クギレ人はクギレ人のもとにしか現れない。だから、もし、あなたがクギレ人と会ってみたいと思うなら、あなたもクギレ人になってみるしかない。しかし、自分がクギレ人になるのなら、そのときはもうクギレ人に会いたいとも思わないのではないかと、いまのあなたは疑問に思うかもしれない。いいや、そんなことはないのである。僕は自信をもって、そのように言うことができる。

むしろ、事情は逆である。もし、あなたがクギレ人になったのだとすると、あなたはいよいよクギレ人に会いたいと思うようになる。クギレ人はクギレ人に会いたがる。しかも、それだけでは済まない。クギレ人になった人は、ほかのクギレ人から会いたいと思われたいと思うようになる。この場合の理由は、少し大胆な構想力を働かせると、クギレ人ではないわたしたちにも理解できる。

クギレ人は「自分はクギレ人である」という確信をもっている。しかし、だからこそ、クギレ人は「自分は本当にクギレ人なのか」という問いを忘れることができない。あまりにも強い確信のために、その確信が崩壊する危険性をも意識しないわけにはいかないのである。だから、クギレ人はクギレ人に会われたいと思うようになる。クギレ人はクギレ人のもとにしか現れないからである。そして、ますます自分からもクギレ人に会いに行こうと思うようになる。端的に言うと、こういうことだ。

それでは、人はどのようなときにクギレ人になるのだろうか。その条件はそれなりに多様である。僕はそれを説明できる。しかし、いまその説明をしようとは思わない。というのも、僕はいまクギレ人ではないし、クギレ人ではない人間がクギレ人の説明をするというのは、実のところ、きわめて滑稽なことだからである。それでも、僕はあなたにクギレ人なる存在を紹介した。あなたもそのうちクギレ人に出会うかもしれない。クギレ人の評価は、そのときのあなたに委ねたい。

僕は一時期、クギレ人になりかけた。しかし、クギレ人になることはできなかった。大局的な視点から言うと、それは結局、僕はクギレ人ではなかったということなのである。僕の風景にクギレ人の家は建たなかった。そして、クギレ人は僕のもとにやってもこなかった。それは、僕が根底的なところでクギレ人になりたいと思っていなかったせいだろう。しかし、僕はクギレ人が嫌いではないし、クギレ人に無関心でもなかった。ただ、僕とクギレ人は、異なる空を仰いでいたのである。
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by kourick | 2008-06-10 00:00 | 随想
「猫に小判」「豚に真珠」と同じ意味合いで、ケニアには「キリンにマフラー」という諺はないらしい。ないのである。じゃあ、ほかの意味合いでならあるのか。ないのである、そもそもないのである。僕は「やはりな」と思った。そりゃあ、ないだろう。聞いたこともない。僕は以前から、ケニアにそのようなキッチュな諺はないと思っていたのである。

だが、キリンの帝国にはあるかもしれない。僕はそう思う。ケニアのキリンはいまのところ、おおむねマフラーとは無縁の一生をサバンナで送っているようである。しかし、キリンの帝国のキリンたちはマフラーと特別な関係を保ちながら一生を送っているのではないか。実のところ、その可能性はわりかし高いだろうと僕は思っている。

キリンの帝国のキリンたちならマフラーを巻いたりすることもあるのではないか。すると、キリンの帝国には「キリンにマフラー」という言葉もあるのではないか。その意味するところは、はっきりとはしない。キリンにマフラーをどうするのか。そもそも、その「マフラー」というのは、僕らの知っているあのマフラーなのか。そのマフラーは赤いのか、ちゃんとひらひらしているか。謎は残る。

しかし、そのように思い巡らせるなら、キリンの帝国になら「キリンにマフラー」という言葉もあるかもしれないというよりは、むしろ、確実にあるとしか考えられない。というか、そもそもキリンの帝国を認めるのなら、もう、なにを認めようとおかしなところはひとつもない。その通りである。僕は「キリンの帝国」に関しても説明する必要があるだろう。しかし、それは別の機会に譲る。

