結社の三月の恒例行事「疑い雛祭り」の冒頭において、「2008年の02月はなかった」という刺激的な仮説が発表され、大激論を巻き起こしたそうです。言われてみるとたしかに、どういうわけか、ゆらめき雑記にも2008年02月のエントリはありません。にわかには信じがたいことですが、もしかすると2008年02月という月日はなかったのかもしれません。

これには結社の人々も驚いたそうですし、このことを発見したアンドリュー(戸籍名「安堂竜」)も自分の発表原稿を覗き込みながら、「私は見る、しかし、信じられない」とうそぶいたそうです。しかし、僕もいま、まさにその状態です。僕はゆらめき雑記のサイドバーを見る、たしかに、そこに「2008年02月」の表記はない、しかし、信じられない。どうして、どうしてないのだろう?

もしかして、2008年02月はなかったのか!?

この疑問に「そうだ」と言ったのが、これから紹介するアンドリューの「二月はなかった仮説」です。この仮説はすでに批判、再批判、再解釈と活発に議論され、それぞれの立場も安定したものになってきているようですが、まずは「疑い雛祭り」でアンドリューが仮説を発表したときの様子から紹介したいと思います。というのも、この出来事からは、結社も一枚岩ではないということが見受けられ、それ自体が非常に面白い素材だからです。

この説を提唱したアンドリューの見解を簡単に説明すると「2008年02月はなかった」というものです。アンドリューの見解は、のちに穏当な人々によって支持される「茄子的消滅説」や、アナーキストたちによって支持される「坊やの誘惑論」ないし「西暦の紙相撲主義」のどれにも属していないと言われている非常に難解なものですが、彼はそれを「疑い雛祭り」の冒頭に行われる「お内裏様の流し目」の最中に主張したそうです。この大胆な疑い方には今年の雛小僧もあっけにとられてしまい、うっかり、目を流しきれなかったとか。

雛小僧のうっかりを己の疑惑のシンボルに用いるという画期的な手法(この手法の名称を「お内裏様の逆監視」とするか「疑惑の雛小僧」とするかという案件も揉めているようです)と、その斬新な主張を、アンドリューは「人々がチョコレートに群がる頃」に思い付いたと言います。これは特筆に価する発言です。アンドリューの無二の親友と言われる根岸鴨は、その日の彼をこう述懐しています。

「彼はその日、広場のカフェに座って、夕方まで呆然としていたよ。どうしてかはわからない、ただ、その日の彼はとても暗かった。というか、黒かった。喪服を着てた。だから、僕は葬式だと思ったよ。お通夜かな? 告別式かな? それともそういうプレイかな? そう思った。そして、それはとても斬新だと思った」

僕らは通常、2008年の02月はあったと信じて疑いません。いや、むしろ、信じたり疑ったりする必要を感じないほどに、当然のこととして2008年02月を甘受したと思っています。だが、違った。アンドリューはそう喝破します。

「お集まりの皆様、驚かれる方もいらっしゃるでしょうが、2008年の02月は……なかった」

アンドリューは促されるままに恭しい態度で壇上に登ると、まるで見てきたかのように静かにそう言い放ち、諦めの表情とともに首を横に振ったそうです。しかし、この第一声に機敏に反応し激昂したのが、通称「二月の涙」と言われる人たちです。彼らはアンドリューの嘆きに対し、「現実を受け止めろ!」と叫びました。彼らの理解はこうです。

「アンドリューはバレンタイン・デイという二月の行事に絶望した。そして、その絶望を二月と一緒に……期待や希望といった人間らしい微かな幸福とともに消し去ろうとしている。最初からないのなら、失うものはなにもない。だが、わたしたちに言わせたら、それを企図することほど傲慢なことはない。わたしたちは年間を通して行われるあらゆる祭事を忌み嫌っている。それに伴うわたしたちの活動を、晴れない者たちの僻みの所産として、ひっそりとわたしたちのことを「二月の涙」と特徴付ける者がいることも承知している。しかし、わたしたちはそこから逃げようとはしない。わたしたちは受け止める。わたしたちの障害をわたしたちが破壊するとき、わたしたちはわたしたちの平野を創造するのであり、わたしたちの平野にわたしたちの安息は育まれるのである。もし、わたしたちの安息が朽ち果てた大地とともにあるとしても、わたしたちは単なる喪失を是とはしない。単なる喪失は、もしそれが喪失であったとするのなら、もはや喪失してしまっていなければならないからである」

