新しい単語というと「アクセス津波」という言葉も最近、わりと使われている。最初、僕はこれを「アクセス剛掌波」のことだと思っていたのだけれど、改めて考えてみると、ちょっと違う。アクセス津波は「津波」の名のとおり、大波小波のアクセスがわりと長期間に渡って押し寄せる現象だ。

 どういう仕組みでそうなるかというと、そのアクセスを受けるサイトが個人ニュースサイト間を滑りながら、時間をかけて伝播することによって生じる。だから、「大波」「小波」というのは、各サイトからのアクセスの多さに応じて生じている。実に当たり前のことだけれど、こういうことになっているのだ。

 それでは、「アクセス剛掌波」はどういうものだったろう。特定のサイトに大量のアクセスを誘導するというところは「アクセス津波」と同じなのだけれど、本来的な「アクセス剛掌波」というのは「文中リンクによってアクセスを誘導する」のが特徴だった。だから、文中での扱い方によって「アクセス剛掌波」は「ネガティブなもの」と「ポジティブなもの」に区別される。

 これは 斬鉄剣 という(バトル系)テキストサイトが発祥で、通常は「ネガティブアクセス剛掌波」という一種の攻撃手段として使われていた。つまり、「アクセス剛掌波」というのは、影響力のある個人によって価値付けされたリンクから、相手のサイトにアクセスを流し込むものだ。

 ここまででわかるとおり、「アクセス剛掌波」はテキストサイト文化から生まれ、「アクセス津波」は個人ニュースサイト文化から生まれた、特徴的な現象と言うことができる。そして、去年あたりに注目されていたのは、やはり「アクセス津波」のほうですね。
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 アクセス津波 というのは、ニュースを扱う個人サイト(いわゆる、個人ニュースサイト)の影響力(主にそのサイト数)の増大に伴って現れてきた現象ということができると思います。ある時期(多分、2005年あたり)から、様々なサイトがニュースサイト化し始め、そして、ニュースサイトがテキストサイト化し始めた時期に生まれた現象じゃないかな。

 ニュースサイトのテキストサイト化というのは、わりと以前からいっているけれど、TricksteR のぢぢさんの主催した「酒に溺れてへべれけ友の会」あたりから、個人ニュースサイト群を取り巻いている雰囲気がちょっと変わったなという印象はあります。そのようなわけで、2004年の9月は重要だったのかなと思っています。

 ちなみに、GLOCOM において「2ch の終焉」が語られるのが 2004年10月31日。2004年になった段階で 2ch はかなり無害化されていたように思います。要するに、もはやアンダーグラウンドな場所というわけではなくなっていました。殺伐としていて、ウィルス、ブラクラ、グロ画像が当たり前のように乱れ飛ぶようなところではなくなってきていた。

 僕にとっては 2003年7月1日の ダークマター 閉鎖が決定的でした。悪名高い「ネットwatch板」の実質的な終焉とともに、2ch は浮上した印象があります。つまり、僕にとっての「2ch の終焉」は「テキストサイトブームの終焉」と連動しています。また、それより少し前の同時期、俺ニュース が閉鎖します。 2003年5月31日。

 そして、雨後の竹の子といわれる個人ニュースサイトの乱立。 2003年10月。あまり語られないけれど、このとき、「個人ニュースサイトブーム」はあったと思います。2004年から2005年にかけて、個人ニュースサイト間のやり取りはとても多かったし、この時期に「個人ニュースサイト界隈」というような場と文化はできあがったのでしょう。
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by kourick | 2007-08-31 00:00 | ネット
・ everything is gone が縦に伸びていることに気付きました。以前は(たしか)二日分だったけれど、いまは五日分ストックされています。最近はもう、ニュースの速報性はあまり重視されないので、一週間前のネタも普通に載せることができるようになったのはすごいことです。いま思うと数年前の個人ニュースサイト管理人は過酷な状況のなかでサイトを更新していたなと思う。まあ、いまはいまの、違う厳しさがあるけれども。

