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暇なときは大野池でカモを眺めたりする。十月になり気温も下がったので池の水も冷たかろうと思ってカモさんを眺めていたら「あぁん!? んなこたねぇよ!」とあの温厚なカモさんに凄まれた。よほどカモさんのプライドに触ったらしい。

おかしいよね、まだなにも言ってないのに。
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by kourick | 2006-10-18 00:00 | 画像
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(上図)やる気満々のシシャモな方々。

通常、食卓に並ぶシシャモは「カラフトシシャモ」というもので「いわゆる本物のシシャモ」とは異なる種類の魚だったりする。北海道の太平洋側の河にしか生息していないのが正しいシシャモですということで友人に誘われて鵡川に行き、焼きシシャモ、シシャモ寿司、シシャモ汁を食してきた。美味い。お土産に適しているかもしれない。なるほどの味と値段である。

(下図)やられきったシシャモな方々。
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by kourick | 2006-10-14 00:00 | 画像
 「ネギま!?」の初回を観ました。第一期がまるまるなかったことになっていることに苦笑しつつ、猛烈な「ぱにぽに」化にちょっと興奮する。メタデータをコンテンツに埋め込むという手法は非常に現代的だなと注目しています。

 舞台装置やキャラクタの説明といったある種のメタデータを作品に被せることによって、作品自体が作中作になっているという引いた姿勢になっている。この作品は、そうやって引いたところにできた隙間で、制作スタッフが「作品をいじる」ところに面白さの核心があるのだと思う。

 そして、作品と制作スタッフとの隙間に、オタクネタを共有して消費するという仕方で視聴者が共犯関係をもって入り込むことができるというところにインタラクティヴな面白さの源泉があるのだろうと思う。だからたぶん、コアな視聴者(オタク的なデータベース)じゃないと、いまいち楽しめない。

 ただ、31人という大人数を手際よく消化するには効率的な手法かなとも思った。というのも、観客は作品を直接に観ているのではなくて、メタデータ込みの一枚フィルタを噛ませた説明付きの作品を観ているため、情報量が非常に多いからです。

 その代わり、この手法をとると感情移入の度合は大幅に下がるように思う。つまり、この作品はドラマを見せるというようなタイプの作品ではないということですね。だから、映画にはできないようなエンターテイメント作品と言うことができると思います。

 まあ、なににせよ個人的にはクーフェがアルアル言いながらよく動いていたのでオッケー。「らんま」のシャンプーしかり、「銀魂」の神楽しかり、「ブラックラグーン」のシェンホアしかり、胡散臭い日本語を使う中国人が大好きです(シェンホアは台湾人という設定だけれど)。
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by kourick | 2006-10-10 00:00 | アニメ
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花の美しさを否定することは(風が吹いたときに桶屋が儲かるようにして)女性の女性らしさを否定することだと友人が言うので、なるほどと僕は思い「でも、花は気持ち悪いよ、蝶はもっと気持ち悪い」と応じた。

すると友人は「女性らしさの美しさの気持ち悪さは僕も認める、その上、女性らしさの美しさの気持ち悪さが蝶のようだったとしたら、僕はもう筆舌に尽し難いものを抱かざるを得ないね」と首を振って「でも、僕は気持ち悪いものが好きなんだ、筆舌に尽し難いものならなおさらね、君だってそうだろう?」と言った。

いや……。
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by kourick | 2006-10-08 00:00 | 画像
 八月に『論考』を精読しました。使ったのは1921年のオグデン対訳版を底本に、1961年の新訳、1968年の坂井秀寿訳、1975年の奥雅博訳、2001年の黒崎宏訳、そして2003年の野矢茂樹訳です。
L.Wittgenstein, Tractatus Logico-Philosophicus.
London: Routledge and Kegan Paul, 1922.
L.Wittgenstein, Tractatus Logico-Philosophicus.
Translated by D.F.Pears and B.F.McGuinness.
London: Routledge and Kegan Paul, 1961.
坂井秀寿 『論理哲学論考』,法政大学出版局,1968年
(1922年初版本の全訳)
奥雅博 『ウィトゲンシュタイン全集1』,大修館書店,1975年。
(1961年の全訳)
黒崎宏 『『論考』『青色本』読解』,産業図書,2001年。
(1922年初版本の独語部分の全訳)
野矢茂樹 『論理哲学論考』,岩波文庫,2003年。
(1933年改訂版の全訳)
 どうせだから、『論考翻訳集』 を作ろうとデータをPCに打ち込みながら読みました。A4サイズで300頁という大部になりましたが、内容部分は完成しています。あとは図を作り製本するだけです。同人誌ですね。

