去年の五月に発売された カール・サパー 『子どもの頃の思い出は本物か』 は、専門的な書籍としては例外的に売れたそうだ。確認してはいないけれど、ちょっと前にラジオで言っていた(たしか 『居酒屋の世界史』 の下田淳さんだったと思う)。

 疑問形タイトルの地雷率(特に新書)はちょっと異常で、どうしてそんなことになるのか買うほうも考えないといけないと思うが、それはさておき、この書籍と三年前に発売された 『なぜあの人はあやまちを認めないのか』 はおすすめできる。ちなみに、これらはハードカバーだ。

 どちらも似た領域の話だけれど、『あやまち』 は人が自己を正当化するメカニズムとその顛末を具体的な事例を通して広範に紹介しているものであり、どちらか一冊ということだとこちらをすすめる。そのなかの第四章が 『思い出』 で考察される子供の頃の記憶に関するものだ。

 1980年代から90年代にかけて、アメリカでは子供の頃のトラウマや被虐待体験を思い出す人が続出した。もちろんそのなかには本当にそういう体験をした人もいたのだけれど、しかし、なかには実際にはそんな体験をしていない人もいた。

 わかるだろうか、その人たちは「体験していないことを思い出した」のだ。その人たちに共通していたのは回復記憶療法を受けていたことだった。なんらかの精神的な失調から心理療法士に相談し、その症状からみて「抑圧されているに違いない記憶」を思い出すよう促された。

 そしてふと、いまの自分の精神的苦痛を説明する物語を思い出した。それはあるときは父親からの性的虐待だったし、あるときは母親からの虐待だったりした。面白いのは、一度そうした記憶を思い出すと、次第にその詳細やそのときの自分の気持ちまで思い出し始めることだ。

 そして、一度思い出してしまうと、その記憶が作られたものだとわかったあとでも、それを受け容れられないことが多いようだ。ある種、なんともアメリカらしい騒動という気がしないでもないが、なににせよ、これは非常に面白い心理的なメカニズムが働いているというのがわかる。

 もちろん、これはあらゆる対話療法を否定するものではないが、ただ、その危うさを指摘するものではある。このことは犯罪捜査において自白のみの立件がどれだけ危ういかということもほのめかす。実際、『あやまち』 の第五章はその話題に割かれている。

 まあ、その謎解きは実際に本書にあたってほしいと思うけれど(キーワードは「認知的不協和」と「確証バイアス」と、意外かもしれないけれど「科学的態度」だ)、しかし、もっと可愛らしい例なら、誰だってひとつやふたつ、過去の思い出を修整していたというようなことはあるだろう。

 あまり可愛らしい例ではないけれど、僕も10年程前に「人の記憶は巧妙だ」と感じたことがある。大学に入学するちょっと前あたりから、僕はどういうわけか精神的に病んでいる人と関わることが多かった。スタンド使いがスタンド使いに惹かれるみたいな感じだろうか(いや、違う)。

 そのときにメンタルなことや薬のことはもちろん、「不幸は単独行動しない」といったことや「被害者の味方になることは加害者の敵になることではない」といった基本的なことを身をもって知るのだけれど、そのなかで、僕はある家族と長期にわたってかかわった。

 これはまあ、パンドラの箱を覗いたようなけっこう苛烈な事態だったのだけれど、状況が変化するにしたがって、言動や出来事、気持ちや価値観を各人が忘れていっていることに僕は気付いた。それは都合の良いようにというよりは、滑らかになるように忘れるか変化していった。

 それはたしかに悪いことではなかった。いろいろと自分や他人の余計な言動を覚えていたり、拘ったりしているから苦しんでいることが多かったし、そのことで周りを傷付けるということが多かったからだ。そして、僕が以前に言ったことをそのまま僕に喋るというようなこともあった。

 僕が「それは前に僕が言ったことだよね」と言うと「いや、前からこうだった」と言うし、僕が「前はこんなことを言っていたよね」と指摘すると「そんなこと言っていない」と怒られる始末だった。僕はそれ以上なにも言わなかったけれど、その人のなかに僕がいるようで、やはり責任を感じた。