たしかに、もしかするといま、僕は現実化の見込みのない可能性を弄び、間の抜けた言葉遊びをしているだけなのかもしれない。その可能性を否定はしない。しかし、だとすると、もはやキリンの帝国には確実に「キリンにマフラー」という言葉が存在する。キリンの帝国のキリンというのはわりとお洒落に気を使う連中で、冬になると首筋が冷えるからマフラーを巻いたりもするようである。
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by kourick | 2008-06-08 00:00 | 随想
時計が信用ならない。僕はこれまで、たしかに時計に裏切られてきた。そして、それと同程度に、僕もまた時計を裏切ってきた。それでも、僕はこの人生の大体において、おおむね時計を信用してきたし、僕の時計に信頼も寄せてきたのである。しかし、ここにいたって、その時計がどうもはっきりしないのだ。というのも、僕の部屋にある四個の時計のそれぞれが、実に個性的な時刻を表示しているからである。

僕も長きにわたって時計と生活をともにしてきたけれど、こういうことはあまりなかった。もはや多数決による審議すら不能な事態に陥っている。もしかしたら、いまは昼なのかもしれないし、いまは夜なのかもしれない。もはや、時計は語らない。これは時計による些細な悪戯かもしれない。それはいまの僕には判断できないけれど、そのうち明らかにしないといけない問題ではある。

僕は時計の自主性をできるだけ尊重したいと常々思ってきた。だからこそ、時計を放任する傾向はたしかにあった。誤差15分、それは僕にとっては誤差ではなかった。時計の個性の範疇であった。しかし、そのような根拠のない許容が度外れてきたときに、いまの僕のような立場に人は立たされるのかもしれない。僕にとって、それはきゃっきゃと楽しめる状況ではないけれど、しかし、むかむかと苛立たされる状況でもない。

ただ、いま一度、僕は僕と時計との関係を修復する必要があるのかもしれないとは思っている。たぶん、時計の気ままな振る舞いは僕の好みを反映しているのだ。僕は時計の馬鹿正直な気ままさを好むし、時計の馬鹿正直な狂い方には憧れすらある。だから、僕は時計を「正確に」したことが一度もない。いや、しようとしても僕にはできないだろうと思う。そんなわけだから、ことここにいたっても、僕は僕と時計のどちらの時間を修正するか、大いに悩んでいるのである。
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by kourick | 2008-06-06 00:00 | 随想
気付いたら、また一ヶ月経っていた。気付いたら? まあ、そう、気付いたら。つまり、僕は気付いていなかった。だから、もしかしたら、このまま気付かないまま死ぬのかもしれないな、とか、気付いてしまったら釧路の湿原を眺めに行きたい衝動に駆られてしまうかもしれないなとか、そういうナチュラルな理不尽に身を浸らせてしまう不安に思いを巡らせることもなかった。

けれど、僕は気付いてしまった。気付いてしまうと「気付いていなかった」ということに承服させられる。このときの強迫感の度合は人によって違うだろうけれど、それが無視できないということはわかると思う。というのも、「気付いてしまう」ということと「気付いていなかった」ということは裏腹だからである。もちろん、それを「気付いていないことにする」ことはできる。しかし、もし、僕がそうしようと思うなら、僕は「気付いていないふり」をしなければならない。この「ふりをする」という対処法は、個人の内面に生じる切迫感に限るなら、なんら効力をもたない。

だから、僕がどういう対処をしようとしても、「気付いてしまった」「気付いていなかった」ということから、どうしようもない不安に駆られてしまうということはあるだろう。いや、むしろ、この強迫感に襲われるからこそ、僕は「気付いてしまった」ことに自覚的になるのであって、もし、この強迫感のようなものに僕の身体機能がいかなる異常もきたさず、判断や行為にいかなる影響を与えないのであったなら、その「気付き」は僕の日常に埋没して、僕の人生に姿を現すことなどなかったのである。

