サイトのコンセプトとニュースサイト考察

Orbium さんが 100万Hit されたそうです。今年に入ってから 85万Hit したというから驚異的です。昼間にずっと繋がらないでどうしたのかなあと思っていたのですけれどこういうことだったのか(アクセスが集中してたのかな)。blogツールという新しい視点(言葉)の参入で日本の「個人ニュースサイト」が改めて捉えなおされて、いま成熟(なのかどうかはわからないけど)し始めて、その位置付けが変化しだしているのではという気はたしかにします。

同じことの言い替えになってしまう部分もあるかもと思いますけれどOrbium さんの試みと並行して、最近はニュースと雑記(日記など言い方はさまざま)を同じ枠のなかで書かれるサイトさんが増えてきたように思います。それは構造としての融合があるように、発想としての融合も起きているのではとか思っておりました。自分の発信する日記と、社会に出回るニュースの明確な垣根が少しずつ壊れて融合してきているのかなと。

だとするとこれはとても面白いです。いままではニュースはニュース、日記は日記という傾向が顕著にありました。日記でニュースを扱うにはテクニックが必要だったし、ニュースで日記を扱うのは暗黙のうちに否定されていたように思います。だから、としさんの言われる「ニュースサイトのニュースはある意味で日記」というのはいまはまだ移行過程の表現だと思いますけれど、最近の僕の印象とも一致します。なので僕は、情報量があっても、それらの記事を選択して載せた管理人の意思がそこに見えないニュースサイトはやはし面白さとしては少し欠けるかなという気がしています。

社会事象にいろいろな側面から日常の情報として言及でき、お互いに繋がり、意見を交換できる開放的なコミュニティという想像には僕もどきどきします。ただ、僕はblogツールやTrackBack、RSS、検索エンジンにおけるアラート機能などをあまり積極的に評価していません。そういう点でたぶん、としさんの描いているビジョンとは少し異なっています。けれど、そういうものを側面として吸収してもっと洗練された形で、多機能なわりにシンプルな構造において容易に情報が発信できるようになれば面白いかなと思います。

最後に、ちょっと気になっているのは「情報が中心になって関係が展開される」ようになるとやだなあってことです。書き手優位、読み手優位のツールはしばしば「中の人」を殺します。文字が表現してしまって、文字で表現をしていることを忘れてしまいそうです。

議論や論証という場合はある意味で中の人はいないほうがごたごたしないのですが、ニュースや記事にたいする意見や感想というのはそういう合理性を逸脱したところにむしろ面白さがあると思うので、それぞれの意見の違いを楽しむのと同時に人間関係の泥臭さっていうか遊びがあったほうが(ときには邪魔極まりないのですけれど)全体としては適正だろうし、面白いだろうなって思います。

という風に書いてみたのですが、こういうことは基本的に使うツールやその構造、または枠組みに依存した発想だと思います。なので、まるっきり、としさんサイドの試みを否定するものではないし、むしろその展開に依存して変化するだろう発想です。そういったわけで僕は今日も今日とて単純にウェブの流れに身を任せつつ、ウェブを楽しみたいと思います。いってみれば僕の文章は隙間産業なのでした、うーむ、無力。
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