 たまに発達障害の子供を抱えた人に「うちの子は治りますか」と訊かれることがあるのだけれど、この「治る」という発想はときに人を苦しめる。精神的な失調に関しても、「治る」というよりは「新しい環境に適応する」や「関係性が変化して状況が改善する」というのが近い。

 時間に身を任せるわけにもいかないけれど、「時間が解決する」ということの効力も感じるところだ。環境に適応させるには、人を環境に合わせることと環境を人に合わせることの両方が必要だし、関係性に関しては、なにをもって「改善した」とするのかの見定めが重要になる。

 どこか過去の一点に問題のなかった地点というのがあって、その地点に戻ることを祈っていても、それはやはりどこかで裏切られるし、前向きに変化していけないものだ。いま直に感じている困難を受け止めて、より良い状態に着地させ続けるというのが等身大でできることである。

 そして、そういうことが進むなかで、僕の出会ったその人たちは次第にいろいろなことを忘れていった。というか、もしこういう言い方が許されるのであるなら、僕が把握している彼らの理屈を組み合わせたときに、もっとも整合性のとれる関係性に収束していった。

 三年経ったあたりで落ち着いた状態になり、五年経ったあたりで僕はその人たちとの連絡を絶った。僕は精神科医でも臨床心理士でもなかったけれど、最終的に「僕のことを忘れて、この件は決着だろう」という妙な距離感があった。見届けたという虚脱感もあったかもしれない。

 もちろん、僕だけが彼らとの関係性において例外だとはいかないだろう。だから、僕も僕自身の記憶に関して、適切な処置を施して呑み込んでいると思うけれど、これが比較的冷静に、多面的に観察できる立場にいた僕の結末だ。人は本当に忘れたいことは忘れたことすら忘れる。

 こうした発想を敷衍したとき、「影響を与える」ということは、相手が影響を与えられたことを忘れるほど、その人にとっての当たり前になってしまうことなのだろうと僕は感じている。つまり、学んだということを忘れるほど、その人にとっての常識になってしまうことだ。

 変化というのは変化していないところがあるからこそ感じられる。思考にも変化の基盤となるような常識といったものがある。そこには人の価値観や思考の癖といったものが染み付いている。その変化の基盤を変化させること、これが影響を与えるということの極致だろう。

 だから、教育に関して言うと、僕は「記憶に残る教師」よりも「影響に残る教師」のほうが純粋だと思っている。子供たちに「できるようになった」という影響だけを残して、自身は忘れられるような存在、多かれ少なかれ教師とはそういうものだが、僕はどこかそういう透明さに憧れている。
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by kourick | 2012-02-25 20:00 | 随想
 ベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調が初演されたのは1808年のことである。冒頭の「ダダダダーン」というモチーフが有名で、標題音楽の代表作として通称「運命」と言われたりする。ベートーヴェン自身が「運命はかく扉を叩く」と言ったとされている。

 と、思っていたのだけれど、最近の研究によると、これはどうやらベートーヴェンの秘書だったアントン・シンドラーによる捏造の可能性が高いそうだ。シンドラーは自身の著作 『ベートーヴェンの生涯』(1840)の記述に合うように資料を廃棄・改竄したらしい。これはひどい。

 子供の頃、児童会館などで歴史や偉人伝を読み漁ったけれど、最近の偉人伝をみると僕の知っている「ベートーヴェン」とは異なる生涯が描かれているのかもしれない。研究者にとっては悲惨な出来事だっただろうが、今後のベートーヴェン研究とその解釈が楽しみではある。

 しかし、アントン・シンドラーの場合はかなり悪質だけれども、クラシックには正式な標題以外の「俗称」をもった曲は多い。ロマン派の代表人物ともされるショパンは自分の曲に題名を付けられることを嫌ったそうだけれど、彼の作品にしても、残念ながら、かなり付けられてしまっている。

 しかし、新曲を無題で発表していたという慣習には興味深いものがある。題名が曲のイメージを束縛することを嫌うというのは理由としてわかるけれど、他分野ではあまりない。逆に絵画におけるシュールレアリズムなどになると、絵のイメージを題名で転倒させるということもする。

 現代において、題名なしに発表されるものってあるだろうか。書籍の題名が字で表現されるのだから、絵画の題名が絵で、音楽の題名が音で表現されていても面白いと思うが、その場合、題名の意味、要するに題名の題名が求められそうではある。

