ところで、わたしはどうやって「地球は球体である」ということを常識として受け容れたのだろう。見たことも確かめたこともないことを、どうやってわたしは受け容れたのだ。わたしは日常生活のどこかで、一度でも地球の丸みを感じたことがあっただろうか。いや、ない。

 むしろ、球体だとするとおかしいことのほうが多いのではないか。目の前の道を直進すると同じ場所に後ろから到着するというのは変じゃないか。いや、それより、もし球体だとすると、上のほうにいる人は良いけれど、横とか下にいる人は宇宙に落ちて行ってしまうだろう。おかしいぞ。

 だが、僕は知っている、地球には引力というものがあって、物というのは下に落ちるのではなく、物が落ちる方向を下と言うのである。だが、これはいかにも詭弁染みている。この「目には見えない力」を提唱したニュートンだって、最初は「オカルトだ」と非難されたのだ。疑わしいものである。

 じゃあ、どうやって僕はこの常識を獲得したのか。それは学校で習ったからである。大人たちから、この世界(あるいは社会、文化、共同体)の先住者たちから習ったのだ。教科書を見ると、様々な惑星が球体で描かれている。地球儀なんて、そのままである。わたしはいま、そこにいる。

 だが、それははたして確実なのだろうか。教科書が誤りうるということを、僕たちは知っている。むしろそれは日常茶飯事といってもいい。教科書は真実の書物ではない。先生は地球が球体であることを確かめたのだろうか。どうして先生は宇宙飛行士じゃないんですか!と胸をドンドンしたい。

 それにしても、教師たちはいったいどうやって「地球が球体である」ということを教えていただろう。僕は理科の時間を思い出す。地球球体説の根拠はふたつあった。ひとつは「地平線の丸さ」であり、ひとつは「船の見え方」である。よし、これを自分で検証しよう、とあなたは思う。

 先生は「陸地ではわからないけれど、岬の突端から地平線を眺めると地球の丸さがわかるよ」と言った。なるほどたしかに、見渡すかぎり地平線のような視界の開けたところなら地球の丸みもわかることだろう。僕は実際、それを試したことがある。神威岬と宗谷岬と足摺岬の突端に立った。

 青い空、青い海、青いものしかないので地平線も青そうなものだが、地平線を青いと言ってよいものか、僕は少し悩んだ。ぼんやりと白みのあるゾーンが空と海の明確な境界を覆い隠している。地平線というのはどこからでも確認できるのに、どこにも存在しない。不思議なものである。

 僕は地平線を見る。「ほら、丸いでしょう」と言われたら、たしかに丸い。しかし、「ほら、あれはね、一見丸そうに見えるけど、本当はまっすぐなんだよ」と言われたら、たぶん、まっすぐにも見えただろう。人間の知覚というのは不確かなもので、目の錯覚という現象があることを僕は知っていた。

 「視界が広いと遠近感が顕著になるから端のほうは丸まって見えるんだよ」とか、「眼球は丸いから横のほうから入ってくる光は少し曲がって脳内で処理されちゃうんだよ」とか言われたら、そんなような気もしてくるだろう。これでは地球が丸いかどうかはわからない。地球は丸い以前にデカい。

 じゃあ、もう片方はどうだろう。先生は「地球というのは丸いから、船が沖に行ってしまうときは船体から消えていくし、沖から戻ってくるときは帆先から見えてくるんだよ」と言った。なるほど、地球が丸いならそうなるはずだ。僕は実際、それを試したことがある。小樽と函館と苫小牧で船を眺めた。

 はっきり言って、これは嘘と言っていいと思う。手心を加えるなら、誇張といったところか。船体だとか帆先だとか部分がどうこうという以前に、「遠すぎて船全体が見えなくなる」が正解である。高倍率の望遠鏡などがあれば確認できたのかもしれないが、残念ながら僕は持っていなかった。

 それに「沖のほうが波が高いから、船体から見えなくなるんだよ」と言われたら、そうかなという気になっただろうし、「沖のほうが海面付近の気温が低いから、光が屈折して、船体から消えるように見えるんだよ」とか言われたら、それはそれで説得力があったに違いない。

 要するに、地球球体説の根拠はどちらも不十分である。それらはたしかに、「もし地球が球体であるなら」どうなるかということを理論的に説明してはいるかもしれないが、残念ながら、それらは「地球が球体である」ことの証明にはなっていない。おい、地球、お前ホントに丸いのか?(続く)
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by kourick | 2011-12-29 18:30 | 考察
 「Flat Earth Society」なる団体を御存知だろうか。逐語的に訳すなら「平面地球協会」といったところだろうか、その名の通り、「地球は平面である」という主張をしている団体である。この「平面である」という主張のなかには「地球は球体ではない」という主張も含まれている。

 100年前ならまだしも、人類が地球の重力を振り切って早50年、人工衛星がクルクルと無数に地球を廻り、国際宇宙ステーションに常にクルーが滞在するような御時世、「地球は平面の円盤である」という主張には言い逃れしようのない滑稽さが漂っている。

 ある人は彼らを馬鹿にするかもしれないし、ある人は間違ったことを子供たちに教えるなと憤るかもしれない、ある人は彼らが社会的な悪であるかのように断罪するかもしれない。かもしれないかもしれないと言ったが、実際のところ、人々は彼らを「阿呆らしい集団だ」と見下すだろう。

 なるほど、たしかに彼らは間違っている。地球は球体なのであり、平面ではない。それが事実である。しかし、それは端的に誤りなのであり、彼らを笑うこととは無縁である。しかし、大勢の人が彼らの主張を笑うだろう。どうしてか。あまりにも「地球は球体だ」ということが当たり前だからである。

 「地球は球体である」ということは、科学の発展により知ることのできた事実であり、大勢の人によってその知識が共有されているからである。それに対して、「地球は平面である」という主張は、まるで御伽噺の世界に迷い込んだような印象を与える。たわいない空想に思われる。

 だが、彼らの主張をいったん留保して、私たちの主張を検討するなら、そして、彼らを笑うときに感じる居心地の悪さを正直に受け止めるなら、僕たちは幾つかの教訓を読み取ることができる。いちおう言っておくけれど、僕も「地球は球体だ」と思っている。当たり前である。

