個人ニュースサイトが生み出す「流れ」と情報リテラシー
 http://kiwofusi.at.infoseek.co.jp/log/2004-08.html#NC24

 嘘ニュースサイト 虚構新聞社 さんの閉鎖に関連した話題です(*移転して Kyoko Shimbun News(虚構新聞社) として復活されました)。しかし、嘘ニュースサイトというのは改めて考えてみると奇妙な単語です。

 というのは、この単語には「ニュースサイトというのは事実を伝えるものであり、そうでなければならない」という前提が隠されているからです。これはニュースの本質に関わることかと思いますが、いま問題なのは、それがどこまで「個人ニュースサイト」「ニュースを扱う個人サイト」にも求められるのかです。

 ただ、今回はちょっとその問題は置いといて、黒板ぽ さんの指摘される「個人ニュースサイト界隈には<流れ>がある」というところに注目したいと思います。僕もそれは気になっていたし、個人ニュースサイトの管理人さんは、そこのところ大なり小なり気付きながら、日々の更新をされていると思います。

 それは前提にしてですが、僕はサイトの向こうには「発言をする一部の読者」と「圧倒的多数の傍観者」がいると考えています。<流れ>というのは一日に数十サイトを巡り、数百のネタに目を通す個人ニュースサイトの管理人こそ感じていても、意外と「常識的な閲覧者」は感じていないということは多いです。

 これだけいろいろなサイトで話題になっているのだから、自分のサイトで話題にしないでも知っているだろう、あまり押してもうるさいよねと思っていたようなネタでも、実際に友人に会って訊いてみると、全然知らなかったというようなことはあります。普通の人は一日にニュースサイトを10も20も周らないのです。

 だからこそ、有名なサイトで取り上げられた記事でも、自分のサイトで取り上げることには意味があります。自分のサイトしか見ないような人もいるに違いないからです。その視野にネタの流れを収めていたとしても、自分の興味を重視するようなサイト運営が望ましいのだろうと思います。自分と、自分のサイトの閲覧者を大切にしようという話です。

 ウェブに流通しているネタをサイトの閲覧者と共有したい、提供するよと思っているからといって、ただウェブの部品としてネタを放出しているのだけでは、いささか物足りないものがあります。というのも、僕たちはウェブという場にいるのと同時に、僕たちの主張こそがウェブという場を生きたものとして成立させているからです。
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連鎖する“個人ニュースサイト”(8/22)kasa's legitimate square

ネット上での親近感 という記事がいかに個人ニュースサイト間を滑っていったかということがまとめられています。各個人ニュースサイトの管理人さんの感想もまとめられていて面白いです。ちなみに日記サイトやテキストサイトよりも個人ニュースサイトのほうが、この感覚に敏感なのではないかと僕は思います。だからこそ、特に個人ニュースサイト界隈でこのテキストが取り上げられたのではないかな。

日記・テキストサイトというのは「管理人の人柄」というのが前提にあって訪れるものですから、親近感というのは訪れるために必要な要素として当たり前なのですね。でも、個人ニュースサイトというのはやはり、基本的にはそこにある「情報」を目当てにされます(僕は「個人ニュースサイト」自体が好きで、そこにある「情報」は管理人の人柄と不可分だったりするのですが)、だから、個人ニュースサイトの管理人の人柄やサイトの雰囲気は、言ってみればオプションなわけです。でも、長いことサイトを見続けていると、やはり「どういう人が運営してるんだろう?」という興味は生じます。

しかし、個人ニュースサイトは人柄を読みとれる部分が少ないので、細かいところに注目しないと、その管理人の人柄を読み取ることができません。だから、個人ニュースサイトの常連は個人ニュースサイトの細かい変化にも敏感になります。

また、個人ニュースサイトの管理人は、毎日、かなりの数のサイトを巡ります。自分の興味のあるネタを自分のサイトで紹介するために、常にネットを徘徊しています。そして、あのサイトに行けば自分好みのネタがあるとか、こういうネタならあのサイトの専売特許だなといった具合に、面識も交流もないのに相手のサイトを当てにすることは多いし、もちろん、個人ニュースサイトという性格上、相手のサイトに対する依存度も大きいです。

以上のことから、他の個人ニュースサイトの管理人さんへの信頼感や安心感というのは発生しやすいと思います。こういったことから、テキストサイトよりも、個人ニュースサイトのほうが親近感というものには敏感なのではないかと思います。情報元表記のリンクだけでコミュニケーションが取れている(ような気になる)ときもありますしね。

個人ニュースサイトの管理人というのは禁欲的なのです。本当はもっと喋れるし、喋りたいのだけれど、喋るとニュースサイトらしさや記事数が減ってしまうというジレンマを抱いて更新しているのです。僕みたいに図々しいと、このように長文を書いたりもするのだけれど、こういった更新は実にニュースサイトらしからぬ行為です。
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「空を飛ぶにはどうしたらいいと思う?」
「飛行機に乗りなよ」
「違う違う、俺が自力でってこと」
「飛行士になれば」
「いや、そういうのじゃ満足できないんだ」
「崖から飛びなよ」
「死ぬって」
「死なないように崖から飛びなよ」
「じゃあ、仮に飛ぶとするだろ?」
「うん」
「落ちるじゃん」
「落ちるね」
「落ちちゃ駄目なんだよ」
「そう?」
「飛ぶってことは落ちちゃ駄目なんだよ」
「そうかな」
「せいぜい降り立たなきゃ駄目なんだよ」
「私の勘ではあなたが飛ぶの当分は無理ね」
「鳥みたいにさ、優雅に飛びたいわけ、俺は」
「鳥になりなよ」
「無理だよ」
「あのね、あなたさっきから駄目だの無理だの……」
「なあ、頼むよ、俺さ、わりと本気なの」
「まぢで?」
「まぢまぢ」
「あなたの本気ってふざけてるよね」
「お前の言葉はいま俺のこころを傷付けました……」
「もう」
「どうにかならないものかね」
「しかたない、じゃあ、ちょっとそこで羽ばたいてみて」
「ここで?」
「そう」
「まぢ?」
「まぢまぢ」
「よっしゃ、いっちょやってみっか」
「いけいけやっちゃえ」
「いきます」
「はい」
「どう?」
「もっと羽ばたいて」
「モア・スピーディ!モア・クィックリィ!」
「いいぞ!いけ!やれ!」
「こういう感じかぁー!」
「もっと飛びそうな感じでー!」

「…………」

「なに?」
「お前馬鹿だろ」
「殺すぞてめー」
「す、すまん……」
「はっ、結局ね、あなたは本気で飛びたいとは思ってないわけよ」
「失礼な」
「だから空を飛びたいとか不自由なことしか思い付かないわけ」
「違うよお前、なまら自由だよ、空だぞ」
「飛んでからいいなさいよ」
「あー、俺は不自由だー」
「まるっきりね」
「今日の晩飯なに食おうかなあ」
「それにね、ふっ、空の上には死があるのよ」
「…………」
「…………」
「なに巧いこといってんだよ、頓知かよ」
「なによ」
「お前は頓知小僧かっつうの。空の上関係ないし、唐突すぎ」
「どうでもいいけど、あなた頭の回転遅いよね」
「うるさいな」
「だから飛ぶことできないのよ」
「それは関係ありません」
「で、今日なに食しちゃう?」
「お前」
「あんた馬鹿だわ、やっぱ」
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