 さて、話を戻して、「ダダダダーン」である。運命はドアを4回叩いた。この逸話が一世を風靡したことはたしかで、そのため、欧米ではドアをノックするときは4回叩くのが正式というマナーになったようだ。これは冗談めいた話だが、わりと信憑性が高いのではないかと思う。

 ちょっと調べてみたけれど、どうもそれ以外に「4回が正式」ということに理由を見付けられなかった。おそらく、ドアノックの回数などにマナーなどといったものは本来なく、運命にあやかって4回叩くのが流行り、そのまま定着したというような流れではないかと思われる。

 ただ、オフィシャルノックの4回はちょっと多いので、プライベートノックやビジネスノックは3回でいいよね。だけど、トイレノックは二人で4回ってことにしような。俺が2回ノックするから、お前も2回ノックしろよ? みたいなことだろう。トイレのドアは運命が行き来している。

 「幸せの黄色いリボン」で有名なトニー・オーランド&ドーンは「ノックは3回」と歌っているが、あれは「イエスなら3回、ノーなら2回」というサインとしてノックを使おうということであって、ドアノックとは関係ない。ただ、近頃のアメリカは、3回ノックが主流だそうだ。田舎的合理性だろう。

 こうしたドアの文化、マナーは幕末から明治期に日本に入ってきたものだけれど、どういうわけか日本では自然とドアノックは2回ということで落ち着いた。面接などにおけるビジネスマナーとして3回に矯正されることもあるようだが、別に2回で気にならない。

 こういうところで日本人は変に生真面目で、ノックの回数など文化コードの差として把握すればよいのに、「3回じゃないと失礼だ!」と作法に固執しがちだ。それ自体は悪いことではないが、礼儀よりも「右に倣う」ことを作法として強制しがちなのは気を付けたいところである。

 「ドアをトントンと叩いた」という表現は自然なものだけれど、この場合も、やはりノックは2回である。これはちょっとこじつけめいて聞こえるかもしれないが、重要な点だと思われる。日本語はもともと擬音語・擬態語の多い言語だが、同じ言葉を二度繰り返す畳語の多さは際立っている。

 二回繰り返すというのは表現として自然なことなのだ。これには文化的な要素もあるが、インド・ヨーロッパ語族に畳語表現が少ないという事情もある。英語なら「ジグザグ」「チクタク」みたいに前後の表現の異なるものがちょっとある。日本語だと「かちこち」みたいな感じか。

 そんななか、英語圏には「ノックノック・ジョーク」という駄洒落遊びがあるのだけれど、これは「knock, knock」と言って、ドアをノックする擬音語から始まる言葉遊びだ。こういう遊びを見ると「欧米でもノックはもともと2回なんじゃないの?」とも思う。運命に弄ばされたんじゃないのか。

 むしろ、日本で忌み嫌われてきたのは「一言呼び」や「一声鳴き」だ。一度に関する禁忌というのは各地の伝承に残されている。それは異界、妖怪からの誘いとみなされた。この一回の非日常性は、もちろん二回の日常性に依拠している。たしかに「トンッ」というノックは不気味である。
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by kourick | 2012-02-13 20:00 | 随想
 「バッテン」と言われたら、大方の人は記号「×」をイメージするのではないかと思う。この記号は「バツ」とも言い、「マル」の反対として理解される。これは「罰点」や「罰」の音であり、日本人としてはどこか嫌な印象をもつものだ。それは間違い、禁止、危険、不吉などを表示する。

 しかし、この記号を「バッテン」と言うようになったのは、大正時代からのことである。それは学校教育の現場から生まれた新しい言葉で、それが巷に広まったそうだ。1930年に発表された「阿也都古考」のなかで柳田國男さんが指摘している。テストの「罰点」ということだろう。

 それでは、バッテン以前はどう言われていたのかというと、「アヤツコ」ないしは「ヤァツコ」と言われていたそうである。あるいは「たすき」「羅紋(ラモン)」「筋違(スジカイ)」などとも言われていたそうだが、いずれも交差する斜めの線を表象していることがわかる。

 その交差した斜線というのが、次第に不吉な記号として発展していった。あるいは記号というよりも、呪力をもった文様、文字といったほうが的確だろうか。おそらく、意味抜きされた形象のみの記号といったものは近世以降の発想なのではないかと思う。