彼らはこう宣言したのち、アンドリューに仏門に入ることを勧めました。この威勢の良い宣言に対し、「頭部に納められている重要な諸器官と脊髄が直結している方々の主張内容には同調しかねるが、目的は軌を一にする」と言って「二月の涙」に加勢したのが、鳩連の幹部たちによって組織されている「竹之塚派」の人々です。彼らはアンドリューのいる壇上に近い上座に席を構えており、すっかり場の雰囲気に落胆していたアンドリューに怪しい微笑を送りました。

「アンドリュー君と言ったね? 君の主張は面白い。しかし、二月の鳩は……猛々しいぞ」

この脅迫とも取れる発言に場は一瞬、静まり返りました。竹之塚派は鳩連の保守本流であり、結社全体の影響力を鑑みても最大勢力ということができます。結社にはお気楽な人間が多いのも事実ですが、反面、このような発言によって狡猾に権勢を増そうとする者がいるのも事実なのです。そして、運の悪いことに、今年の「疑い雛祭り」は彼らの暴走を抑止できるほどの発言力を持っている竹之塚宗家の方は誰もいなかったのです。

そして、このときに生じた不気味な沈黙を境に、大会は一気に政治的な思惑を乗せた場に変容しました。というのも、鳩連の若手によって組織されている「八町田組」の人々が「二月の涙」と「竹之塚派」の見解を真っ向から批判したからです。八町田組は下座の左翼の一角を陣取るかのように座っていました。そして、彼らとは少し離れた位置、警備と雑用を兼ねた場内整理班の人員に紛れるようにして壁に寄りかかっていた人物が、八町田組の人々を代表して、皆を宥めるように、説き伏せるようにこう言ったのです。

「もしかすると、2008年の02月というそれ、それは、鳩隠れしたのかもしれないですね」

この発言を受けて、場内の一同は戦慄しました。そして、その発言をした人物を確認して、場内は色めき立ったのでした。というのも、そこにいたのは五年前に結社を離脱した鳩連の元幹部「有楽町の黒鳩」こと「斉藤剣」その人だったからです。彼は当時、「渡り鳩」と名称される結社内組織を率い、鳩の実践的運用及び鳩の潜在能力の研究「鳩卍」に従事していたといわれています。儀礼的な側面でいうと、彼は「狂い鳩」を司る黒鳩を継承しており、したがって、必然的に「竹之塚派」「八町田組」とは鳩連内部で鼎立を成していました。

しかし、2002年の02月、後に「鳩暦闘争」と言われる鳩連内部の権力争いに破れ、斉藤剣はそのまま姿を消したと、少なくとも表向きは、そう言われています。鳩連の歴史を鑑みても、鳩鼎の一人の追放という事態は珍奇なことであったため、鳩連外部の結社の人々は非常に困惑したそうです。そして、これ以後、細かい解釈は別にしても鳩暦の認識に関しては見解を共にしている竹之塚派と八町田組によって鳩連は取り仕切られることとなり、二分統治体制になったのです。

一説によると、斉藤剣は鳩連の暗部を任されていたとも言われており、なにかしらの思惑から鳩連幹部たちに抹殺、あるいは思想上の対立から粛清されたのではないかとすら疑われていました。そして、実際、斉藤剣はこの五年間、消息を絶っていたのです。まあ、斉藤剣の失踪の内実にどれほど関わっているのかは別としても、「鳩暦」に関する思想上の違いによって鳩鼎の安定性が損なわれていたという事実はたしかにあります。このことは1999年07月に一大論争を引き起こし、あわや鳩連分断の原因となったのが「鳩暦の採用」及び「鳩隠れを認めるかどうか」であったことからみても明らかです。思い返せば、このときから鳩連内部の確執は明確なものになっていったと言うことができるでしょう。