では、この不安(それは僕にとっては強迫感を伴うものであるし、人によっては昂揚感として現れるものかもしれない)はどこからやってきたのだろうか。それはもちろん、僕の内面のどこかからではあるだろう。しかし、僕の内面にその不安を惹き起こした源泉は、いったい、どこにあるのだろうか。

僕の内面や、内面以外のところにある、なにか特定の対応する事柄にその源泉を求めることはそれほど難しいことではない。また、理性と感性とを並列させて、気付きと不安との関係を個々人の心性に縒り合わせて理解することもできるだろう。しかし、そのようにして結論された源泉は、人間精神の自浄作用を大いに発揮した結果であるように僕には思われる。

実際には、第一に、そのような「明確な源泉のなさ」が不安を立ち込めさせているのであり、第二に、源泉のあるなしに関わらず、「源泉を覆い隠そうとしているのではないか、という自己への疑心」が、そうした不安を人に自覚させているのではないかと僕は思う。すなわち、不安は自ずから生まれ、不安が不安を生むのである。この点において、「不安」というのは独特な精神状態であるだろうと思う。安直な言い方ではあるけれど、こういうところに「自分との闘い」と言われるものもあるのだろう(このことは今度、話したい)。

しかし、もし、僕がこのように応答されたなら、たぶん、僕はこう訊き返したい衝動に駆られるのではないかと思う。「それで、結局、その不安なるものの源泉はどこにあって、なにがそれを惹き起こしているのか」と。繰り返そう。不安の源泉のなさが不安を立ち込めさせているのであり、不安の真正なる源泉があるかもしれないという可能性を隠蔽しようとしている自己に対する疑心が葛藤を生じさせ、不安を自覚させている。

なるほど、しかし、このように念を押された瞬間、僕は気付いてしまう。そのように不安を理解した瞬間、その不安のうちに僕はいるのか。いや、いない。もはや、それは僕の不安ではない。その理解のうちに僕はいないし、理解のうちに何者かが存在することもまたできないのだ。僕の理解は僕のうちにあり、それは僕の理解のうちに僕があるというのとは別の事柄なのである。また、僕の不安は僕の理解になにかしらの影響を与えているだろうか。いや、いない。理解の起点に不安があるとしても、それは僕の理解に影響する不安ではない。

僕は思う。不安を理解することなど、できないのだ。そして、理解できないからこそ、理解しようとしてしまう、そのときに僕を覆うものこそが「不安」なのである。僕は「不安の源泉のなさ」を指摘した。これはそのことの直接的な帰結である。所在のない言語化不能ななにかを、どうして理解できるだろうか。厳密に言うと、理解できないとすら言うことができない。むしろ、理解しなければと思ってしまうことと「不安の源泉のなさ」の斥力に翻弄されている状態こそが、不安の影響下にあるのである。求心的に言語を寄せ集める理解に反して、遠心的に言語を引き離し、あやふやなものにしてしまう働きにこそ不安がある。

しかし、不安のその不安定さは「理解しようと思うなら、理解できてしまう」ことにある。そして、その表面的な対処こそが、不安の本質的な解決でもある。それは結局、なにも解決しないのではあるが、そのようにして不安を飲み込むことはできる。そして、だからこそ、不安に飲み込まれている人は自分の不安を解消することができない。なぜなら、自分にそのような不安を自覚させているものは「自分は不安の真正なる源泉を覆い隠そうとしているのではないか」という疑心だからである。

だから、僕は何度でも尋ねよう。不安とはなにか、と。そして、何度でも応えよう。わからない、だからこそ不安なのだ。しかし、僕はいまこう思うし、たぶん、それこそ不安であろう。こうやって、不安とはなにかという問いに埋没することで、なにが不安なのかという問いを曖昧してしまうこともあるだろう。それは飲み込むか、吐き出すかしなければならない。そして、その実例がまさにここにある。そうやって、隠していないものを明らかにして、埋めていないものを掘り起こしながら、入ったことのないところから出てゆくまで生き続けるというのも、なかなか趣深いものだろう。
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by kourick | 2008-06-05 00:00 | 日記