 なににせよ、どちらも「文」の付いた表現なのが面白いところだ。また、斜線の「交差」を「交叉」とも書けるのはなるほどと思うところである。封筒を閉じたときに「〆(シメ)」と封印をしたり、「凶」というのが不吉な意味をもっているのもアヤツコのゆえである。

 さて、このアヤツコだが、もともとどう使われていたのかというと、魔除けとして使われていたようだ。赤ちゃんが生まれると、その額に墨や紅で「×」を描いた。そうすることで赤ちゃんに悪霊が入り込むのを防ぎ、また、赤ちゃんの霊が身体から出ていかないようにしていたそうである。

 白川静さんによると、「厂」は額を意味し、その上に「文」を加えるのがアヤツコ、それに「生」を加えると「産」になるということで、「産まれる」という字からもアヤツコの風習が読み取れる。ちなみに、「産」は旧字体だと「產」である(表示されているかな?)。(参考

 この風習は、平安末期頃には確認できる風習で、わりと近頃までされていたことが伝えられている。いまでも京都あたりなどではやることがあるようだ(検索をかけたら見つかる)。そして、どうしてこの風習が廃れていったのかという理由が面白い。一説によるとこうである。

 この風習は出産のときにもされていたのだけれど、実は人が死んだときにもされていた。遺体の額や胸にアヤツコが描かれるのである。ただ、死ぬと描かれるわけだから、次第に人々はアヤツコを描かれることを忌み嫌うようになっていった。それで廃れていったという具合らしい。

 さて、「×」印が悪霊に対する呪禁というのはわかった。それは赤ちゃんが産まれたとき、赤ちゃんに悪霊が入り込まないように、そして、赤ちゃんの霊を赤ちゃんの身体に封じ込めるために描かれた。乳幼児死亡率の高かった時代である、やはりそれは必要な儀式だったのだろう。

 しかしじゃあ、どうして人が死んだときもアヤツコを描いていたのだろう。これの解釈はいまいちはっきりしないが、小野瀬順一さんによると、
遺体に×を付けるのは「あの世のものになった、再びこの世に戻ってくるな」という禁止、新生児の場合には「異界からこの世にやってきた、再び異界に戻るな」という禁止であり、×はこの世と異界との出入りを禁止する記号であって、したがって魔除けにもなった
 と解釈されている。なるほどと思うのだけれど、気になるのは「あの世」と「異界」である。こうした曖昧な外側性(「ここではないどこか」「そと」)は日本文化に散見されるものだが、それにしたって嬰児と死者の来し方行く末が「どっかあっちのほう」というのはいかがなものか。

 しかし、まあ、たぶんそんな感じで、わりと適当だったんだろうなと思うのもその通りだ。日本人はこういうところはあまり突き詰めて考えないようなところがある。宗教とか習俗とかに、いまいちロジカルではないのである。現世利益主義のたまものなのかもしれない。

 さて、ところで今回、どうしてこんなことを書いてきたかというと、この遺体にアヤツコを描いていたという日本人の風習は、どこか死体に石を抱かせていた縄文人の抱石葬を思わせるものがないだろうか。ここにある心性というのは、なにか通底しているものがあるのではないかなと思う。
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by kourick | 2012-02-11 00:00 | 随想
 縄文人の埋葬方法は、屈葬&抱石葬が特徴的である。屈葬というのは手足を折り曲げて(縄で縛って)土葬する方法、抱石葬というのは遺体の頭や胸や腹や脚に石を乗せて土葬する方法のことだ。これらが別個の埋葬方法だったのかどうかというのは曖昧なところ。

 壊した土偶を一緒に埋葬したり、身体に朱色の染料を振りかけたりする風習もあったみたいである。まあ、今回はそれはさておき、なににせよ、弥生時代になって伸展葬が広がるまでは屈葬&抱石葬がメインだった。伸展葬というのは「棺に納めて」埋葬することである。

 どうして屈葬をしたのかという解釈は複数あって決定的な理由があるのかも定かではないけれど、「乳児と似たような状態を再現することで再生を願った」というのは大きな理由と考えられている。何の再生を願ったのかわからないが、霊的な何かを認めてはいたのだろう。