 さて、いまこの文章を読んでいる人のなかで、「地球が球体である」ことを証明できる人はいるだろうか。少なくともそうでなければ、彼らの主張を無視することはできても、彼らを馬鹿にすることはできない。もし、あなたが宇宙飛行士なのなら簡単だ。「わたしは見てきた」と言うことができる。

 それを相手が信用するかどうかはさておき、実際に見てきたのだから自信を持っていい。しかしたぶん、あなたは宇宙飛行士ではないのではないか。じゃあ、どうしてあなたは地球が球体だと思うのか。宇宙飛行士やその家族に聞いたからという人は、けっこういるかもしれない。

 ガガーリンから「地球は丸かった」ということを聞いたり、ガガーリンの家族から「丸かったって言ってたよ」とか聞いたことのある人もいるだろう。僕はそうではないが、そういう人もいるだろう。だが、伝聞の信憑性が低いということを僕たちは知っているし、人の噂は頻繁に誤るものである。

 じゃあ、そもそもの、もっと専門家に訊いてみたらどうだろうか。NASA の発表で「地球は球体だ」というものもあるだろう。これなら信用できるか。いや、それも NASA の捏造かもしれない。実際、そういう噂もあるではないか。政府から莫大な予算を取るために嘘を吐いているのかもしれない。

 だが、宇宙からのビデオテープが残っているし、写真もある。いやしかし、僕たちはもう、CG や VFX によって本当は存在しないものが、あたかも存在しているように動きまわる映像や画像を見てきている。その程度の証拠を提示されたところで疑わしいものである。本当に宇宙に行ったのか?

 それに NASA なら、そういったことをやりそうなものである。人はそう思う。そういう意味では、凄まじいほどの「NASA」の説得力である。NASA が嘘を吐いているということになると、宇宙飛行士たちの証言も怪しいものだ。そもそも、少数の意見を根拠なしに信じるのは危険じゃないか。

 NASA が信用できないということになると、JAXA も、他の機関も信用できない。専門書を読めという人がいるかもしれない。しかし、文献を漁るなら、地球を円盤に描いている書物もたくさんあるのだ。自分で直接見たわけではないという条件では、球体だろうが円盤だろうが一緒である。

 いや、直接見たということをことさら信頼するのも、どうだろう。人は見誤ることがあるし、蜃気楼や夢のようにその場所に存在しないことすらある。平面地球だと重要な理論が破綻すると言う人もいるかもしれないが、じゃあ、実例を挙げてと言われると、答えに窮する人も多いのではないか。

 本当に地球は球体なのか。そろそろ心配になり始める。どうして人々はなんの疑いもなく、それを信じているのだろう。普段は疑り深い人たちが、大勢の常識になっているというだけで確信し、自分たちと異なる意見の人たちを攻撃している。なにかおかしいんじゃないか、とあなたは思う。

 科学的事実を正義として用いる人々の科学的盲目さを、どのように胸のうちに収めたらよいだろう。これでは異教徒弾圧と同じようなものである。あの美徳であった宗教的寛容すら、ここにはない。科学的探究に寛容さなど不必要だが、科学の効用とは相手を沈黙させるためにあるのか。(続く)
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by kourick | 2011-12-28 17:00 | 考察
 そろそろ最後にしようと思う。ちなみに、ここに書いているようなルソー理解というのは、粗削りで大雑把な僕のなかのスケッチに過ぎず、細かい知識に場所を与えてちゃっちゃと頭のなかに収めるための下書きに過ぎないので、あまり真に受けないほうがいい。偏見に満ちている。

 もし興味を抱いたのなら「おいおい、ホントにそんなに酷いのかよ?」という気持ちで僕を批判するように、自身でルソーを読んでみることをおすすめする。まあ、個人的にはルソーなんて読まないことをおすすめするけれど、古典を直接読み進めるというのは悪いものではない。

 しかし、ルソーに関して言うと、彼の場合はプライベートの逸話が酷すぎて、その著書を読んだところでルソー自身の面白さには敵わない。友人関係も出鱈目であり、ダランベールに宛てた手紙のなかで、なぜかディドロと絶交するあたりはルソーの本領発揮といったところである。
友人に対して剣を抜いたとしても、絶望することはない。剣をおさめる方法はある。言葉で友人を不幸にしたとしても恐れることはない。和解は可能なのだ。しかし、秘密を暴き立て、裏切りによって友人の心を傷付けたなら、もはや友人の心から優しさは失われる。彼は去り、そして二度と戻ってはこない。
 詳細は割愛するが、これはディドロに嫌がらせを受けたと妄想したルソーが「裏切り者め!」とディドロに噛み付いている一節である。全然関係ないはずの手紙のなかで、いきなり私怨が混じるのが熱い。ルソーはやはり、思想家というよりは、思想をアレンジする作家という感じである。

 そのときの感情に任せて、なにかに反発するために文章を書いている。ディドロやグリム、ヴォルテールといった人たちがいつもフェアだったかというと疑問ではあるが、ルソーの病的な被害妄想には負ける。しかもこのときは百科全書の<ジュネーヴ>問題の巻き起こっていた時期である。

 ジュネーヴの宗教解釈に首を突っ込んでしまい喧々囂々の騒ぎになっていた頃、ルソーもそれを批判するのだが、正直、宗教なんてどうでもいいルソーは「お前ら、ジュネーヴに劇場を立てようとしているな!そんな悪徳は許さん!やめろ!」とよくわからない方向にキレた。

 ルソーも作曲家だし、劇作家なのにである。こうした対応に疲れてしまった理系人間ダランベールは「もうやめるわ」と百科全書の編集を降りようとするし、ヴォルテールも「やめろやめろ、百科全書なんてやめろ」とか言い出すし、このときはさすがにディドロもかなりムカついただろう。

