カーテンの向こう、窓の外、夜のとばりが吸い上げられた。
 僕はごろんと布団に包まる。
 どすんと夜から落ちました。

 こんにちわ、ぼそっと夜が言いました。
 こんにちわ、正直僕って眠たいよ。
 ああ、ごめんなさいごめんなさい、わたしが夜だからいけないんです。

 ちょっとまってよ、それってそういうものなのかな?
 そうなんですそうなんです、もういいですから、後生ですから。
 あのさ、君ってちょっと夜過ぎない? 眠いよう。

 違うんです違うんです、わたしって夜なんです、ああ、ごめんなさい、もう。
 だからさー。
 いいんですいいんです、もういいんです、わたしは夜なんです。

 もう、君みたいに完璧な夜は初めてだな、驚いた。
 ああ、もう、なんでわたしは夜なんだ、なんてわたしは夜なんだ、ああ、もう。
 なんだか、楽しそうだね、それって楽しいのかな?

 楽しいですって、そんな、馬鹿な、あなたわたしが夜だからってそんなこと。
 ねえ、夜さん、あなたの夜歴はどれほどですか。
 なんですって、あなた、夜歴? あなたわたしが夜だからってそんなこと。

 眠たいことってないのかな? 僕って実は眠たいよ。
 眠たいですってそりゃあなた、それはわたしが夜だからですか?
 うーん、別に君が夜だからってわけじゃないけどさ。

 ほらやっぱり、いいんですいいんです、どうせわたしはただの夜です。
 ただって無料?
 なんですってあなた、そりゃあわたしは夜ですよ、夜だからってあんまりだ!

 どういうこと?
 そんな酷い、あなたはほとほと恐ろしい、ああ、もう、こんなに恐ろしい。
 もう、いいや、君って夜さ。それだけなのさ。

 あああああ、あなたっていうのは素晴らしい。ほんと、あなたは素晴らしい。
 どうしたの?
 なんだかわたし、あなたが気に入ってしまったみたいです。

 それは嬉しい、寝てもいい?
 ああ、もう、それはご存分に、わたしは昼じゃあないんですよ。
 うん、それはすっかりまるっきり知ってるよ。
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 おっけー、ばっちりだよね。なんていうのかな、こういうの、わかるかなー? ある雨の日の夜のことさ。夏ね、ちょっとじとっとしていて、昼の暑さを洗い落とすように夕飯を食べ終わったあたりからしとしとと雨が降り出したわけ。そんな夜はいつもの喧しい虫の音も聞こえません。どこかで静かに息を殺してるんだろうね。

 僕は安っぽい平屋に住んでいて、明かりといえばちょっと古い白い蛍光灯。奥の部屋には裸電球がぶら下がっててさ、それはソケットに着いてる黒い部品を右に捻ると回路が開いて電流が通る、そんなアナログな照明なわけ。だけど、オレンジ色の光が妙に温かいんだ。すごい、柔らかいのさ。その下に古い布団が何枚も用意してあってさ、それに入って僕は寝るわけ。まるっきり、鳥の巣みたいさ。

 誰が観るともしれない野球中継なんかがラヂヲ代わりに付いててさ、巨人が勝っているわけ。三者凡退が何回か続いたあとに巨人の四番がいきなりホームラン。観客なんか「わー!」とか言っちゃって、実況アナウンサが興奮して打球を追うわけ。隣では解説のなんとかさんが冷静に風向きとかピッチャの投球とかを説明したりする。

 そこで、ぱちん。

 僕はでっぱっているぼたんを押す。ひゅんって真ん中に白い線が走ってさ、本当にぷつんっていって消えるんだ。そのときのテレビの色ってほんと黒いんだよね、宇宙みたい。入るときと消えるときの落差が激しいのさ。それって人間みたい。消えちゃうときってほんとに一瞬なのさ。

 僕は網戸を開けてさ、雨の音に耳を澄ますわけ。胡坐なんかかいちゃって、目の前の畑とか、草とか、木とか、石とか、空とか、雨粒とか、その向こう側にある暗闇とか、そういうところにあるいろんな音を楽しむのさ。それって実はさ、全然楽しそうに見えないんだよね。しぶーい顔してさ、ざーざーっていう音を凝視しているだけなのさ。なにを感じるわけでもない。ただ、黙って、雨の音を見る。それが風流なのさ。それってさ、楽しいじゃない。

 僕ってなんていうのかな、なかなか、ほら、しみじみとしているわけじゃない。だからさ、別に僕が正しいだのなんだの言うつもりはないけどさ、みんな、間違ってるよなーって思うよ。間違うってあれかな、もしかしてファームな単語? わかってないっていったほうがいいのかな。別にいいけど。笑ってれば楽しいんだなんて乱暴な理屈がまかりとおるなんて信じられないよ。そんなのおしつけさ。