 とはいえ、それが自分たちの生きている世界(この世)への再生を願っていたのか、死者たちの生きている世界(あの世)への再生を願っていたのかということは、大きな違いがある。日本人は死後の世界を素直に認めがちなので後者の可能性も考えやすい。

 そもそも、素直に「その再生を願う」と表現できるほどに「生」と「死」を断絶したものとみなしていたかどうかもわからない。というのも、抱石葬があるからである。その名の通り、抱石葬は遺体に石を抱かせて埋葬するものだが、これはやはり、死体が動き出すのを恐れていたのだろう。

 ウィキペディアには「近親者が送った手紙の代わり」などといった間の抜けた解釈も紹介されているけれど、文字ももたない縄文人が手紙の代わりに大きな石を遺体に乗せるだろうか。それこそ花のほうが良いのではないかと思うが、こういう解釈をしたい人というのはいるのである。

 死体は怖い。自分たちと同類であるはずなのに、もはや動かないし、腐ると臭いし気持ち悪いし、傍に居たり触れると病気になる。古代の人たちがどの段階で肉体を埋めようと決断したのか定かではないけれど、その怖さは言い知れぬものがあったんじゃないかと想像する。

 「死」と言われるような現象を哀しむ気持ちもあったのだろうけれど、同時に「死体」を恐れる気持ちというのもやはりあっただろう。そう思うと、屈葬に込められていると解釈される「再生の願い」も、同時に「この死体が動き出したらどうしよう」という不安と紙一重だったと思う。

 だからこそ、手足を縄で縛ったのだろう。怖いからである。死者を悼み死者の世界で再生することを願うのだけれど、間違って生者の世界に戻ってきたらいけませんよ、怖いからね、という感じだろうか。このように解釈するのなら、再生の願いと死体の恐怖はなんら矛盾しないだろう。

 「死体を埋める」という行為がどの瞬間に思い付かれたのかはわからないけれど、これは単一の感情に落とし込める行為とは思えない。もう動かないという戸惑いもあっただろうし、気持ち悪いという不快感もあったに違いない。ロマンティックな解釈はいささかのぬるさがある。

 だから、正直なところ、僕は「再生を願った」というのもどうもちょっと胡散臭いものがあるなと思ってしまう。ただ、いろいろな伝承を見ると、これはあながち、そう簡単には否定できない理解の仕方であって、まあ、そういうところもあったのかなと思っている。

 仲間の死を哀しむような行動は野生動物でもする。むしろ、その「仲間の死体を畏れる」という行為こそ人間的な感情なのではないかとも思う。もっと時代が下ると、古代日本には「殯(もがり)」という風習があったことが知られている。ウィキペディアから引いておこう。殯(もがり)とは、
死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。
 ウィキペディアらしいわけのわからない説明になっているが、このわけのわからなさは「死」というものに対峙しようとした人間の複雑な気持ちを見事に表しているようにも思う。「死んだ人間をきちんと死なせる」というような行為には、どのような感情を与えるべきだろう。

 この殯の期間に遺体を安置していた建物のことを「殯宮(もがりのみや)」という。イザナギが黄泉の国のイザナミに逢いに行ってその腐った姿を見てビビって逃げだすというヘタレエピソードが起こるのが、この殯宮である。ところでこのとき、イザナミは死んでいたのだろうか。

 常識的に考えたら死んでいたはずだ。死んだから黄泉の国にいるのだろうし、死んでいるから肉体は腐っているのである。しかし、死んでいたら話すことだってできないはずだ。普通はそう考える。神話にマジレスするのもなんだが、ここには生と死の中間領域が存在しているのである。

 そうした境界領域において儀式というものが必要になる。これは象徴的な意味だが、現代においても、「生きている」とも「死んでいる」とも言いうるような領域はある。現代は生者の条件が多少は明らかなため安置は短いけれど、太古の人が「死体を死なせる」のは大変だっただろう。
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by kourick | 2012-02-08 20:00 | 随想
 道徳の授業といったら「ネアンデルタール人」じゃないだろうか。もしかしたら国語の授業だったかもしれないが、「ネアンデルタール人は仲間を埋葬するときに花をたむけていた」という内容のことを小学生の頃に習った。死者を悼む気持ちというのは原人ももっていたのである。

