い状態に着地させ続けるというのが等身大でできることである。

 そして、そういうことが進むなかで、僕の出会ったその人たちは次第にいろいろなことを忘れていった。というか、もしこういう言い方が許されるのであるなら、僕が把握している彼らの理屈を組み合わせたときに、もっとも整合性のとれる関係性に収束していった。

 三年経ったあたりで落ち着いた状態になり、五年経ったあたりで僕はその人たちとの連絡を絶った。僕は精神科医でも臨床心理士でもなかったけれど、最終的に「僕のことを忘れて、この件は決着だろう」という妙な距離感があった。見届けたという虚脱感もあったかもしれない。

 もちろん、僕だけが彼らとの関係性において例外だとはいかないだろう。だから、僕も僕自身の記憶に関して、適切な処置を施して呑み込んでいると思うけれど、これが比較的冷静に、多面的に観察できる立場にいた僕の結末だ。人は本当に忘れたいことは忘れたことすら忘れる。

 こうした発想を敷衍したとき、「影響を与える」ということは、相手が影響を与えられたことを忘れるほど、その人にとっての当たり前になってしまうことなのだろうと僕は感じている。つまり、学んだということを忘れるほど、その人にとっての常識になってしまうことだ。

 変化というのは変化していないところがあるからこそ感じられる。思考にも変化の基盤となるような常識といったものがある。そこには人の価値観や思考の癖といったものが染み付いている。その変化の基盤を変化させること、これが影響を与えるということの極致だろう。

 だから、教育に関して言うと、僕は「記憶に残る教師」よりも「影響に残る教師」のほうが純粋だと思っている。子供たちに「できるようになった」という影響だけを残して、自身は忘れられるような存在、多かれ少なかれ教師とはそういうものだが、僕はどこかそういう透明さに憧れている。
# by kourick | 2012-02-25 20:00 | 随想
 ベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調が初演されたのは1808年のことである。冒頭の「ダダダダーン」というモチーフが有名で、標題音楽の代表作として通称「運命」と言われたりする。ベートーヴェン自身が「運命はかく扉を叩く」と言ったとされている。

 と、思っていたのだけれど、最近の研究によると、これはどうやらベートーヴェンの秘書だったアントン・シンドラーによる捏造の可能性が高いそうだ。シンドラーは自身の著作 『ベートーヴェンの生涯』(1840)の記述に合うように資料を廃棄・改竄したらしい。これはひどい。

 子供の頃、児童会館などで歴史や偉人伝を読み漁ったけれど、最近の偉人伝をみると僕の知っている「ベートーヴェン」とは異なる生涯が描かれているのかもしれない。研究者にとっては悲惨な出来事だっただろうが、今後のベートーヴェン研究とその解釈が楽しみではある。

 しかし、アントン・シンドラーの場合はかなり悪質だけれども、クラシックには正式な標題以外の「俗称」をもった曲は多い。ロマン派の代表人物ともされるショパンは自分の曲に題名を付けられることを嫌ったそうだけれど、彼の作品にしても、残念ながら、かなり付けられてしまっている。

 しかし、新曲を無題で発表していたという慣習には興味深いものがある。題名が曲のイメージを束縛することを嫌うというのは理由としてわかるけれど、他分野ではあまりない。逆に絵画におけるシュールレアリズムなどになると、絵のイメージを題名で転倒させるということもする。

 現代において、題名なしに発表されるものってあるだろうか。書籍の題名が字で表現されるのだから、絵画の題名が絵で、音楽の題名が音で表現されていても面白いと思うが、その場合、題名の意味、要するに題名の題名が求められそうではある。

 さて、話を戻して、「ダダダダーン」である。運命はドアを4回叩いた。この逸話が一世を風靡したことはたしかで、そのため、欧米ではドアをノックするときは4回叩くのが正式というマナーになったようだ。これは冗談めいた話だが、わりと信憑性が高いのではないかと思う。

 ちょっと調べてみたけれど、どうもそれ以外に「4回が正式」ということに理由を見付けられなかった。おそらく、ドアノックの回数などにマナーなどといったものは本来なく、運命にあやかって4回叩くのが流行り、そのまま定着したというような流れではないかと思われる。

 ただ、オフィシャルノックの4回はちょっと多いので、プライベートノックやビジネスノックは3回でいいよね。だけど、トイレノックは二人で4回ってことにしような。俺が2回ノックするから、お前も2回ノックしろよ? みたいなことだろう。トイレのドアは運命が行き来している。

 「幸せの黄色いリボン」で有名なトニー・オーランド&ドーンは「ノックは3回」と歌っているが、あれは「イエスなら3回、ノーなら2回」というサインとしてノックを使おうということであって、ドアノックとは関係ない。ただ、近頃のアメリカは、3回ノックが主流だそうだ。田舎的合理性だろう。

 こうしたドアの文化、マナーは幕末から明治期に日本に入ってきたものだけれど、どういうわけか日本では自然とドアノックは2回ということで落ち着いた。面接などにおけるビジネスマナーとして3回に矯正されることもあるようだが、別に2回で気にならない。

 こういうところで日本人は変に生真面目で、ノックの回数など文化コードの差として把握すればよいのに、「3回じゃないと失礼だ!」と作法に固執しがちだ。それ自体は悪いことではないが、礼儀よりも「右に倣う」ことを作法として強制しがちなのは気を付けたいところである。

 「ドアをトントンと叩いた」という表現は自然なものだけれど、この場合も、やはりノックは2回である。これはちょっとこじつけめいて聞こえるかもしれないが、重要な点だと思われる。日本語はもともと擬音語・擬態語の多い言語だが、同じ言葉を二度繰り返す畳語の多さは際立っている。