・ Interview with Webmasters のエントリが地味に増えている。とても面白い。正直、自然消滅すると思っていたので、あまりチェックしていませんでした。どういうサイトなのかを簡単に説明すると、TEXTILE POP の個人ニュースサイト界隈版です。てっきり Diary of Hopeless Sinner の管理人さんがインタビュアなのだろうと思っていたのだけれど(「犬」さんだから)、もしかすると違うのかもしれない。
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by kourick | 2007-08-30 00:00 | ネット
FE暗黒竜と光の剣。ラディとジュリアンは全然育たないし、ゴードンを育てようと思っているのに詐欺師のカシムばかり育ってしまう。それと比較して最終的にグラディウスも持てるドーガの頼もしさといったらない。むしろ、聖戦の系譜においてアーダンをあれほど不要なキャラにできるのはすごい。
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by kourick | 2007-08-30 00:00 | 日記
FE聖戦の系譜を先日クリア(三週目)。FE暗黒竜と光の剣(二週目)をちまちま始める。港町ワーレンの闘技場にて、オグマ、死す。初めてオグマを育てようと思っていた矢先の不幸に10秒ほど呆然とする。よりによってワーレンで殺してしまうとは……すまない、オグマ、僕は眠たかった。増援部隊を殺し尽したあとのため、リセットしないまま続行する。これを機会にラディを育ててみようと思う。君、ちょっとナバール先生に学びなさい。

夜中、友人に連れられて「斉藤ファーム」に行き、珈琲を飲む。
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by kourick | 2007-08-28 00:00 | 日記
楽屋落ちから始まり、普通に面白かったです。声優陣も豪華だし、脚本・演出・作画のどれも(無駄に)クオリティが高いです。レイズナーのパロディには爆笑しました。
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by kourick | 2007-08-28 00:00 | アニメ
10人程度に覗かれることを目標にして、死力を尽して頑張りません。
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by kourick | 2007-08-27 00:00 | 日記
書き始めたのに最初のところだけ書いて中途半端に放置してしまいそうでしたけれど、どうにかこうにか続きです。

011. 『さよなら絶望先生』(久米田康治)
Webでの知名度の高さに定評のある鬼才・久米田先生の作品。今期、とうとう念願のアニメ化もされ、新房昭之監督ひきいるフリーダムなスタッフたちの演出によりアニメも面白いです。『週間少年マガジン』で連載しており、さまざまな小ネタの盛り込まれた漫画を毎週描いていることに僕は感嘆するのですが、僕の周りではあまり久米田作品を読んでいる人がいなかったので、友人と漫画の話をするときにはその面白さを仄めかしていました(隠伏的布教活動)。「毒」といっても、久米田先生の毒は「いわれてみたら、たしかにそういうところあるよね」というような奇妙な説得力をもった気付きを促すもので、ある種のカタルシスを読者にもたらします。少し距離をとって物事を斜めからみるのが好きなオトナにとって面白い作品という感じかな。あの突拍子もないストーリィ展開とそこから畳み掛ける頭の柔らかい小ネタの連打(あと女性キャラクタの可愛さ)に僕は魅了されるのですが、人によっては全然面白いと思わない(し、読むのも面倒臭いと思う)人もいるみたいで、そのあたりの落差の大きさも特徴的でしょうか。ちなみにアニメ版絶望先生のOP&EDは2007年後期のアニメ中もっとも印象深いものです。

