巫女さんの袴はどちらがいいかぬるヲタが斬る
 http://nuruwota.blog4.fc2.com/blog-entry-746.html

 行灯袴はわりとマイナーだと思っていたのだけれど、むしろ多数派みたいですね。たしかに、時代劇で女性が付けていたりするのは行灯袴なことが多いように思います。

 もともと、行灯袴というのは町人の付けていた前掛けが原型になっているので、こちらのほうが女性らしい印象を受けるというのもあるかもしれません。ちなみに、現在、弓道などで付けられるのは男女とも馬乗袴です。

 【追記】 もしかしたら女性は行灯袴かもしれません。あるいは見た目が行灯の襠有袴かも。いずれにしても、機能性や伝統的な体配を考えると馬乗のほうが理に適っているように思いますね。

 ちなみに「いかがわしいことのしやすさ」は、行灯袴も馬乗袴も五十歩百歩だと思う。いや、たしかに「いざ!」というときには馬乗袴のほうが少し面倒なことになるかもしれないけれど、逆にそのもどかしさに燃えるということもあるかもしれない。いや、これは難しい問題ですよ。
[PR]
by kourick | 2005-09-23 00:00 | 考察
ネタ記事の紹介の仕方と、その反応リンク集

かーずSP戯れ言 さんとその母屋 かーずSP さんより。この問題は 虚構新聞社 さんの閉鎖騒動あたりからホットなテーマです。

僕としては、嘘ニュースの「紹介」ということ関していうとやはり「これは嘘ニュースだ」と表記するか、少なくともそのことを仄めかす必要があるかなと思います。そもそも嘘ニュースがなぜ面白いかというと「それが嘘だから」ではないでしょうか。実にもっともらしい嘘だ(と読む側が理解している)からこそ、それが皮肉になり風刺になるわけで、嘘ニュース制作者さんたちの目論見も「人を騙すこと」にあるわけではないはずです。

ですから、その嘘ニュースを見る前に「これは嘘ニュースだ」と知っていることは、なんらそのニュースの価値を貶めるものではないのではないと僕は思います。むしろ、それが「嘘ニュースだ」と知らずに読むほうが「嘘ニュース」の魅力が半減されているのではないかと思うわけです。まあ、いずれにせよ、「紹介」という点でいうと、それはやはり「嘘ニュースは嘘ニュースとして」きちんと紹介したほうが良いと思います。

<追記>
上記の話題に関してもう少し。この問題が厄介なのはウェブに「ネタ文化」と呼ばれるものがあったり、同時にそれに反対する「硬派なガチ・ユーザー」がいたりするからです。その上で、玄人と素人との「情報の取り扱いに関するスキル」だったり「空気を読む力」の差があったりで「そんなことに騙されるなよ」とふと思ってしまうようなことにも「実際に騙されてしまう人がいる」という事情が絡み合い、面倒なことになっています。

また、より根源的には「嘘は何故いけないのか」といった問題もあるでしょうし、逆に「正しい知識とはなにか」という問題もあります。というわけで「わかっている人だけわかっていりゃいいじゃん、騙される奴が悪い」という安易な結論になりがちなわけですが、やはりそういうわけにもいかないでしょうね。
[PR]
by kourick | 2005-09-05 00:00 | ネット
 僕の部屋の窓はカーテンに隠され、僕の視界は閉ざされていた。昨日の夜からずっとである。さてこうなると、僕は「五月の親父」のことを話さないわけにはいかない。それは一年前の九月のことになる、僕は菊を持ってとある墓地を訪れた。そこに彼はいたのである。水汲み場の長椅子に静かに腰掛け、背筋を伸ばして両手を膝の上で組み、幸の薄そうな中肉中背の壮年男性はじっと目を閉じ風景の一部になっていた。僕が木桶を使って水を汲もうとしていると、

「サツキというのです」

 ふと、その男が言ったのだった。僕が「はあ」とか「なるほど」とか言いながら振り返ると、彼はすっと目を開け、正面を向いたまま「私はサツキの親父です」と名乗ったのである。僕はまず「サツキ」を知らなかったし「サツキの親父」ともなるとますますなにも知らなかった。ただ、そう名乗った男はともかく「サツキの親父」なのだった。僕はサツキの親父の横に座り、ぼけらと墓石を眺めることにした。まさに残暑という日和で、薄青い空と緑色の針葉樹林と灰色の墓石を見渡しながら正体不明の男とぼけらとするには、そう悪くない日だった。