 「素敵やん」と子供の僕も思ったけれど、しかしこれ、いまから思うとどうも怪しいものである。もちろん、だからといってネアンデルタール人は野蛮な原始人だったと極端なことを言いたいわけではないが、どこか作為的なものを感じるのは否めない。これは事実というより物語だろう。

 もっとも、ネアンデルタール人は身体装飾をしたり装飾品を使っていたりしたという報告もされており(日経サイエンス・2010年09月号)、花に気持ちを託して死者にたむけるというようなシンボリックな行動も、もしかしたら、されていたのかもしれない。僕の理解はその程度である。

 それにまあ、ゾウですら仲間の死を悼むと解釈されうるような行動をとると言われているのだから(ナショジオでやっていた)、ネアンデルタール人だって、そう思われうるような行動をとっていたとしても不思議ではない。ただ、本当にそうなのか?と思うだけである。

 こういうのは、そもそも「ネアンデルタール人は現生人類と違って知的に劣っていた」と主張したい人がいたり、反対に「ネアンデルタール人は現生人類同様に知的な能力を持っており、むしろ情緒的には現生人類よりも優れていた」とすら主張したい人がいたりするため意外と危ない。

 その中間の人も大勢いるのだろうが、声の大きい人たちのほうが注目を浴びやすいというのは世の常というもの。この「ネアンデルタール人も仲間の死を悼んだ」という説は、1960年、アメリカの文化人類学者ラルフ・ソレッキの洞窟調査から始まっている。

 調査の結果、あるネアンデルタール人の男性の遺体を覆っていた土のなかから多量の花粉の化石が発見され、1968年に公表された。これはどうやら自然に生長したものではないようで、1971年、これをもってソレッキは「これは仲間がたむけた。素敵やん」と著書に書いた。

 どうして化石になるほど大量の花を遺体に乗せる必要があったのかとマジレスしたいが、まあ、墓穴を花一杯にしたい中毒の人だったのかもしれない。なかなか素敵なライフワークである。さて、時代はグッと下るけれど、縄文人の埋葬もちょっと引き合いに出しておこう。

 僕にとってはそちらのほうが興味深い。(続く)
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by kourick | 2012-02-07 00:00 | 随想
 その昔、「徳は教えられうるか」という質問をしたのはプラトンが描写するところのメノンである。この質問にソクラテスは「そもそも徳とは何か」という反問で応えた。これは本質規定の試み、定義の試みとして有名なので知っている人も多いかと思う。

 このソクラテスの反問にメノンはいろいろと定義してみせるが、あれもだめこれもだめとソクラテスに反駁されてしまう。「定義」というメタな試みには言語の階層性か無定義語を必要とするわけだけれど、もちろん当時はそんな道具は用意されていない。

 しかし、用意されていたところで、メノンの疑問は解消できただろうか。メノンの「じゃあ、人は自分の知らないものをどうして探究できるのか」という質問はソクラテスの解答よりも面白い。「なにか」を探究するとき、その「なにか」がわかっていないと探究できないじゃないかということだ。

 なににせよ、メノンのこの質問にソクラテスは「探究するということは、魂が生前に得た知識(イデア)を想起(アナムネーシス)することだぜ」と答えた。これが後に、かの有名なイデア論(&想起説)に繋がる。まあ、それはさておき、徳は教えられうるのだろうか。

 ソクラテスは「徳が知識であるなら教えられうる」と言う。そして、教えられうるなら教えている人がいるはずだ。けれど、徳を(しっかりと)教えられている人なんていない。だから、まずもって徳は知識じゃない。けど、有徳の人というのはいるから、彼らは「正しい思惑」をもっている。

 この正しい思惑をもっている人というのは、人を正しい方向に導けるわけだけれど、その「正しい思惑」というのは神の恵みによって人間に備わるんだよごにょごにょと、最終的にソクラテスも誤魔化している。いや、ソクラテスだからこそ誤魔化しているのかもしれない。

 この結論自体は、そう悪いものでもないんじゃないかと僕は思うけれど、「神の恵み」とか言い出すところはまあ、正直なんだかなという気持ちもないではない。むしろ「正しい思惑」のその正しさをいかにして規定するかという方向性のほうが建設的だったかもしれない。