012. 『るくるく』(あさりよしとお)
夏100に参加しているサイトをちらほらとみてまわったところ、あさりよしとお作品では『宇宙家族カールビンソン』『ワッハマン』ないし『夏のロケット』『細腕三畳紀』といった作品を挙げているところが多かったように思います。作品数の多いこともあってか好きな作品も分散する傾向にあるみたいなのですが、それはそれとして、ここはやはり、僕はこう言いたい、「瑠玖羽かわいいよ瑠玖羽」と。そして僕は問いたい、どうしてきみたちは瑠玖羽の可愛らしさにやられていないのかと。性格・容姿ともに絶妙のキャラクタデザインで、『るくるく』は久々にキャラクタに瞬殺された作品です(思う壺)。あの達磨様ソックリのオヤジから、あの可愛らしいキャラクタが生まれたのかと思うとむしろ作家萌えすらします。特に自由自在に使役できる髪の束(瑠玖羽のもつ潜在的な力の象徴)は好きで、翼状になって飛ぶシーンは格好良いし、腕状(レイレイの爪みたいな感じ)になって便利に使われているさまは可愛らしい。ちなみに足首もちゃんと太いです。

013. 『花子と寓話のテラー』(えすのサカエ)
『未来日記』とどっちかなと思ったのですが、もう連載が終了しているということとタイトルの良さで『花子と寓話のテラー』を挙げました。「寓話探偵の寓話化」とか、「寓話」という響きは独特の雰囲気があって秀逸だと思いました。「物語」「虚構」「都市伝説」「妖怪」とかいろいろ言いようはあるわけですけれど、この作品では「寓話」です。普通、妖怪の類(ないし異界の存在者)の登場する作品は、そういう妖怪の存在は前提されているか、あるいは人間の精神活動を具象化したものとしてさも存在しているように扱われているか、のどちらかが多いと思うのですが、この作品では「妖怪的な登場人物たちの存在」は「作中で物語られるということ」と密接に結び付いています。イメージが具現化するとか、精神的エネルギィが物理的エネルギィに転化するというような仕掛けはいまやそれほど珍しいものではないですが、「物語るという行為」と「物語られる対象の実在」がリンクしているという仕掛けは僕にとっては目新しいものでした。この仕掛けのおかげで作中世界の「現実感」というものは、実のところ、かなり不安定なものになっています。しかし、この不安定感があるからこそ、ああいう感動的な(通常なら掟破りとか言われかねない)大団円にできるわけですし、あの不安定な現実感というのは現代的な若者の感覚というのを掬い取っているとも思います(端的に言うと、「自分にとって」リアリティの強いものこそ「本当に」存在しているものであるという感性)。ちなみに、実はタイトル自体が伏線になっていて、その回収が最終回直前という気の長い仕込みにはけっこう驚きました。複雑な物語構造になっています。
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それでは引き続き、五作品を。

006. 『それでも町は廻っている』(石黒正数)
この位置にこの作品があるのは主人公の嵐山歩鳥を『よつばと!』の綾瀬風香から連想したからだと思います(変わった柄のTシャツを着ているところとか)。歩鳥の学校や商店街での奇想天外な言動や、タッツンツンおよび真田の恋愛模様もさることながら、メイド喫茶シーサイドのマスター、こと、ばあちゃんが歩鳥を子供の頃から可愛がっていたり、夜になると喫茶シーサイドが商店街の不良中年たちの溜まり場になっていたりと、歩鳥たちを取り巻いている大人や子供たちの人間同士の付き合いが、家とか町といったものの温かみを感じさせて楽しいです。ミステリをやったり、SFをやったりと話のバリエーションも豊富。台詞や絵柄のパロディも多いので、そういうのに気付いてにやにやするのも面白いです。

007. 『シャーリー』(森薫)
13歳少女メイド「シャーリー・メディスン」の登場する物語(五話)と、読み切り短編二作がまとまめられたコミック。どうして『シャーリー』なのかというと『エマ』を選ぶのは芸がないかなと思っただけで、それほど特別な思い入れがあるわけではないのですが、「13歳少女メイド」という字面にびびっときた人は読むと確実に幸せになれます。『エマ』第一巻で眼鏡を外すシーンに一頁使っていたり、『エマ』第三巻でメイド服を着るシーンに二頁使っていたりしていて、「そこが大事なんです!」と作者の興奮するさまがあとがきで描かれたりしていましたが、『シャーリー』ではなんと「スカートがぶわっと広がる」ことにシャーリーが感動するシーンに四頁使っています。あれにはさすがにやられました。本当に作者は女性なんでしょうか。ちなみに『エマ ヴィクトリアンガイド』は本当に勉強になります。断言できるわけではないけれど、『エマ』は資料性の高いマンガでもあるように思います。