 一方のルソーはというと、文明国フランスの道徳の荒廃を嘆いたかと思うと私生活では変態行為にいそしみ、ディドロたちにジュネーヴに劇場を作るのをやめろと言ったかと思うと自分は新しい戯曲を書いて上演していた。サン・ランベールは「二度と戻ってこない人」からの手紙に、こう返信した。
君の贈り物を受け取るわけにはいかない。君にはディドロを非難する理由があるのかもしれないが(おそらくはないだろうが)、公の場で彼を非難する権利はないはずだ。君はあの告発で、彼がどんなに苦しんだかわかっていない。(中略)
 私とは互いに納得し合うにはあまりにも主義が違いすぎる。私の存在など忘れてしまえ。私も君のことなど忘れてしまい、君のことや君の才能を思い出すこともないと約束する。
 熱い展開である。だが、もっと熱いのは、ルソーがこの類の手紙を書かれるのは、これが初めてではないということである。記録にある限り、ここまでで同種の手紙を三通、書かれている。一通はグリムからルソー、一通はディドロからグリム、もう一通はエピネ夫人からルソーへのものである。
もし私が君を許せるなら、私は自分を友を持つのに値しない人間だと考えなければなるまい。二度と君には会いたくない。そして、もし君のふるまいを記憶から消し去れるなら、どんなにか幸福だろう。私を忘れてくれたまえ、そして、これ以上私の邪魔をしないでくれ。
 これがグリム。そして、次がディドロからグリム宛の手紙。
彼は気違いだ。私はありったけの力で彼の行為を非難したが、彼は怒りにまかせた自己弁護をして私を苦しめた。(中略)
 ああ、この怒り狂った男の光景、なんという男なのだ! もう二度と彼には会いたくない。彼は私に悪魔と地獄の存在を信じさせた。
 すごい言われようである。そして、エピネ夫人からの手紙だ。
何年もの間、私はあなたに友情のあらゆるしるしを差し上げてきました。しかし、いま私にできることはあなたを憐れむことだけです。あなたはたいへん不幸な人です。(中略)
 私はもうこれ以上、あなたに言うことはありません。
 どんな事情があるにせよ、ここまで言われる人間はそういないのではないかと僕は思う。なんらかの精神疾患や脳の器質的疾患を疑ってしまうところだが、それこそ憶測なのでやめよう。しかし、ルソーもやられっ放しではない。だからこそ泥沼に突入する。彼はヴォルテールに手紙を送った。
私はあなたが嫌いだ。あなたの弟子と熱狂者、そしてあなたは私に最もひどい苦痛をもたらした。(中略)
 一言で言えば、私はあなたを憎む。あなたがそう望んでいるからだ。しかし、もしあなたがそう望むなら、私は心の中にあなたへの一抹の愛を残して憎む。
 私の心には依然としてあなたの才能を称え、あなたの文筆を愛する気持ちは残っている。私がただ、あなたの才能だけを評価したところで、それは私のせいではない。今後、私があなたの才能だけを褒めたとしても、それは私の罪ではない。
 そうさせたのはあなただからだ。
 熱っつい。というか、面倒臭い。親しかった友人たちに対する全方位射撃である。さすがのヴォルテールもルソーのこの手紙には返信しなかった。そして、ダランベールに宛てた手紙の中で、こう語る。
私はルソーから長い手紙を受け取った。彼は完全に気が狂っている。(中略)彼は友人たちを見捨てたのだ。彼は私に気違いでも書かないような手紙を書いてきた。
 気持ちはわかる。もし仮にヴォルテールがすべて悪かったのだとしても(おそらくそんなことはないだろうが)、ルソーの相手をするのは面倒臭い。その著作からルソーは名声もあり、どこに行っても歓待されるのだけれど、どこに行ってもルソーは不満を感じ、喧嘩をするか脱走している。

 そして、どうして自分は誰にも理解されないのだろうと嘆いた。もうみんなわかっているだろうけれど、はっきり言って、僕はルソーが嫌いである。歴史上の人物でこんなにうんざりする人間がいることに驚いてしまう。だが、彼は魅力的な人間だし、晩年のルソーの嘆きには感じるものもある。

 『告白』 というとアウグスティヌスを思われる方も多いと思うが、あれは人前でそろそろと帽子を脱いだようなもので、告白というにはなまぬるい。一方、ルソーの 『告白』 というのは、これは人前でとりあえずズボンを下ろしたようなもので、そこからさらに全裸ネクタイまである。

 ルソーは困った男だが、面白味のある気の良い変態だっただろうなという気はする。直接会って話すことができたら、けっこう刺激的で楽しかったのだろう。まあ、フランス語あまりわからないけど。ド・スタール夫人はルソーの死後、彼をこう評している。
ルソーは新しいことは何一つ生み出しはしなかったが、あらゆるものに火をつけた。
 これはなかなか、なるほどと思うところがある。『エミール』 の含蓄のあるところはモンテーニュやフェヌロン、ロランやロックなどに負っているし、『社会契約論』 もロックやプーフェンドルフ、グロティウスやホッブズなどに負っている。強固な「主権在民」の主張以外に、どこか役に立ったのか。

 当時の市井の人たちが 『社会契約論』 を精読していたとはとても思えない。精読した人は極端な話、ロベスピエールくらいのものではないか。基本的に脳内お花畑のルソーの思想は、「一般意思」や「市民宗教」などの謎概念も含んでおり、かなりグロテスクである。

 まあ、グロテスクさということでは 『社会契約論』 が特別だとしても、さまざまなルソーの著作は、読者の思考に訴えかけるというよりは、読者の価値観を揺さぶるタイプのものだ。感情的なフックが効いている。そういう言論家というのは往々にして、反論を受けることでテーマセッターになる。

 それがルソーにとって見越していたことなのか幸せなことだったかどうかは定かではないけれど、ルソーはいつも言論の渦中にいたし、ルソーはいつも情熱的な何かを求めて悲嘆に暮れていた。行動を起こすたびに傷付き、怒り、後悔した。僕はほとほと、そこに人間を見るのである。(終)
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by kourick | 2011-12-27 03:00 | 考察
 さあ、書いていこう。とは思うのだけれど、これを書き始めるにあたり、ルソーの発言を確認しているうちに本当にイライラしてしまい、かなり思考を放棄しかけたことを最初に言っておこうと思う。ルソーの言うことは首尾一貫していないし、無責任だからだ。無視したほうがいい。

 そして、実際、ヴォルテールやディドロがとった方策とは、そのようなものだ。しかし、無視されるとルソーは逆切れして、粘着してきた。仕方ないから構ってあげると「嫌がらせをするな!」と怒鳴る。本当にどうしようもない男だ。いや、それはさておき、まずは自然状態である。

 ルソーは自然状態において、人は自己愛と憐みに満ちており、完全に自由で独立していると考えていた。このとき、自己を愛するという「感情」が基礎にあることに注目してほしい。また、自己を愛する人ほど、他人を憐れむことができるとルソーは言った。