 しかしそんなことを言い出すとまた「正しさ」の定義に逆戻りするので、イデアの方向に突き抜けるのがプラトンの描写するところのソクラテスとしては正解だっただろう。ちなみに、ギリシア的な「徳(アレテー)」というのは、現代の「道徳(モラル)」とはちょっと意味合いが異なる。

 しかしそんなことはお構いなしに道徳の話をすると、「道徳は教えられるのか」という論争は基本的にはソクラテスとメノンの感覚の違いからそう変わってはいないかもしれない。過去には教育勅語に「修身」があったし、現在では「道徳」の授業はある。

 けれど、その「道徳」の時間でなにか道徳的なことが教えられるのかというと、どうだろう。知識としてなにかを伝授している気配はない。現場の先生たちも正直、これには困っているだろう。そもそも、いま求められる道徳についての社会的な議論自体が足りていない。

 大抵、NHKの番組を見せたりしてお茶を濁しているのではないか。倫理的な問題を軸に議論でもできるなら良いのだけれど、日本人は本当に議論というものが苦手だ。それはもう大人にとっても致命的で、日本の社会・文化に子供に提供できるほどの議論のリソースはないだろう。

 というか、日常の学校生活の全体がすでに道徳教育になっているというのもある。学級経営の半分はそこにある。海外では道徳というのは宗教が担っていたりするが、日本では空気がそれを担っている。そして、空気の読み方(良心の使い方)は日常の指導のなかにあるのだ。

 だから、とりわけ「道徳」の時間にすることがないということはあるかもしれない。むしろ、教師が児童・生徒になんらかの価値判断を指導すること自体が、保護者や管理職には嫌われがちだ。道徳に関しては、海外ではそれで成功しているからといって、日本で通用する保証はない。
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by kourick | 2012-02-06 00:00 | 考察
 北国の冬、「明日は10度みたいだよ」と言われたら、それはもちろん「マイナス10度」のことである。夏に「プラス10度」とは言わないのだから、冬に「マイナス10度」と言わないのだって変なことじゃないわけだけれど、まあ、普通は「マイナス」のほうを強調するようだ。

 しかし、改めて考えてみると、気温がマイナスになっているというは奇妙なことである。だからかどうだか、ラジオニュースなどでは「氷点下」という言葉を使っていた(気象予報だったからかな)。これは「零下」という表現と同じように「プラスマイナス0度より下」を意味している。

 この意味合いにおける「氷点」というのは、「水が凍って氷になり始める温度」ということだろう。なにを当たり前のことを言っているのだろうと思われるかもしれないが、なにを言いたいのかというと、これは「水基準」だということである。常圧における水の相転移点が基準になっている。

 しかし、もっと一般的にというか、正確に言うのなら、「freezing point」は「凍点」と訳さなければいけなかっただろう。「freezing point」というのは、たしかに水に関しては「氷になり始める温度(氷点)」だけれど、逐語的にみると液体が「凍り始める温度(凍点)」のことである。

 液体の鉄が個体の鉄になる温度もまた「freezing point」なのだから、これも「氷点」だとするとちょっと違和感を覚えてしまう。そういう理由からなのかはわからないけれど、分野によっては「凝固点(solidifying point)」という言葉のほうを使っていることが多いように思う。

 「氷点」というのは、ちょっと日本語的に意味を読み込みすぎなんである。あるいは、本来的には液体はなんであれ「こおる」と「こおり」になるものだったのだろうか。たまたま身のまわりに「水」が溢れていて、その凍ったものを代表的に「氷」と言うようになったという事情かもしれない。

 なににせよ、「氷点下」というのは地球ならではの日本語である(なんだそりゃ)。というわけで、明日、北海道は陸別町の「しばれフェスティバル」が開催される。「日本一寒い町」のお祭りだ。やはり「日本一」はいい、なにはともあれ日本一というのは良いことである。応援したい。

 しばれフェスティバル
 http://www10.ocn.ne.jp/~shibare/

 「人間耐寒テスト」という死なない程度に大自然のパワーを満喫しようという頭のおかしなイベントがあるあたり、これはなかなか仕上がっている。僕は大いに肯定したい。やはり祭りはそうでなければならない、参加者の皆さんには身をもって極寒をフェスティバルしてほしいと思う。