 そんなのってまるっきり馬鹿じゃない。わかってないのさ。そういうことじゃないんだってことをさ。あるよね、こういうことって。おじいちゃんとかおばあちゃんとかがさ、子供が喜ぶと思って頭を捻ってプレゼントしたつもりなんだけど、全然、的外れなんだってこと。それって悲劇さ。責めるに責められないじゃない。そして、哀しいし、嬉しいんだ。

 ああ、だめ。
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by kourick | 2003-07-29 00:00 | 随想
 僕はちょこんと飛び跳ねた。
 陽だまりはぱしゃんと弾けると、すすすと空気に拾われる。
 いつもの光に虹がかかると、ふわっと緑の雲に晴れ間が広がる。

 地面のアスファルトは地球で、真っ白い絨毯を敷き詰めたみたい。
 木々は青々と緑を湛えて、ざわざわと茶色い両手をふるふる振るわす。
 ああ、もう、僕ってば、途端に坂を転がり落ちて、舞い上がっちゃってた。

 ふわっと宙を泳いで、紅い水蒸気の中に潜る。
 ざばっと顔を出すと、一面水色さ。
 ぱちゃんとやると飛沫があがって、色はまっ逆さまに落ちはじめる。

 僕はざぶんと潜ると宙に出る。
 透明な視界が広がって、緑の雲と紅い水蒸気で満たされる。
 いつの間にやら、それが当たり前だと思ってた。

 ごめんなさい、僕ってほんとは弱いんだ。
 嘘をついててごめんなさい。ほんとはもっと弱いんだ。
 強いだなんていわないで。ごめんなさい、それってほんとに辛いんだ。

 ごめんなさい、いつの間にやら、陽だまり弾けた。
 なんだいなんだいだらしない。
 ぽちゃんと陽だまり、また広がった。

 こんにちわ。わたしは風よ、南風。ご存知かしらと風が言う。
 知らないや、北風だったら知ってるよ。
 なら知ってるようなものじゃない、東も西も健在よ。

 それなら僕も知ってたや。知らないだなんて嘘っぱち。
 そうね、可愛い。なんだかわたし、あなたが気に入ってしまったわ。
 それなら良かった。僕も君が嫌いじゃない。

 嬉しいわ。今度はお花と遊びましょうよ。
 君はどこかに行ってしまうの?
 いえいえ、わたしはあなたと一緒。お花と話して遊びましょう。

 ああ、こういうのって嬉しいな。こういうのって幸福さ。
 良かったわ。今度はあなたの笑顔がみたいわ。
 それは楽しみ。なんだかとっても温かい。

 これって幸せなんだよね。
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 空に雨がざーざーと降り注ぎ、夕焼けを群青色に染め抜いた。
 行きかう人々は一斉に真紅の雨傘から降りるとそれを片す。
 黄金色の霧が晴れだすと、皆、思い思いの帰路にたつ。

 白い風が僕の脇を通り過ぎ、ふいに緑の袋を落としていった。
 僕はそれを拾い上げるとぱたぱたと、白い風に向かって振り上げた。
 途端に慌てて白い風が戻ってきたが、寸前、車に轢かれてしまった。

  …………。

 僕はぱたぱたの腕を下ろすと、ふるふると首を振った。
 いつだって、なにかが消えてしまうのは悲しいことだ。
 そうこうしてるといつの間にやら目の前に、緑の風がちょんといた。

 こんにちわとご丁寧にも緑の風は御辞儀した。
 僕はこんにちわと頭を下げると、ぱたぱたと緑の袋を振り上げた。
 緑の風はにこにこ微笑み、しゅるんと僕のぱたぱたの腕に巻きついた。

 わたしは車のおかげで生まれてきたの。緑の風はそう言った。
 だけど、わたしの代わりになにかが消えてしまったわ。
 そうなんでしょう? と緑の風は僕に訊いた。

 僕はその通りだ、そして、それは悲しいことだと頷いた。
 教えて頂きありがとう、あなたは優しい人なのねと、緑の風はそう言った。
 そろそろ腕を下ろすとどうかしらと、にこりと笑ってそう言った。

 僕は言われたとおりにぱたぱたの腕を下ろす。
 すっかり晴れ渡った大地はどんどん眠りに落ち始めていた。
 素敵な天気で僕はいま嬉しいし、なんだか楽しい気持ちだよ。

 僕はなんともなしに、感じたうたを口にした。
 なんだかわたし、あなたが気に入ってしまったわと、緑の風はそう言った。
 僕はわけがわからず、にこりと微笑んだ。

 緑の風はするすると僕の身体になめるように絡まりついた。
 僕は爽快な心地で、朝を泳いでいるような気持ちだよと言った。
 嬉しいわ、できればこれも頂いてと、緑の風は呟いた。