 数分後、サツキの親父は「子供の名前に親の願望を込めてはいけないと私は思います」と呟いた。僕は三十秒間、いろいろな想像を膨らませたあとに「どうしてですか?」と尋ねた。するとサツキの親父が「それっていうのは迷惑なのだと思うのです」と言うので、僕は「そういうものですか」と呟いた。それから数分後、サツキの親父は「寂しいことだと思われますか」と僕に尋ねるように呟いた。仕方がないので、僕は「いや、そうは思わないのですけれど」と言うと、サツキの親父は僕の言葉の続きを待たずに「そうですか」と言って黙るのだった。

 数分後、周囲の墓石を見飽きることを決断したあたりで、僕は「不思議なものですね」と呟いた。僕は不思議だった。僕はいったいなにをしているのだろう。そして、僕のその呟きに、サツキの親父も反応した。サツキの親父は「ふう」と溜め息を漏らすと「不思議というと不思議です、どうして不思議なのかすら、もう私にはわからないのです」と言った。そして、「もしかすると私がサツキの親父だからでしょうか。まさか、そのせいでこれほどまでに不思議なのではないですか」と言い、ふふふと笑った。僕はそれを視界の端に感じながら「たぶん、そのせいでしょう」と言って立ち上がり、木桶を持ち直すと「お子さんは五月に生まれたのですか?」と彼に訊いてみた。

 男は肩を落とし、「もう忘れました」と僕の目を見ず、呟いた。めでたし。
[PR]
by kourick | 2005-09-02 00:00 | 夢峰
 「ケーニヒスベルグの問題」として有名ですが、一筆書きができる図形というのは決まっています。すなわち、奇数本の線が刺さる頂点・交点を「奇点」とし、偶数本の線が刺さる頂点・交点を「偶点」としたとき、奇点の数が0個か2個の図形の場合にのみ、一筆書きができます。

 というのも、一筆書きができるとすると、通過途中の頂点・交点は必ず「入る線」と「出る線」があるので偶点になるからです。そのため、出発点と終着点が同じとき(奇点が0個のとき)と、出発点と終着点が別々のとき(奇点が2個のとき)だけが、一筆書きできる図形です。つまり、もっとも単純で典型的な一筆書きできる図形というのは「△」と「-」です。
[PR]
by kourick | 2005-09-02 00:00 | 日記
 久々に自分の部屋に帰ってきたと思ったら僕の部屋にはすでに自分がいた。おお……と静かに感嘆の呻き声をあげたところで僕はそれが鏡であることに気付き、仕方がないので「どうも」と言いながら頭を下げると、鏡の中の自分も「どうも」と同時に頭を下げたので僕はやれやれと思いながら「どうもっていわれてもな」と自分に駄目だしをしながら椅子に座った。それにしても暗い。どうやらそれは夜だった。

 窓を見ると窓の向こうも暗かった。その上、窓の表面も暗かったものだから僕は僕の網膜も暗いのだろうと思い、多分、僕の大脳の前頭野のあたりも暗いのだろうと続けて思ったあたりで僕は暗澹とした気持ちになった。脳が暗いという響き、それはなにか呪いめいたものを感じさせた。僕は帰宅早々、僕に出会い、脳の暗さに直面したのだった。

 そうして僕は「ほとほと夜というのは大したものだ」と感心しながら早速、深々と頭を垂れたのである。そのとき、僕が最後に窓の向こうに見た光景は駐車場に並ぶ緋色の街灯たちだった。彼らは「いまは暗いよ、知っていた?」という感じで揺れていた。僕は再度「やれやれ」と思いながら目を閉じたまま窓に近寄り、カーテンをシャッと閉めたのだった。

 正確にはシャリシャ、シャリ、シャッスリスリという感じで閉めた。
 めでたし。
[PR]
by kourick | 2005-09-01 00:00 | 夢峰