 ただ、著作権的に真っ黒のため、門外不出です(笑)。これに残る三種類の邦訳(全訳)と、仏語訳と二種類の中国語訳を付け足した 『超論考 ~論考翻訳集完全版~』 というのも作ろうかと思っています。
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by kourick | 2006-10-06 00:00 | ○学
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 月に表裏があるらしいと知ったのは小学三年生の頃だ。月の自転周期と公転周期が同じなため、地球からは月の裏側を見ることができない。だから、僕たちはいつも月の表側しか見ることができないそうだった。なにを妙なことを言っているのだろうとそのときは思ったけれど、図鑑には月の表側の画像と裏側の画像が並置されており「なるほど、これが月の表と裏か」と僕はそれで納得した。

 そのあと僕は「目蓋の裏は見ることができない」という問題を考えることにした。それは逆であるように僕には思われた。僕には目蓋の裏しか見ることができないのではないか。目を瞑ったとき、僕は確実に目蓋の裏を見ているはずだろう(もし「見る」ということが「目蓋を開けて見る」ということなら僕は絶対に目蓋の裏を見ることができない。「目蓋の裏を見ない」ということが「見る」ということになってしまうからだ。そしてこのとき、僕は目蓋の裏どころか表も見れない)。

 目蓋の裏は見れる、しかし目蓋の表は見れない。これが僕の結論だった。目蓋の表をどうやって見ることができるだろう。そこで僕はハッと閃き、鏡を覗いて目蓋の表(=目蓋)を見ることにした。しかしそれでも目蓋の表を見ることはできなかった。やはりと思った次の瞬間またも僕はハッと閃き、片目を閉じて鏡を見た。そこには自分の目蓋の表があった。そうして僕は目蓋の裏と表を同時に見ることができるということに満足し、歯を磨いて寝た。
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by kourick | 2006-10-04 00:00 | 画像
11時頃起き、お湯を沸かすと友人からもらったハワイの珈琲を淹れる。「ハワイの一番ランクの低い豆だけどけっこう美味しいよ」という友人の発言はあたっていた。けっこう美味い。この「けっこう」が大切だ。美味しかったですと報告したら、多分「そうかなあ」と首を捻られるだろう。

実際のところ、拍手喝采、目から鱗、棚から牡丹餅、猫に小判、かもねぎかもねぎという具合に脳内秘密基地がごった返すほど美味しいというわけでもない。素直が一番だ。マニアと呼ばれる人たちには、本来、程度の問題にはなり得ないパラメータにも個人的な尺度が存在する。通常それは「こだわり」と呼ばれる。こだわりの近い人ほどマニアの世界では息が合いやすい。こう書いてみると気持ちの悪い世界だ。

今日の演習が何時からなのかを確認。14時45分からだというので服を着替えてウェブを眺める。もちろん眼鏡も掛けたし、顔も洗った。ちなみに眼鏡を掛けたのは顔を洗ったあとだ。顔を洗う前に眼鏡を掛けるとじっと手を見てしまいそうだから、顔を洗うときは眼鏡を外すことにしている。

大学で発表論文を二本聞いて感嘆する。皆、頑張っている。僕も頑張っているふりはしている。つまり、あの場には頑張っている人間しかいなかった。頑張ってい(るふりをしてい)ればとりあえず叱責されることはない。努力した人が報われる社会というのは、そういう怪しい人間をいまより増加させることだろう。成果を挙げた人間に努力している人間を含め、努力しているつもりの人間も優遇しましょうということ。日本というのは優しい国である。

そのあとスマリヤンのロジックを読む。コンパクト性定理の完全性を用いない別証明を構成する。スマリヤンはときおり記述が飛躍するけれど、論証の間を埋めるとわりとエレガントな記述だったことがわかる。一般的にこういう現象を「わかり辛い」という。ここで「君はわかり辛いことがわかるほどちゃんと理解できているのか」と指摘する人のことを「性格が悪い」という。難解な記述だと困るけれど、わかり辛い記述が困るのは「わかってしまうまで」なのでこれはこれでいい。書いているのがスマリヤンだと思うと我慢もできる。

19時30分頃、教師の友人が「どうしても遠いところに行きたい」と自動車で僕を拉致して中山峠まで走る。どうやら精神的な「燃料切れ」らしい。先週の金曜日も飲みに付き合ったばかりだと思ったけれど。当然、売店も開いておらず揚げ芋は食せなかった。このまま洞爺湖に行こうというのをなだめたところ、そのまま小樽に連れて行かれ、石狩を回り、帰宅。そしてさっきから日記を書いている。長い。もう日記はやめよう。
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by kourick | 2006-10-04 00:00 | 日記