 なぜなら、他者の貧しさから受け取る不快感は自分を愛する人ほど強いからである。人が苦しむのを見ていることに自分が苦しいから、人は他者を憐れむのである。ルソーの自然状態に貧しさがあるのは謎だが、ここでも自己の「不快感」や、それを受け取る「感受性」が基礎にある。

 とにかくこのように、ルソーにとっては「人は自然状態においてこそ完璧」なのである。ホッブズや当時の常識とは逆である。しかし、真に逆であるのはここからである。そんな完璧だったはずの人間が、どうして現実の私たちのような人間になるのだろう、その問いにルソーはこう答えた。

 理性や文明のせいで、人はダメになる。ルソーは仲間の啓蒙思想家たちが教会の権威から脱却するために頑張っているなか、理性はたしかに重要かもしれないけど、それだけじゃダメっていうか、それこそがダメと言った。理性なんかがあるから、人は競争と敵対を始めちゃう。

 ルソー自身、感情的な人だったが、ルソーは理性よりも感情に重きをおいた。ルソーは 『エミール』 に「万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる」と書いているが、これは人間社会で知恵を付けるとダメになるということだ。

 ルソーは理性の素晴らしさをうたう、しかし、理性により感情が腐敗するともうたう。嫉妬や憎悪といった感情は後天的に人が知恵を付けることによって生まれる罪悪であり、ルソーのいう自然状態の人は持っていない。全員がアタラクシアの夢の中、牧歌的な幸福を味わっている。

 だからルソーは「子供に余計なことはするな」と言った。このとき子供は、小さな大人でもわがままな子鬼でもなく、天使になった。「子供には子供特有の感じ方、考え方があるので、それを尊重しなさい」と言った。これらの言葉は「子供」を「ルソー」に置き換えて読むべきだろうか。

 そして、文明があるからこそ、人は他の人に依存するようになってしまうし、私有財産などというようなものを認めるから貧富の差が出てきてしまうのだと説いた。だからこそ、裕福な人は横領や搾取を始め、貧困な人は略奪や強盗を始めてしまう。これがダメなのだとルソーは考えた。

 だから、ルソーは未開の人々こそが素晴らしいと言ったし、非文明的な状態こそ幸福だと言った。これは一種のオリエンタリズムだろう。だが、一方で、ルソーは「自然状態はもはや存在しないし、一度も存在したことがないし、これからも存在しないだろう」とも言う。困ったものだ。

 とにかく、これはホッブズの性悪説的な見方に対して、性善説的な見方としてよいだろう。結局のところ、これが衝撃的だったのだ。子供も大人もひとしなみに善い存在であり、悪いから型に嵌めるのではなく、型に嵌めるから悪くなるのだと説いた。この価値観だけは一貫している。

 そして、ルソーは自然の感情の素晴らしさをうたった。そして、それは時代の求めた自由とも適合した。人々にとっては理性もまた、力強いものであるものの、鬱陶しいものでもあったのだろう。ルソーは情感豊かに理想を語り、人々に素敵な夢を見させることがとても上手だった。

 だが、このルソー、ダメダメ言うのに歯止めが利かなくなる。僕が思うに、ルソーを突き動かしていたものこそが、まさにルソーが忌み嫌った文明によって毒された自尊心だっただろう。ルソーは胸中に渦巻いた不満を理性に頼って排出していた。まさに「感情のまま」に。

 ルソーの場合、これはどこか「いまからするのは悪いお手本だからね」と言いながら、お手本を示す行為に似ている。ルソーは理性を素晴らしいものと認めつつ、理性を非難した。なぜなら、人間本来の感情のほうがもっと素晴らしいからである。これは逆説的な人間賛歌になっている。

 これが嵐を巻き起こしたのだ。18世紀の人々がもうそろそろ、頭を使うことに疲れていたというのもあるのではないかと思う。もともとポテンシャルの高いブルジョアやインテリ以外の人たちには、これこそが福音に聞こえたかもしれない。事実、理性信仰は行き過ぎたところがあったのだ。

 だからこそ、死後のルソーの名声は、ヴォルテールたちに対するカウンターとして機能することになる。実際、借り物の言葉だとしても、ルソーはところどころ面白いことを書き残していた。要するに、ルソーがもし不幸だったとしたら、それは純粋に、彼の徳のなさ、素行の悪さにある。

(続きます、か?)
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by kourick | 2011-12-25 22:00 | 考察
 「善く行くものは轍迹なし」とは老子の言葉で、僕も理想とするところではあるが、歴史に名を残す人というのもまた、やはり偉大なものである。たいていの場合、彼らはそれまでにあったものを否定すること、超克することで新しいことを為す。とりわけ思想の潮流に関してはそう言える。

 そういうとき、思想家はおおまかに三種類に分けられる。「作る人」「作るために壊す人」「壊す人」の三種類である。ソクラテスは壊す人だ。アリストテレスは作る人だろうか。バークリは作るために壊す人かな。ニーチェはもちろん壊す人だ。そして、ルソーも壊す人である。

 ルソーが壊すものは権威だったり理論だったり、そういう通常の思想家が相手にするところのものではない。最初から、ルソーがゆさぶっているのは価値観である。彼を苛立たせるのは彼を抑圧するもの、というか、彼に押し付けられるもの全部かもしれない。

 ルソーの「したいようにさせろよ!」という駄々を落ち着かせようとするものには、その効用を見定めることなしに手当たり次第に反発するから、その結果として、性悪説的な人間観に基礎付けられて築かれてきた社会の秩序を根底から覆す主張になっているという感じだろうか。

 たとえば、わかりやすい例としては、社会契約説におけるホッブズとの違いを見てみよう。ホッブズは自然状態において、人は「万人の万人に対する闘争」状態に陥ると考えていた。というのも、現実社会ではさまざまな階級による秩序があるが、自然状態では皆が均質で自由だからである。

 自由だからこそ奪い合うというわけである。ニュースで見たことのある光景だ。自然状態において、人は自己保存のために「なにをしてもいい自由」と「あらゆるものを手に入れる権利」を持つ。これがホッブズのいう自然権(理論的に皆が持っていて当然の権利)である。

