ねぇ、あなた、わたしと一緒に暮らしませんかと彼女はすんなりそう言った。
 いえいえ、ご遠慮したいんですけど、いったいあなたは誰ですか?
 あらあら、わたしをご存じない? わたしは健康、あなたはなに?

 そんな、なにって言われても、僕っていったいなんだろう?
 それよりあなた、わたしと一緒に暮らしましょうよ。
 どうしよう、あんまりあなたに興味がないです。

 それって嫌って意味かしら?
 そう言われると困っちゃうよね。
 じゃあ、あなた、それってどういう意味なのかしら?

 困らず言うと、嫌って意味です。
 素直な方だわ、困らないのね。
 それって、しばしば言われます。

 だけど、わたしは健康よ。
 それはさきほど聞きました。
 一緒に暮らして損はしないと思いませんか?

 得もしないと思いませんか?
 得しかしないと思いませんか?
 損しかしないと思います。

 それってあなた、天邪鬼。ちょっとそれは言いすぎよ。
 ごめんなさいって謝りましょうか?
 ごめんなさいじゃすみません。

 すみませんでもすみません?
 すみませんならぎりぎりすみます。
 ならばいっそ、すいません、ちょっと僕って言いすぎました。

 すいませんではすみません。むしろ、あなたにすってほしい。
 君ってちょっと変だよね。
 ええ、あなた、それってときおり言われるわ。

 それっていいこと。だってあなたは健康だもの。
 あらまあ、あなた、わたしをちゃんと知っているのね。
 そりゃあもう、なにしろ僕は不健康。

 あなたとほとんど同じです。
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 カーテンの向こう、窓の外、夜のとばりが吸い上げられた。
 僕はごろんと布団に包まる。
 どすんと夜から落ちました。

 こんにちわ、ぼそっと夜が言いました。
 こんにちわ、正直僕って眠たいよ。
 ああ、ごめんなさいごめんなさい、わたしが夜だからいけないんです。

 ちょっとまってよ、それってそういうものなのかな?
 そうなんですそうなんです、もういいですから、後生ですから。
 あのさ、君ってちょっと夜過ぎない? 眠いよう。

 違うんです違うんです、わたしって夜なんです、ああ、ごめんなさい、もう。
 だからさー。
 いいんですいいんです、もういいんです、わたしは夜なんです。

 もう、君みたいに完璧な夜は初めてだな、驚いた。
 ああ、もう、なんでわたしは夜なんだ、なんてわたしは夜なんだ、ああ、もう。
 なんだか、楽しそうだね、それって楽しいのかな?

 楽しいですって、そんな、馬鹿な、あなたわたしが夜だからってそんなこと。
 ねえ、夜さん、あなたの夜歴はどれほどですか。
 なんですって、あなた、夜歴? あなたわたしが夜だからってそんなこと。

 眠たいことってないのかな? 僕って実は眠たいよ。
 眠たいですってそりゃあなた、それはわたしが夜だからですか?
 うーん、別に君が夜だからってわけじゃないけどさ。

 ほらやっぱり、いいんですいいんです、どうせわたしはただの夜です。
 ただって無料?
 なんですってあなた、そりゃあわたしは夜ですよ、夜だからってあんまりだ!

 どういうこと?
 そんな酷い、あなたはほとほと恐ろしい、ああ、もう、こんなに恐ろしい。
 もう、いいや、君って夜さ。それだけなのさ。

 あああああ、あなたっていうのは素晴らしい。ほんと、あなたは素晴らしい。
 どうしたの?
 なんだかわたし、あなたが気に入ってしまったみたいです。

 それは嬉しい、寝てもいい?
 ああ、もう、それはご存分に、わたしは昼じゃあないんですよ。
 うん、それはすっかりまるっきり知ってるよ。
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 僕はちょこんと飛び跳ねた。
 陽だまりはぱしゃんと弾けると、すすすと空気に拾われる。
 いつもの光に虹がかかると、ふわっと緑の雲に晴れ間が広がる。

 地面のアスファルトは地球で、真っ白い絨毯を敷き詰めたみたい。
 木々は青々と緑を湛えて、ざわざわと茶色い両手をふるふる振るわす。
 ああ、もう、僕ってば、途端に坂を転がり落ちて、舞い上がっちゃってた。