 二回繰り返すというのは表現として自然なことなのだ。これには文化的な要素もあるが、インド・ヨーロッパ語族に畳語表現が少ないという事情もある。英語なら「ジグザグ」「チクタク」みたいに前後の表現の異なるものがちょっとある。日本語だと「かちこち」みたいな感じか。

 そんななか、英語圏には「ノックノック・ジョーク」という駄洒落遊びがあるのだけれど、これは「knock, knock」と言って、ドアをノックする擬音語から始まる言葉遊びだ。こういう遊びを見ると「欧米でもノックはもともと2回なんじゃないの?」とも思う。運命に弄ばされたんじゃないのか。

 むしろ、日本で忌み嫌われてきたのは「一言呼び」や「一声鳴き」だ。一度に関する禁忌というのは各地の伝承に残されている。それは異界、妖怪からの誘いとみなされた。この一回の非日常性は、もちろん二回の日常性に依拠している。たしかに「トンッ」というノックは不気味である。
# by kourick | 2012-02-13 20:00 | 随想
 「バッテン」と言われたら、大方の人は記号「×」をイメージするのではないかと思う。この記号は「バツ」とも言い、「マル」の反対として理解される。これは「罰点」や「罰」の音であり、日本人としてはどこか嫌な印象をもつものだ。それは間違い、禁止、危険、不吉などを表示する。

 しかし、この記号を「バッテン」と言うようになったのは、大正時代からのことである。それは学校教育の現場から生まれた新しい言葉で、それが巷に広まったそうだ。1930年に発表された「阿也都古考」のなかで柳田國男さんが指摘している。テストの「罰点」ということだろう。

 それでは、バッテン以前はどう言われていたのかというと、「アヤツコ」ないしは「ヤァツコ」と言われていたそうである。あるいは「たすき」「羅紋(ラモン)」「筋違(スジカイ)」などとも言われていたそうだが、いずれも交差する斜めの線を表象していることがわかる。

 その交差した斜線というのが、次第に不吉な記号として発展していった。あるいは記号というよりも、呪力をもった文様、文字といったほうが的確だろうか。おそらく、意味抜きされた形象のみの記号といったものは近世以降の発想なのではないかと思う。

 なににせよ、どちらも「文」の付いた表現なのが面白いところだ。また、斜線の「交差」を「交叉」とも書けるのはなるほどと思うところである。封筒を閉じたときに「〆(シメ)」と封印をしたり、「凶」というのが不吉な意味をもっているのもアヤツコのゆえである。

 さて、このアヤツコだが、もともとどう使われていたのかというと、魔除けとして使われていたようだ。赤ちゃんが生まれると、その額に墨や紅で「×」を描いた。そうすることで赤ちゃんに悪霊が入り込むのを防ぎ、また、赤ちゃんの霊が身体から出ていかないようにしていたそうである。

 白川静さんによると、「厂」は額を意味し、その上に「文」を加えるのがアヤツコ、それに「生」を加えると「産」になるということで、「産まれる」という字からもアヤツコの風習が読み取れる。ちなみに、「産」は旧字体だと「產」である(表示されているかな?)。(参考

 この風習は、平安末期頃には確認できる風習で、わりと近頃までされていたことが伝えられている。いまでも京都あたりなどではやることがあるようだ(検索をかけたら見つかる)。そして、どうしてこの風習が廃れていったのかという理由が面白い。一説によるとこうである。

 この風習は出産のときにもされていたのだけれど、実は人が死んだときにもされていた。遺体の額や胸にアヤツコが描かれるのである。ただ、死ぬと描かれるわけだから、次第に人々はアヤツコを描かれることを忌み嫌うようになっていった。それで廃れていったという具合らしい。

 さて、「×」印が悪霊に対する呪禁というのはわかった。それは赤ちゃんが産まれたとき、赤ちゃんに悪霊が入り込まないように、そして、赤ちゃんの霊を赤ちゃんの身体に封じ込めるために描かれた。乳幼児死亡率の高かった時代である、やはりそれは必要な儀式だったのだろう。

 しかしじゃあ、どうして人が死んだときもアヤツコを描いていたのだろう。これの解釈はいまいちはっきりしないが、小野瀬順一さんによると、
遺体に×を付けるのは「あの世のものになった、再びこの世に戻ってくるな」という禁止、新生児の場合には「異界からこの世にやってきた、再び異界に戻るな」という禁止であり、×はこの世と異界との出入りを禁止する記号であって、したがって魔除けにもなった
 と解釈されている。なるほどと思うのだけれど、気になるのは「あの世」と「異界」である。こうした曖昧な外側性(「ここではないどこか」「そと」)は日本文化に散見されるものだが、それにしたって嬰児と死者の来し方行く末が「どっかあっちのほう」というのはいかがなものか。

 しかし、まあ、たぶんそんな感じで、わりと適当だったんだろうなと思うのもその通りだ。日本人はこういうところはあまり突き詰めて考えないようなところがある。宗教とか習俗とかに、いまいちロジカルではないのである。現世利益主義のたまものなのかもしれない。

 さて、ところで今回、どうしてこんなことを書いてきたかというと、この遺体にアヤツコを描いていたという日本人の風習は、どこか死体に石を抱かせていた縄文人の抱石葬を思わせるものがないだろうか。ここにある心性というのは、なにか通底しているものがあるのではないかなと思う。
# by kourick | 2012-02-11 00:00 | 随想