008. 『謎の彼女X』(植芝理一)
『ディスコミュニケーション』が謎の彼氏だったのに対して、今度は謎の彼女の登場。好きな子のよだれは甘い。というわけで、まだ一巻しか読んでないので迂闊に感想をいうのは危ういですが少しだけ。『ディスコミュニケーション』で画面を埋め尽すほどに描かれていた神秘的なオブジェはかなり減っていて、あの細部まで書き込まれた緻密な世界も夢のなかで描かれるだけに留まっています。また、象徴的な表現もかなり減っているのですが、不穏な空模様と陰の落ちた町並み、そして「丸い夕陽」は(おそらく意図的に)かなり頻繁に使われています。あの独特の雰囲気のなかで、いまのところいちおう普通の日常を送っている二人が、どういう風にお互いの距離を理解し合いながら二人だけの関係を構築していくのかとても楽しみです。ちなみに、第一巻のあとがきが面白かったのでちょっと引用。
十七歳の少年に彼女ができるという状況は、実は、いわゆる「ロボット・アニメ」における状況に近いのではないか、と思うのです。少年が、巨大ロボットという圧倒的な存在の操縦者となることによって始まる、歓喜と戦慄の日々。少年が、女の子という圧倒的な存在と両思いになることによって始まる、喜びと戸惑いの日々。少年が未知なるものと出会い、新しく開かれ始めた世界の中で右往左往するという点において、この二つは似ているのではないか。

009. 『アイドル地獄変』(尾玉なみえ)
本当は『少年エスパーねじめ』を挙げたかったのですが(いちおう)週間ジャンプ連載だったので『アイドル地獄変』を挙げました。僕はもうホントにホントに『純情パイン』も『スパル・たかし』も『ロマンティック食堂』もとにかく尾玉なみえ作品はどれも大好きバッチコイなのですが、どういうわけか全然連載が続きません。いいかげんにしろ。どう考えても面白いと思うのだけど、こういう作品は流行らないのでしょうか。みんなもっと応援しよう。

010. 『デトロイト・メタル・シティ』(若杉公徳)
デスメタルの類稀なる才能に恵まれた本当はオシャレなバンドをやりたい根岸君の成功と苦悩の日々を描いた音楽ギャグマンガ(たぶん)。ネットで話題になっていたので読み始めた作品です。話の面白さはいろいろなサイトで紹介されているので、僕が個人的に感じたことを少し。この作品を読んでいると「自分のやりたいと思ったことをやるのは良いことである」という日常的には肯定される命題に隠された身勝手さを考えさせられます。根岸君は明らかにデスメタルの才能に恵まれており、実績も残していて、カルト的な人気もあり、実は自分の曲に誇りを持ってもいる上、嫌々ながらも「仕事として」デスメタルをやっているのですが、素に戻った(メイクを落とした)ときにはどうしても自分がクラウザーであるという事実を承服できないわけです。しかし、根岸君はファッション・メタルとも感じられなくて、クラウザーさんはやはり根岸君の暗黒面として、あるいみで確かに本物の根岸君であるように思われるわけです。それなのに根岸君は都合の良いときだけクラウザーに化けて、普段はその自分を否定して周囲の人間に迷惑をかけたりもします。わからないではない、わからないではないけれど、どこか往生際が悪いように感じます。そういうわけで、どうも僕は根岸君の毎回の苦悩に笑いながらも、根岸君に共感や同情はできなかったりします。
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余裕があったら感想も書きたいな(願望)とか書いていたので「どうせ書かないだろ」とか思っていたと思いますが、残念、それは私のおいなりさんだ。そういうわけで少し感想を書いてみたいと思います。最初のほうは「ほわっ」とした作品が多めとなっております。