 僕が緑の袋を開けると、そこには綺麗な緑の飴玉が入っていた。
 ころっとひとつを取り出すと、緑の袋は空っぽになり消え去った。
 僕が緑の飴玉を空に透かすと、それは綺麗な黄金色に輝いた。

 いただきます、僕はぽつりと呟いた。
 僕には、それがとっても大事なものであることがわかった。
 ころころと飴玉を舌の上で転がしながら、僕はぶんぶんと両手を振り上げた。
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 それは私が大根だったころのこと。
 そこは列車の高架下で赤提灯をぶら下げた、まさに屋台な屋台。
 太陽が隠れると同時に店を出し、夜も日が変わるかといった時間帯。

 客はいない。

 私は「今日も食べられないのか」などと複雑な面持ちで煮詰まっていた。
 親父は長っひょろい箸でつんつんと新入りの卵にご執心の様子。
 そんな時、一人の紳士が現れた。

「灘」

 白髭の男爵と思しき紳士は暖簾を押しのけ、一言、そう言った。
 親父はそれを聞き取ると、静かにコップに酒を注ぎだす。
 男爵は黒服、ステッキ、山高帽といういでたち。

 間違いない・・・、紳士だ。
 男爵は紳士らしい仕草で椅子に腰をかける。
 とん、と出された酒を見て男爵は一言。

「ワインじゃないね?」

 そう言った。

(男爵、頑張って)

 私は「この男爵は一味違う」と思った。
 瞬時に私は一介の大根として、この紳士を心の底から応援していた。
 私は確かに大根だけれど、男爵の頭がおかしいということは大根でもわかった。

「はぁ、灘になります。日本酒ですが」
「灘という、ワインはないかな?」

 男爵はご自慢(たぶん)の白髭をつるんとしごいた。
 親父は卵をつんつんやりながら「残念ながら」と言った。

「それは残念ですなぁ、ほっほっほぅ」

 男爵は腹を抱えて笑った。
 かなりレベルが高い。こいつ、何者だ?
 そんなことを私が考えていたときだった。

「そこの大根」

(はい)

 男爵が私に話しかけてきた。大根にだ。
 やはりこの紳士、只者じゃない。
 大根のプロだ。

 たぶん、全世界大根協議会探索本部の日本駐在大根ハンターの一人。それも、かなり上層部の人間だろう、幹部クラスであることは間違いない。この時間の屋台に現れるだなんて・・・知っている人間だ。

 親父は相変わらず卵に夢中で、男爵の言葉は独り言と気にしてないようだった。静かだが確かな威圧感、それは老齢で狡猾な闇夜の黒猫を私に連想させた。男爵は少し微笑み、しかし、神妙な面持ちで私に語りかけてきた。

「君はもうわかっているはずだ」

(やはり、大根のプロなのね・・・)

「そう、その通り、これでも裏社会の人間なんでね、身分は明かせないが」

(私、興味ないわ)

「しかし、君みたいな大根に出会うのは久しぶりだ」

(そうね、たぶんそれはそうだと思うわ)

「君の居ずまいを見ているとね、あの伝説の大根を思い出すんだ」

(まさか・・・)

「そう、忘れもしない【星屑の大根】のことだよ」

(お父さん!)

「まさにレジェンド。一本の大根があの戦争を終わらせるとはね」

(あなた、なぜ、そのことを・・・)

「我々の世界にいて、そのことを知らないものなどいないよ」

(ちょっと待って。なぜ、なぜ、そんなことを私に話すの?)

「いけないかい? 大根というのは彼の出現までそのような存在だった」

(いまは違うわ。変わったのよ。もう、なにもかも・・・)

「そう、変わった、世界は変わってしまった」

(貴方のやっていることは迷惑だわ)

「大勢の人、そして大根には迷惑かもしれない。けれど、我々は取り戻すさ」

(なにを?)