 僕も何回か行ったけれど、あのあたりはいまや旭川よりも底冷えする地域で、陸別町では「オーロラが見える」というのは嘘のような本当の話である。まあ、寒いからオーロラが見えるというわけではないが、「たまにオーロラが見える」というのもまた、やはり良いことだろう。
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by kourick | 2012-02-04 00:00 | 随想
 新聞を眺めていると、ときおり格付会社(機関)のいろいろの評価を目にする。内心、誰もが胡散臭いと感じているんじゃないかと思うのだけれど、ああした直線的な評価軸に対象を位置付けることで、なにかわかったような気になるのも否めない。知能指数などといったものと似ている。

 まあそんなわけで、ニセコの深雪(15m)が世界的な経済紙であるフォーブスのスキーリゾートランキングで二位に格付けされ話題になっていた。北海道はスキー場も多いし、どこがどことどう違うのか僕にはわからないけれど、そのパウダースノーの雪質も絶賛されている。

 もともとニセコは海外からの観光客の多いところで、夏はカヌーやラフティング、冬はスキーにスノボと自然体験型のレジャーの盛んなところだ。しかも、温泉付きである。とりわけ倶知安なんかは、オーストラリアからの滞在型旅行者の多さが以前から注目されていた。

 そうした観光客の評判によって「ニセコ」のリゾート地帯としての認知度がわりあい高かったということが、今回、評価された大きな要因なのかなと思う。ちなみに、このオーストラリア人観光客の消費動向と満足度を調査したレポートがあるのだけれど、これがなかなか面白い。(参考.pdf

 「ニセコの不便なこと」という項目には七割の人が「ない」と答え、「今後のニセコに望むこと」という項目には「日本人らしさを保つ」「いまのまま変えない」と答えている人が多い。ここでいう「日本人らしさ」というのは主に「親切さ」にあるようだ。オリエンタリズムもあるかもしれない。

 北海道にも「日本的なエキゾチックな雰囲気」を感じるのかと僕は少し驚いたけれど、そうした「おおらかな田舎の雰囲気」に惹かれるオーストラリア人は多いようだ。大多数が現状維持を望むというのは(そこに魅力を感じたからこそ旅行に来たのだから)当たり前だが、忘れがちだ。

 「北海道らしさ」「日本らしさ」のような観念的なものをある程度、明確に把握して、観光の商品として提示するというのは、名産品や特産物を作るのと同じように大切なことだろう。旭山動物園の行動展示に発想は近いかもしれない。日本人は意識的にそういうことをするのは苦手だ。

 ところで、寒冷都市ということだとカナダやロシアに大きな都市があるけれど、こと豪雪都市ということだと世界的にみても札幌がちょっと抜けているようである。札幌クラスの豪雪地帯で人口100万人を超えているような都市は他にない(札幌は190万人を超している)。

 ちなみに、人口30万人以上なら旭川や青森のほうが過酷だと思う。道民的には札幌は雪も少ないし暖かいので住みやすい都市である。意外かもしれないけれど、道民なら10人中10人がそう答えるだろう。雪なら旭川や東北地方のほうが多いし、寒さは道東のほうがずっと寒い。

 だから、札幌というのは便利な都市だと思っているのだけれど、たしかに言われてみたら、これだけ積雪の多い都市が一般的に言って便利なわけがない。除雪に関するテクニックがやけに発達しており、慣れてしまっているのだ。どうしていまのような大都市になれたのだろう。(参考

 たまに道内(札幌外)をドライブしていて開拓時代の話をしながら、「こんなところよくまあ開拓したもんだよね」とか笑ったりするが、これはまさにその通りで、そういうところは本来的に人の住むようなところじゃないんである。そんな自然・気候・環境のなかに札幌という都市はあるのだ。

 ニセコの人気というのもどうやら、その自然へのアクセスのしやすさにもあるようである。海外にも良い雪山はあるのだけれど、これだけ人里ひらけた場所に良質な雪山があることはなかなかないみたいだ。札幌が強力なハブ都市になることは、北海道全体にとっても有益なことだろう。
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by kourick | 2012-02-02 23:00 | 随想