 生き延びるためになにをしてもいい権利があったら人はどうするか。ホッブズは考える。たぶんいま、これを読んでいる人の念頭に浮かんだことと同じことをホッブズは思った。ああ、こりゃ奪い合うね、たまに殺すわ。逆に言うと、そう考える人は奪われたり、殺されたりする可能性もある。

 この自然状態を一言でまとめるなら「サザンクロスシティ」である。人間というのは「おれつえー!」「でもこえー!」の二種類の情念を持っているとホッブズは考えていた。オレ強いから奪うけど、オレ強いけど奪われるかも、なにそれこわい。ここに自己保存のための自然権の矛盾が露呈する。

 生き延びるためになにをしてもよいというのが自由なのだが、皆が自由であるがゆえに皆の自由が侵されてしまう。じゃあ、皆でその自然権を放棄することを約束して、遵守することにしましょう。こうした契約によって作り出された絶対主権が、すなわち国家である、とホッブズは言った。

 ひとりひとりの自然権を集めて錬成された人工的人間、それが人造人型決戦兵器リヴァイアサンなのである。このおかげで人々は自然状態の恐怖から解放される。だが、この生き物は国民の契約に由来しているので変更も否定もできない。また、たまに内乱という怪物ビヒモスと戦ったりする。

 さて、こうしたホッブズの考えは、性悪説的な人間観に基礎付けられていると言ってもいいだろう。ちょっと先鋭化されてはいるけれど、こうした価値観というのは、当時の人にとっても(渋々であろうとも)納得できるものだっただろう。これはおそらく、常識の延長線上にあった価値観だ。

 人間は弱い、無知であるなら愚かでもある。自然に任せたままだと、人は粗野な獣と変わらない。自堕落を教化して、奔放な欲望を抑え付け、道徳と法律で秩序を与えなければならない。それは聖職者と統治者の務めであり、人々を人間にするために必要なことである。こういう感じだ。

 ちなみに、いまでも欧米においては人間の獣性は嫌われる。八重歯や尖った耳が忌み嫌われるのは、それが獣性を帯びているからである。これはたぶん、かなり感覚的なものだ。穢れの思想から、日本人が他人の茶碗や箸を使うことを忌み嫌うというようなことに似ているだろう。

 ツラツラと書いているせいか、どうも長文になってしまい、なかなか先に進まない。時代の反逆児ルソーのことは次回に書きたい。ちなみにロックの自然状態は、ホッブズの自然状態に「他者危害の原則」がビルトインされているようなものである(専門家に怒られそうな理解だ)。
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by kourick | 2011-12-22 20:00 | 考察
 僕は最初、ルソーが理解できなかった。いや、もちろんいまでも理解しているとは言いがたいから、どう押さえたらよいのかわからなかったというのが適切だろうか。部分部分はわかるのだけれど、全体像が見えてこないという感じかもしれない。組み合わせても一人の人間にならない。

 『エミール』 のルソーがいて、『社会契約論』『人間不平等起源論』 のルソーがいて、『告白録』『孤独な散歩者の夢想』 のルソーがいる、保守にも仲間にも嫌われるルソーがいれば、大衆の喝采を受けたルソーもいて、影響力としてのルソーもいた。こうなるともう、よくわからない。

 というか、そもそもルソーには胡散臭いイメージがあった。ルソーというのは言葉を引用されやすい偉人、名言先行型の人物だと思う。僕もそんな講演を何度か聴いたことがある。「人間は自由なものとして生まれた」だとか「人間は二度生まれる」だとか、そんな話である。

 それを「活動家」「運動家」「啓発家」然とした人が、したり顔して引用するのだ。そして、やはり素晴らしいことを言っている、とりあえず間違いないみたいな微笑みを受けて、聴衆も拍手しなきゃいけない雰囲気になる。なんだろうこれは、なんだか信用ならないのだ。

 ルソーくらい人間の悲哀を体現していて、「いや、でも、それ自業自得だから」というツッコミ待ちしている人もそういないと思うのだけれど、それがやけに薄っぺらい。ルソーはときに「矛盾の人」と言われるが、ルソーのちょっと良い話だけ聞いても、ルソーの「うおー!」は感じられなかった。

 ルソーがどうしてそんなことを言ったのかいまいちわからないんである。ルソーのモチベーションがわからない。酷いときには「本当にそんなこと言ったのか?」というような気持ちにすらなった。もうひとつ、僕のわからなかったのは、ルソーの影響力である。

 こういう風な印象を持っていると、ルソーというのは別に大したことなかったんじゃないのかと思いそうなものだが、実のところ、ルソーの影響力には凄まじいものがあった。哲学・文学・芸術・教育・政治、そして、市井の女性などにも絶大なる影響を与えている。いったいどういうことなんだ?

 カントは散歩を忘れるほど 『エミール』 にハマり、「道徳界のニュートン」とまで言ったし、ゲーテもファウストに「感情のみが全てだ」と言わせた。教育界ではペスタロッチにモンテッソリ、デューイなどが影響を受け、フレーベルは幼稚園を創った。情操教育の走りのようなものである。

 ジェファーソンはロックやモンテスキューの思想と一緒に、ヴォルテールと、そしてルソーを吸収していったし、趣はかなり異なるが、ロベスピエールはルソーを用いて独裁政治を行った。そしてなにより、ルソーは上層階級の人たちだけではなく、中流・下層階級からの支持が厚かった。

 ほとんど同時代の人たちだけでこれである。後世の影響までを考えると、それは計りしれないものがある。いったいルソーのなにを読むと、この影響力を理解できるのだろう。どこを読むとルソーの衝撃というものを感じることができるのだろう。僕の「わからなさ」は、このあたりにあった。

 僕はいまいち理解力や読解力が低いので、最初に、理解したい対象をより大きな文脈のなかで戯画化しないと、そこにある情報を自分のなかに適切に位置付けられないところがある。そんなこんなで、僕がルソーに貼ったレッテルは「西欧に性善説の嵐を吹かせた人」である。

 この人は性悪説が常識として蔓延っていた近世において、性善説を下敷きにして馬鹿みたいに理想を語った「素朴にして雄弁な子供」だったと押さえると、僕のなかでは、ルソーのすべてがシックリ収まってくる。そして、その言葉のほとんどがルソーの言い訳に聞こえてくるのである。(続く)
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by kourick | 2011-12-21 20:00 | 考察
 ジャン=ジャック・ルソーというのは、よくわからない知名度のある人だ。いまこれを読んでいる人のなかで「ルソーを知らない、聞いたこともない」という人はたぶん、いないだろう。かといって、なにをやった人なのかと問われると、いまいちはっきりしないところがあるのではないかと思う。