001. 『スミレ17歳!!』(永吉たける)
身分不詳のオヤジが操るキュートな女子高生スミレ(という人形)の周囲で繰り広げられるドタバタ。というか、むしろオヤジ。スミレはオヤジに操られていて(しかも片手で!)、スミレの内面は実はまさにオヤジなわけで、オヤジ自身の描写もおよそスミレと関連するところでしか描かれないなか、第11話の終わりにオヤジのポケットからビールと枝豆を買ったレシートが落ちたときには(笑いながらも)なにか感動するものがありました。実はなにかしらの権力者なのだろうと思っていたのに、実に庶民的な晩酌をしているオヤジ。何者だ、オヤジ。ちなみに、『スミレ16歳!!』も好きです。あまり長期連載向きではないのではないかなと思っていたので、このあとどうなるのか楽しみです。

002. 『妹は思春期』(氏家ト全)
どこか爽やかさの漂う下ネタ四コマ。『妹は思春期』は連載中はあまりちゃんと読んでいなかったのだけれど、コミック(全九巻)をまとめ読みして「これだけ下ネタを繰り返すのはすごいな」と感動した作品。学校が舞台になっているのですが、妹や生徒よりも教師連中(特に小宮山先生)のネタのほうが僕としては面白い。これは『女子大生家庭教師 濱中アイ』(全六巻)でもそうで、中村リョーコのような非常識なオトナたち(ないしリンコ)の自由奔放な発言に、常識的な節度をもった周りの人たちがツッコムさまが好きだったりします。

003. 『みつどもえ』(桜井のりお)
丸井家三つ子三姉妹(六年生)を中心に小学校で繰り広げられるドタバタ。微エロというか微ロリ。というか、パンツ。コミックのしかも二巻から何気なく読み始めたのだけれど、チャンピオンで連載ということに気付いて妙に納得した作品です。最初に挙げた10作品のうちだと、もしかすると読んでて一番疲れる作品かもしれない(良い意味で)。

004. 『みなみけ』(桜場コハル)
タイトルどおり「南家」三姉妹の日常を描いている作品。和む。ヤンマガを立ち読みしていて「やけに白い」と紙面の白さに驚いたのが出会い(背景がない)。だけど、面白い。特に間の取り方が好きなのだけれど、動きのない画面の連続で場面が展開されているので、読み始めたころは少し読み辛かった記憶があります。驚いたときに顔の周囲に描かれる王冠みたいなマークも、最初、それが意味していることに気付きませんでした。というわけで、図らずも僕のマンガ・リテラシが向上させられた作品でもあります。ちなみに脇キャラでは保坂先輩が好きです。にざかな『B.B.Joker』の修のように、格好良いはずのキャラクタが大真面目にアホをやっているさまはどこか胸を打つものがあります。

005. 『よつばと!』(あずまきよひこ)
ちらほらと他のサイトのナツ100を覗いたのだけれど、だいたいどこのサイトでも『よつばと!』は挙げていたような気がします。実際、圧倒的に面白いと僕も思うし、一読して「面白い」そして「素直にすごい」と思った稀有な作品。決して特異なわけではないのだけれど、台詞回しや状況の描写に独特のユーモアがあって、不思議と爆笑してしまう場面も多いです。しかも、笑わせながらも、どこか郷愁を誘うものがあるから泣けてきます。個人的に、島本和彦のいう「誰も傷つけない笑い」とはこういうものかと思ったりしています。あと余談ですが、『よつばと!』のコマの中身は決して登場人物の視界にはならないという考察がどこかのサイトでされていたと思います。つまり、読者は登場人物に感情移入して物語に参入するというよりは、登場人物たちの日常を覗き見ているという仕方で物語に接近する仕掛けになっているという考察で、実に感銘を受けた記憶があります。
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