 ふわっと宙を泳いで、紅い水蒸気の中に潜る。
 ざばっと顔を出すと、一面水色さ。
 ぱちゃんとやると飛沫があがって、色はまっ逆さまに落ちはじめる。

 僕はざぶんと潜ると宙に出る。
 透明な視界が広がって、緑の雲と紅い水蒸気で満たされる。
 いつの間にやら、それが当たり前だと思ってた。

 ごめんなさい、僕ってほんとは弱いんだ。
 嘘をついててごめんなさい。ほんとはもっと弱いんだ。
 強いだなんていわないで。ごめんなさい、それってほんとに辛いんだ。

 ごめんなさい、いつの間にやら、陽だまり弾けた。
 なんだいなんだいだらしない。
 ぽちゃんと陽だまり、また広がった。

 こんにちわ。わたしは風よ、南風。ご存知かしらと風が言う。
 知らないや、北風だったら知ってるよ。
 なら知ってるようなものじゃない、東も西も健在よ。

 それなら僕も知ってたや。知らないだなんて嘘っぱち。
 そうね、可愛い。なんだかわたし、あなたが気に入ってしまったわ。
 それなら良かった。僕も君が嫌いじゃない。

 嬉しいわ。今度はお花と遊びましょうよ。
 君はどこかに行ってしまうの?
 いえいえ、わたしはあなたと一緒。お花と話して遊びましょう。

 ああ、こういうのって嬉しいな。こういうのって幸福さ。
 良かったわ。今度はあなたの笑顔がみたいわ。
 それは楽しみ。なんだかとっても温かい。

 これって幸せなんだよね。
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 空に雨がざーざーと降り注ぎ、夕焼けを群青色に染め抜いた。
 行きかう人々は一斉に真紅の雨傘から降りるとそれを片す。
 黄金色の霧が晴れだすと、皆、思い思いの帰路にたつ。

 白い風が僕の脇を通り過ぎ、ふいに緑の袋を落としていった。
 僕はそれを拾い上げるとぱたぱたと、白い風に向かって振り上げた。
 途端に慌てて白い風が戻ってきたが、寸前、車に轢かれてしまった。

  …………。

 僕はぱたぱたの腕を下ろすと、ふるふると首を振った。
 いつだって、なにかが消えてしまうのは悲しいことだ。
 そうこうしてるといつの間にやら目の前に、緑の風がちょんといた。

 こんにちわとご丁寧にも緑の風は御辞儀した。
 僕はこんにちわと頭を下げると、ぱたぱたと緑の袋を振り上げた。
 緑の風はにこにこ微笑み、しゅるんと僕のぱたぱたの腕に巻きついた。

 わたしは車のおかげで生まれてきたの。緑の風はそう言った。
 だけど、わたしの代わりになにかが消えてしまったわ。
 そうなんでしょう? と緑の風は僕に訊いた。

 僕はその通りだ、そして、それは悲しいことだと頷いた。
 教えて頂きありがとう、あなたは優しい人なのねと、緑の風はそう言った。
 そろそろ腕を下ろすとどうかしらと、にこりと笑ってそう言った。

 僕は言われたとおりにぱたぱたの腕を下ろす。
 すっかり晴れ渡った大地はどんどん眠りに落ち始めていた。
 素敵な天気で僕はいま嬉しいし、なんだか楽しい気持ちだよ。

 僕はなんともなしに、感じたうたを口にした。
 なんだかわたし、あなたが気に入ってしまったわと、緑の風はそう言った。
 僕はわけがわからず、にこりと微笑んだ。

 緑の風はするすると僕の身体になめるように絡まりついた。
 僕は爽快な心地で、朝を泳いでいるような気持ちだよと言った。
 嬉しいわ、できればこれも頂いてと、緑の風は呟いた。

 僕が緑の袋を開けると、そこには綺麗な緑の飴玉が入っていた。
 ころっとひとつを取り出すと、緑の袋は空っぽになり消え去った。
 僕が緑の飴玉を空に透かすと、それは綺麗な黄金色に輝いた。

 いただきます、僕はぽつりと呟いた。
 僕には、それがとっても大事なものであることがわかった。
 ころころと飴玉を舌の上で転がしながら、僕はぶんぶんと両手を振り上げた。
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