 というのはやはり、高校の授業における中途半端な紹介によるだろう。ルソーはまずもって「政経」か「倫理」の時間に現れる。社会契約論のときに「自然状態」を背負って現れ、青年期の心理のときに「第二の誕生」を背負って現れる。そして去っていき、もはや戻ってこない。

 いやしかし、それでもヴォルテールと比較したら、よほど恵まれているかもしれない。ふたりとも18世紀のフランスを代表する人物、時代の精神といってよいと思うけれど、ルソーがなんとなく常識になっているのに対して、ヴォルテールの知名度のなんと低いことか。

 人間というのは根本的なところで頭を使うことがあまり好きではなく、おそらくそれほど得意でもないのではないかと深読みさせられてしまう。ちなみに、同時代のイギリスに生きたサミュエル・ジョンソンは、ヴォルテールを「知性的愚者」と評し、ルソーを「感情的愚者」と評した。

 どっちにしても邪悪な愚者であるのは、彼らがともに教会を中心とした権威や伝統を完膚なきまでに破壊しようとした啓蒙思想の旗手であり、それによって実際、半壊させられてしまうからである。彼らがフランス革命の、そしてアメリカ独立戦争の思想的背景にいたのは御存知の通り。

 これはニュータイプがオールドタイプを批判している様子を想像してもらうとわかりが良いだろう。教会の重力に魂を縛られた人たちを解放するために、彼らは「皆が本来的に持っている「理性」を働かせて「科学」的に思考し「社会」を「進歩」させるなら「幸福」になれる!」と説いた。

 いい加減、教会の腐敗と僧侶の傲慢に嫌気のきていた民衆は、これを熱狂をもって迎えた。啓蒙思想家に感化された人々は「神」よりも「理性」を信仰するようになった。ここから、伝統と秩序の息苦しさから解放されたフランスは自由と平等の混乱を味わうことになる。

 日本という国家の憲法はアメリカ人によって作られたというのはよく知られた事実であるが、そこでは「信教の自由」もうたわれている。これは一見したところ「なにを信仰してもよい」という権利に思われるが、起源を遡るならば、これは「カトリックを信仰しないでもよい」という権利だろう。

 さて、こうした啓蒙思想を押し進め、そのメインストリームにいたのは、ほかでもないヴォルテールであり、ディドロであり、ダランベールだった。晩年ちょっとひよっているところもあるが、最期まで、ヴォルテールは知の騎士だった。さて、ルソーである。ルソーはどこにいってしまったのだろう。

 当初はルソーもこのメインストリームにいた。だが、持ち前の気性の激しさからディドロと絶交し、ダランベールと不仲になり、ヴォルテールと不仲になり、ヒュームと不仲になり、グリムからは嫌がらせを受けた。ルソーほど「絶交」という言葉の似あう人間はそういないだろう。

 こうなると、どうして親交できていたのかがむしろ謎である。たしかに相性が悪そうな感じはある。ヴォルテールやディドロはいかにもフランス的で男性的なのに対し、ルソーはどこかドイツ的で女性的である(思想が、という意味である)。だが、それ以上に価値観が根本的に異なっている。

 いや、ちょっとずつ、なんか違うぞという思いがルソーのなかに積み重なっていったという感じだろうか。近縁にいたからこそ、その違和感も強かっただろう。未来人の僕はルソーをあまり好まないけれど、この時代において、ルソーこそがまさに真正の破壊者だったのだと僕は思う。(続く)
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by kourick | 2011-12-20 22:30 | 考察
 フランスの歴史家、フィリップ・アリエスが 『<子供>の誕生』 を発表したのは1960年のことだ。Amazon を見ると子供に<>が付いていないが、これは誤りで、山鉤括弧を付けるのが正しい。つまり、ここにおける「子供」というのは、近代的な「子供という概念」という意味である。

 このアリエスの著書は、とりたてて読む価値のあるものではないけれど、一読の味わいはある作品となっている。あるいはこの著書に限らずとも、「子供とはなにか」という眼差しは、翻っては「大人とはなにか」という視点を逆照射するため、大勢にとって面白いものかもしれない。

 子供を「子供」として区別するということは、良かれと思って大人のやりだしたことだが、「子供を大人から排除する」ことが子供にとってありがたいことかどうかは不明である。まあ、人権としての必然であるかもしれないが、大人のいう「子供」が「大人ではない」というだけのこともままある。

 優先されるのは「大人」である。大人の社会である。そこから子供は排除される。そして、教育され、統合される。簡単な話である。そうしておいて、面倒臭いことに大人というのは「子供」にいろいろなものを託す。そこに郷愁を感じることもあれば、無垢や素朴を期待することもある。

 本来であるなら、子供自身が子供とはどういうものなのかを語ることができたらよいのだけれど、子供とはなにかを語ることのできる子供が、はたして子供を代表しているかという問題はある。語弊を承知で言うならば、子供とは無知であり、無知であるからこそ子供だからである。

 ここには「我慢」という行為に似た不可能性がある。我慢というものを「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ」ことだとすると、辛抱や忍耐の上位版としての「真の我慢」とでもいうべきものは、「我慢できないことを我慢する」ことだ。できないことをせよ、という内なる指令である。

 とすると、本来、我慢とは不可能な行為である。だが、人は我慢する。我慢できる。その不可能性に直面し、なお、自身の言動を胸のうちに思い留めることができる、これはどういうことだろう。もしかすると、これは精神論だからこそできる、正当なる詭弁なのだろうか。

 ここにはふたつの見方があると思う。ひとつは「我慢は次第にできるようになる」という成長による我慢の拡張という見方であり、もうひとつは「真の我慢は認識できない、できたとしても語れない」という我慢の不可知論である。いや、そんなことはどうでもよいのだ。

 子供である。「子供」でなにか書こうと思い、僕は最初、ルソーを考えた。ルソーというのは知れば知るほどろくでもない人だったが、よくよく考えて見ると18世紀のフランスにはろくでもない人しかいない(偏見である)。にしてもルソーは出色のろくでなしだ。だが、ルソーを読む価値はある。

