まとまった内容を書いている余裕がないのだけれど、僕が感じたことをスケッチしておきます。

右傾化と右化
Webの意見は右傾化していると聞きます。なにをもって「右傾化」とするかは個々人の心証によるところが大きいとも思うけれど、「右傾化している」という意見は当然ありうるだろうし、僕はもっともだとも思う。ただ、僕は「右傾化」はたしかにしているかもしれないが、「右化」はしていないと思っていて、戦後日本において左傾化していたものにカウンターを与えるという仕方で、いまの状況は(全体的には、すなわち、選好に順序付けできるとして、同時代に生きる人の意見の総和をとったなら)、そこそこ釣り合いがとれている状況だろうという見方をしています。

ただ、これからはちょっと違ってくるのではないかと思っています。非常に単純化した話ですが、幼い頃からWebに触れ、「右傾化した」意見を「本当のこと」として受容して育ってきた人が現れたとき、つまり、嘘を嘘と見抜けないと難しいと言われるネタ文化に浸りすぎて、ネタとガチの区別をしっかりできない人が現れたとき、(それだけの洗脳力がWebにあるとしたら)日本は右化し始めるのだろうと思います。そういう問題意識を背景にして、僕が問題だなと思っているのは次のことです。

意図されていない主張の総意
単刀直入に言うと、(少し話題の飛躍を感じる人もいるかもしれないけど)「2ch blog の影響力はどの程度あって、もし影響力がそれなりにあるのだとしたら、その 2ch blog の管理人の編集責任なり、社会的な倫理性はどの程度問われなければならないか」ということです。もちろん、道義的責任といわれる範疇での話だけれど。

ちなみに、僕はここで「個人の意見」と「大衆の総意」というのを対比して使っています。つまり、個人の blog で示される意見を「個人の意見」としたときに、2ch blog 等で示される意見(のようなもの)は「大衆の総意」として把握されるだろうということを仮定しています。少なくとも、「大衆の総意」として把握されてしまう可能性はわりとあると僕は考えていて、その場合の危険性は(特に若い世代に)大きいだろうということを仮定しています。

ここで非常に特殊であると思われるのは、「2ch blog における意見が、コンテンツとして意図されていない発言に基づいている」ということです。通常、個人の blog で書かれる意見はその発言内容に責任を負っています。しかし、2ch に書かれる意見は、それに関して責任を負わなければならないような発言内容としては意図されていないと思います。

しかし、それが 2ch blog という媒体を通すことで、あたかも大衆の総意としての姿を現すわけです。そのときに、大衆の意見をどのような姿として描出するかは、その blog の管理人次第です。僕はここのところに少し恐さを感じるし、逆に言うと、Web になにかを書こうとするとき、それがたとえ 2ch のような場であったとしても、その発言にはある程度の責任があるという自覚を個々人がもつことが大切なのではないかと思うことがあります。

Web における人のあり方
そもそも、2ch が匿名性に関していかに特殊で恵まれた場なのか(場であったのか)を知らない人が、ここのところ多いような気もします。有名性を喪失して自分の発言内容に関する優越性を放棄することは、匿名性を獲得して自分の発言内容に関する責任を放棄することでもある。こういう、ある種のわかりやすさを前提にした足の引っ張り合いの底流にある勝ち負け構造が有している歪みはところどころで散見できて、それが翻っては馴れ合いを助長して衆愚化している気持ち悪さを僕は感じます。

もちろん、こういうことを言うことによって、Web という発言の場にいま以上の(法的な)規制を設けなければならないとか、やはり人間というのはそもそも汚いもので性善説に基づいた構造がいけないとか、出る杭を打つのは日本人の気質に関わることで、そもそも日本社会の構造からして Web に向いていないとか、そこまでのことを言いたいというのではなく、もっと素直に、いま僕とあなたのいるこの Web という場における人間のあり方に関して意見を訊いてみたいというのが、僕のこのエントリの眼目です。
[PR]