「それはひと切れの大根に言うようなことではない」

(貴方たちのやっていることは、)

 私の言葉を遮って、男爵は言う。

「真の大根があの戦争を終わらせて、新たな大根を探させている」

 男爵は記憶の中に自分の居場所を見つけだすかのようにうな垂れた。
 小さな沈黙に彼がなにを想ったのかは私にはわからない。
 ただ・・・、

「あの瞬間、世界はまるっきり変わった」

(その様子だと真実はまだ見えていないのね)

「なに、どういうことだ?」

(あの日の朝、お父さんはもう、煮崩れしていたのよ)

「なんだって! そんな馬鹿な・・・じゃあ、」

(あの大根は【真の大根】ではなかったのよ。煮崩れていたのよ)

「う、嘘だ・・・そんなことは・・・」

(本当よ。お父さんは私に言ったわ。もう、自分は煮崩れているんだ、と)

「嘘だ! そんなこと、あるわけがない!」

(あなたがそう思うなら、思いたいなら、別に良いわ。だけど、これが真実なのよ)

「じゃあ、じゃあなぜ、戦争は終わったんだ・・・真の大根なしに!」

(戦争は終わるべくして終わったのよ・・・真の大根なんて関係なかったのよ)

「そんな・・・そんな馬鹿な・・・」

(貴方たちのやっていることなんて、もはや大根同好会の戯れなのよ)

「うるさい!」

(うるさいのは貴方たちだわ。私のお父さんを返して・・・返してよ!)

「・・・・・・」

(貴方たちの目的のために儚い一生を送った大根たちを返して!)

「・・・・・・」

(還元なさい! 世界は貴方たちだけのものではない!) 

 今度の沈黙は張り詰めた、切り取られた闇の哀しみに満ちたものだった。

「君は、我々が大根愛好者の集いだとでも言いたいのか?」

(言いたいんじゃない。そうだ、と言っているのよ)

「そうか」

(・・・・・・)

「なあ、屋台の大根・・・いや、星屑の大根の子供よ」

(なに?)

「仮に・・・仮にそうだったとしても、我々はもう、後に引くことなど出来ないのだよ」

 男爵は妙に優しい、いや、むしろ、弱々しい口調で私に言った。
 そして、コップに残った酒を「クッ」と飲み干した。
 私はなんとも言えず、ただそれを見ていた。

 男爵はコップを置き、なにも食べずに立ち上がった。
 まさに紳士、そのような立ち上がり方だった。
 ステッキを持ち、山高帽をかぶる。

「旦那、ここはいい屋台だ」

 紳士が言うと、親父は我にかえって「へい」と情けない返事をした。

「いつから、ここで?」
「はぁ、もう、忘れちまいました」
「そうか・・・」
「しかし、いっぱいの出逢いがありやした。それは忘れられません」

 紳士は黙った。
 そして、親父を見つめた。
 相変わらず情けない顔つきをしているが、親父の顔には喜びが浮かんでいた。

 過去を思い出してこうも素敵に笑えるなんて、これだから親父は素敵なのだ。
 お父さんも親父が大好きだった。たぶん、尊敬していたのだと思う。
 人のために自分のやりたいことをやる、そういう親父の人生に。

 紳士はそれを見て、なにを思っただろう。

「代金だ」
「いえ、その「灘」はあっしのおごりです」
「なに?」
「酒の一杯で金を取っちゃあ、お天道様に怒られる。それがあっしの流儀です」

 紳士は黙った。

「あっしの我がままです。気にせんで下さい」
「わかった、ありがとう」
「へい」
「気が向いたら、また、来るよ」
「お待ちしてやす」

 紳士は暖簾を押し上げて、そこで、振り返った。

「それと旦那」
「へい、なんでしょう?」
「卵ばっかり相手にしてちゃ駄目だ。そのうち、抜け出せなくなる」
「ははは・・・いや、こいつはお恥ずかしい」
「愛着や執着は、ときに自分を見失わせる」
「肝に銘じます、いやぁ、こいつはお恥ずかしい」
「それに、他の具が寂しがる」
「へい」

 紳士は笑って、ステッキをクルンッと回した。

「じゃ、煮崩れないようにな」

 そう言って、男爵は立ち去っていった。
 暖簾の向こうの闇の中、静かな足音が響いていた。
 それは既に開かれてしまった時代の扉を叩いている、弱々しい音に思えた。

 扉を叩いているのは、貴方たちのいたし方のない運命。
 男爵はどのような気持ちで、その扉を叩き続けてきたのだろうか。
 紳士は言った。

「もう、後に引くことなど出来ない・・・」

 しかし、本当にそうだったのだろうか。




 ごうん……  ごうん……



    ごうん…… ごうん…… ごうん……


       ごうん……ごうん……ごうん……ごうん……


 一定の鈍い振動を伴って列車が通り過ぎていく。それはいとも簡単に男爵の足音を消し去り、すべての音を食べつくした。

 その轟音のなか、親父が長い箸で久しぶりに私をひっくり返してくれた。つんつんと私をつつき「今日も食われなかったなぁ、おまえ」と親父は言った。私は「良いってことよ」と言って、煮崩れしないようにと肩に力を込めた。
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