 そんなこんなで、ルソーのなにかを書こうと思っているうちに、ヴォルテールとベネディクトゥス14世の対話を打っていた。それがこれである。

 理想郷におけるエピローグ
 http://kourick.net/Durant.htm

 これはウィル・デュラントの 『世界の歴史』(全32巻)の第29巻に収められている対話である。おそらくデュラント夫妻の創作だと思うけれど、これがよくできていて面白い。もともとそんな気はなかったのだけれど、ところどころちょっと笑ってしまったので打たせてもらった。

 デュラントの 『世界の歴史』 はそれほど評価の高い歴史書ではないかもしれないけれど、僕はけっこう好きで読んでいる。というわけで、今週はこのあたりのことを書けたらよいかなと思っている。しかし、こういう予定を立ててしまうと、途端にやる気が失せてくるから不思議である。
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by kourick | 2011-12-18 23:00 | 考察
 「ものを覚えられないのは興味を持っていないからだ」と聞いたことが何度かある。だが、興味を持っているのに、どうにも頭に入ってこないものもある。それは例えば、「ドラムンベース」だったりする。誰に尋ねられることもないだろうが、僕はもう、その言葉を何度も検索している。

 僕が「ドラムンベース」を理解するために費やした時間はどれほどのものだろうか。たぶん、1時間や2時間では済まないのではないか。ことによると、6時間くらいは「ドラムンベース」に弄ばれているのではなかろうか。なにがいったい、僕をそうさせるのか。興味とは恐ろしいものである。

 だが、興味があるにも関わらず、僕の理解は一向に進まない。あれ、どっちがテツでどっちがトモだっけ、というか、どっちが赤でどっちが青だっけ、みたいなものである。今日も僕は Wikipedia で「ドラムンベース」を検索した。そこには、こう書いてあった。
基本的にはジャングルと同じように高速で複雑なリズムと低いベース音を特徴とした音楽。
 なるほど、と僕は思う。なにが「なるほど」なのか、いまとなってはもうわからないが、たぶん、毎回思っているだろう。だが、僕はこの程度の理解では飽き足らず、さらに読み進める。すると、今度はこう書いてある。
幻想的なパッド音などを用いたフューチャリズムに根ざし、幻想的でありながらも冷徹でもあるサウンドは、ジャングルとは似て非なる。
 わからないはずである。おそらく、これでドラムンベースのことを理解できる人は、そもそもドラムンベースなど検索していないだろう。そして、ここにはもうひとつ問題がある。「似て非なる」である。これはもちろん「似て非なるサウンド」ということなんだろうが、そこは省いていいものか。

 いや、僕が正直に「わからない」ということを認めるとなると、「もちろん」などということも言ってはならないかもしれない。もしかすると「似て非なる」のあとには、僕の想像するものとは異なるなにかが収まるのではないか。とにかく、わからない人の勝手な想像に踊らされてはならない。

 ことによると、「ジャングルとは似て非なるパッションをもたらす」とか「ジャングルとは似て非なるクリエイタのソウルがある」とか、なにかもっと似て非なるものかもしれない。わからないのだ。さて、ここまで読んできた人はそろそろ、「そもそもジャングルってなに?」と思っているに違いない。

 安心していい、僕もわからない。どうして僕がわからないと安心していいのか、それすらもわからないことになってきているが、わからない人というのはときによくわからない自信を持っているものである。いやむしろ、たいていの場合はそうだ。逆に専門家は自分の発言に自信を必要としない。

 話を戻そう、ドラムンベースである。僕はいまだに「ドラムンベース」のなんたるかをわかっていないのだが、Wikipedia のテキスト、これがなかなか心の隙を突いてきている。どうもわかったような気にさせられる。どこか「わかった」と納得するように仕向けさせられている。

 はっきり言ってわかってはいないけど、これでわかったということにしといてやろう、そんな気持ちにさせられる。それでいて、「ふむふむ、つまりどういうことなの?」などと尋ねられると、あたふたしてしまうのである。じゃあ、これはどうだろう。これは「ドリルンベース」の説明である。
サンプリングビーツを、一度解体、分割 し、一音ずつにリバース、ディレイ、大胆なピッチシフトをかけることによってドリルンベースならではの、ブロークンでありながらリズミカルなビートが完成される。
 完成された。まず、わかるのはそのことだ。完成してよかった、そこで読者はホッとする。しかも、ドリルンベースならではのものが完成した、これは喜ばしいことだ。通常ならこのあたりで「なるほど」とか思っておかないといけないところである。だが、ここでふと我に返ってしまう不幸な人もいる。
「それで、結局、ドラムンベースとドリルンベースってどう違うの?」
 内心、焦りながら、僕は澄ました顔をして答える。
「ああ、ドラムンベースは幻想的でありながらも冷徹なサウンドなのに対して、ドリルンベースはブロークンでありながらもリズミカルだよね。まあ、いずれにせよ、ジャングルとは似て非なる」
 僕にはやっぱり、よくわからないんである。
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by kourick | 2011-12-15 19:30 | 言葉
 さて、そもそも古事記は、なんのために編まれたのだろうか。意図は定かではないが、目的ははっきりしている。それは、古事記の筆録者・太安萬侶(おおのやすまろ)の書いた序文によると、「帝紀(天皇の系譜)と旧辞(古代の伝承)を削偽定実すること」である。
 聞いたところによると、「諸氏族が持っている帝紀と本辞は、すでに真実とは異なり、虚偽が加えられている」そうだ。いまのうちに誤りを正しておかないと、近いうちに本旨が失われてしまうだろう。
(中略)
 だから、帝紀を一書にまとめて、旧辞を詳細に検討して、偽りを削り、実を定め、後の世に伝えたい。(意訳)
 これは天武天皇の言である。そして、天皇は手を打った。
ここに舎人あり。氏は稗田、名は阿礼、28歳。人となり聡明にして、一目見たら誦めるし、一度聴いたら記憶できた。そこで天武帝は、阿礼に命じて、帝紀と旧辞を誦習させた。(こっちも意訳)
 さて、ここで謎の人物、阿礼、登場である。舎人とあるため、もちろん男性だ。しかし、天武天皇は「したいなー」と手を打ったものの、完成はしなかった。天武天皇から、持統天皇、文武天皇と続き、実に元明天皇の代になってから、ふと思い出したように太安萬侶に詔が下る。
稗田阿礼の誦める帝紀と旧辞を一書にまとめて献上しなさい。
 これが711年9月18日のことである。このとき、稗田阿礼は何歳だったのだろう。生没年不詳なのではっきりしないが、天武天皇の在位が672年から686年なので、若くて53歳、老いていたら67歳、わりと高齢だ。このとき、太安萬侶も55歳前後だったのではないかと考えられている。

 そうして撰進されるのが712年1月28日であるから、実に四ヶ月あまりで完成したことになる。これは早い。古事記の編纂は、平城京遷都(710年3月10日)にあたっての修史事業の一環だったのだろうと思うが、叔父の忘れ形見はしっかり成長していたのである。

 常識的に考えて、太安萬侶に詔が下った段階で、現在の古事記のもととなる資料というのは完成していただろう。要するに「ソースは阿礼!」という感じである。これは天武天皇のチェックの入った由緒正しい記録と記憶だ。有象無象の記録と口承から厳選されたソースである。

 想像であるけれど、このとき、数多ある断片的な文献・口承資料を集め、書かれた古語や話の整合性をチェックしたのは稗田阿礼だったのだろう。数学者によってそれぞれ好き勝手に使っていた記号の用法をまとめることになったデカルトみたいなものである。

 そうして稗田阿礼の言挙げする「正しい歴史」を太安萬侶が改めて文字に起こす。これは一種の儀式であろう。また、このときの太安萬侶の発想、その姿勢にも感服するものがあるので、古事記の序文に書かれた本人の言葉をみてみよう。ここにあるのは最古の凡例である。
しかし、古の時代のことは、言(ことば)と意(こころ)がどっちも朴(すなほ)なので、文章にしようとするとき、漢字を使って表現することが難しいものです。

漢字の訓を使って述べようとすると、詞(ことば)が心(こころ)と一致しないし、漢字の音を使って書き連ねようとすると、文章が見た目に長すぎる。

なので、ある場合は音と訓を交えたし、場合によっては、訓のみで書きました。そういうとき、文脈が分かりにくいものには註を付けました。ただ、音註をあまり付けすぎると煩雑になってしまうので、わかりやすいものに関しては省いたよ。(もちろん意訳)
 これである。当時の公文書は、およそ漢文によって書かれていたわけだけれど、それでは本意が伝えられないと安萬侶は思った。どういうことか。卑近ではあるが、わかりやすい例を挙げよう。「おしっこ」は漢字で「尿」と表記するが、普段の生活で「尿」と発することがあるだろうか。

 子供に「尿、してきなさい」とは言わないだろう。こういう言葉はけっこうある。漢字というのは現代においても書き言葉としてのみ機能していることが少なくない。外国語を勉強していても、うまくニュアンスが表現できず翻訳しづらい言葉は「ひらがなの言葉」であることが多い。

 それはこの社会・文化の生活に寄り添っている言葉だからである。魂が宿っているのだ。「おしっこ」に魂が! さて、古事記は本来、天武天皇が稗田阿礼に誦習させたものである。もともと、口承性の強い作品なのだ。だが、記録に残そうとすると漢字を使わざるをえない。

 そこで太安萬侶は苦心して、上記の様な序文を書いた。具体的な例を挙げると、「おしっこ」を「尿」としたり「於此子」みたいに書いた(仮にそうだとしても、もっと言い方がないものか)。このあたり、古事記が「日本の古語・古意によって古代を語った書」といわれる由縁であろう。

 再び、デカルト先生に登場願うと、当時、学術的な文章はラテン語で綴るのが一般的だったのに関わらず、デカルトは1637年、『方法序説』をフランス語で発表した。一般人でも読めるように。もしかすると、太安萬侶にもそういう意図はあったかもしれない。誰でも語り継げるように。

 そして、当時、最新の漢文体という表記法を退け、日本の古語・古意でなければ伝わらないものがあると考えた。こうした歴史認識はなかなかできたものではないと思う。とはいっても、漢字を使わないと表現できない。そこで編み出されたのが、上記のような独創的な表記法である。

 さて、いよいよ、どうしてこんなことを書き連ねているのか、僕自身、行方不明になってきたので、話を戻そう。稗田阿礼は女性だったのかどうかである。Wikipedia にも女性説が載っており、論拠は「猿女君の末裔だから」と「『アレ』は巫女の呼称だから」となっている。

 前者に関しては「猿女君の末裔・稗田氏にも、男性の人間はいただろう」ということで尽きてしまう。舎人は巫女じゃないし。後者に関しては、当時の戸籍を参照すると「アレ(阿礼)」というのはむしろ男性の名称であるそうだ。女性であるなら、「アレメ(阿礼売)」にならないといけない。

 これはたぶん、神名の慣習に倣っているのだろう。アメノウズメノミコトも「ウズメ」である。女神には「メ(女、比売、姫)」などの字が宛てられる。特に巫女を神格化したような存在には特徴的であり、もし阿礼が女性だったのなら、なおさら「メ」は付けられていたに違いない。

 ただ、女性説が広まったということには、なにか納得できるものがあるのも事実だ。少なくとも、僕はそう思う。たとえば、文字を持たないアイヌの口承の物語のことをユカラと言うが、これはどこか女性だけが謡い、語り継いでいるようなイメージがないだろうか。

 これはその行為に先立って、シャーマンだったり、巫女のイメージが浮かぶからだろう。古来、かんなぎには男性が多いわけだけれど、どういうわけか女性のイメージが強い。実際、在野のかんなぎということになると、イタコや歩き巫女のように女性が多かったという事実もあるだろう。

 また、ヒステリー症状を起こす人は女性に多かっただろうから、いわゆる神憑り的な状態に陥るのは感受性の強い女性が多かっただろう。そうしたトランス状態が、儀式における感情的な側面としての神秘性を担っていたというのは想像できる。

 つまり、こういった民間のイメージが稗田阿礼を女性にしていった。漢文という男の学問のスペシャリスト・太安萬侶に誦み聴かせをした可愛らしい阿礼(?)が男性のわけがない! 要するに、稗田阿礼は日本史上初の「男の娘」だったのだ! だが男だ。
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by kourick | 2011-12-13 20:00 | 考察