鳩暦論争は結社の定例九月大会が八月に前倒しにされて行われるほどの混乱をもたらしました。このときに、斉藤剣は「鳩暦の採用に実質的な効用は認められず、鳩隠れなるものは一切認められない」と主張し、「むしろ、研究予算の分配に重大な影響を与える政治的な問題になりうる」と、議論の解釈に白熱する人々に冷や水を浴びせかけたことが知られています。そして、この発言の直後、八月十日の鳩時雨の儀を最後に斉藤剣は姿を消しました。彼が鳩時雨において残した言葉、それがあの有名な「三千世界の鳩を集めて、鳩道中をしてみたい」という都都逸です。

その斉藤剣が八町田組とともに疑い雛祭りに姿を現し、あろうことか、「鳩隠れ」の可能性に言及したのです。これはまさに衝撃的な出来事でした。このとき、壇上のアンドリューはさきほどまでの落胆に困惑を滲ませ、「実際に生じた出来事は、そこにいたるまでの可能性の墓場と見なすことができる、しかし、歴史とはその墓場から生まれ、育まれるものなのだ……父さん、妖気です」とわけのわからないことを呟いたそうです。会場にいた人々と同様に、アンドリューもまた、自分の「二月不在仮説」がよもや「鳩暦闘争」及び「鳩連の政争」に結び付けられることになるとは思っていなかったのでしょう。

「2008年の02月がなかった……非常にけっこうなことではないですか」

斉藤剣はそう続け、理論の骨子を次のように簡略に説明しました。アンドリューの発見は鳩隠れを示唆しており、こうした「年月の鳩隠れ」という現象が定期的に起きうるということは、歳月ないし暦というものの茄子的感応可能性を示唆している。この茄子的感応可能性が人の思考力によって把握されたということは大いなる一歩となるだろう。なぜなら、人間にとって鳩知化された存在領域にあるため、恣意的な手法以外の仕方では干渉できないと考えられていた鳩暦とも、人間存在の潜在的茄子力の拡張によって特定の関係を結ぶことができるという可能性を示しているからである。

「この見解には、あの胸倉めがねも賛同するでしょう。そして、この結論は<二月の鳩の猛々しさ>とはまるっきり無縁です、わかりますか?」

この問いかけは、明らかに「竹之塚派」の人々に向けられたものでした。これに対し、誇り高き竹之塚派の若頭、青魚そりは激昂しました。異様に張り詰めた場内にザザッと衣擦れする音がしたかと思うと、彼は座った体勢のまま両手にHT-47を構えていました。この瞬間、会場の人々はみな<最悪の事態>すなわち<黙示鳩>に巻き込まれることを覚悟したそうです。しかし、青魚そりの決死の覚悟は、竹之塚派の代表として参上していた静島ねみみに制されました。そして、静島ねみみは、結社の全成員の面前で竹之塚の体面に泥を塗られたことを意にも介さぬ様子のまま、いきり立った竹之塚派を収め、彼らを引き連れて会場を去りました。

これには斉藤剣も苦笑したと言いますが、それ以上にこの展開に困惑したのは八町田組の面々のようです。彼らの思惑の詳細は隠されていますが、この日、斉藤剣を擁立して望んだ定例三月大会において、彼らの描いていたシナリオはもっと華々しい、そして、より荒々しいものになるはずだったのでしょう。いや、はっきりと言うなら、鳩連の勢力関係を根底から揺るがすような事態に繋がる騒動を引き起こすつもりだったのでしょう。それを勘案すると、竹之塚宗家のいないこの大会は、そうした騒乱を起こすにはうってつけだったのだと考えられます。しかし、その思惑は静島ねみみに簡単にいなされてしまった。そう憶測するなら、八町田組にしてみるとこれは大きな誤算だったと言うことができます。さらに誤算だったと考えられるのは、この静島みねねの判断を受けて、斉藤剣が予定を繰り上げたことです。

竹之塚派の退場後、斉藤剣は壇上に招かれました。しかし、彼はそれを丁重に断り、悠然と雛伽藍の前を渡ると「奇妙な兎歩」を行い、そのまま退場したそうです。その場にいた或る人は、その体験を次のように語っています。

「誰もが息を呑むほど新鮮な彼の振る舞いは、疑い雛祭りの根底にある思想を踏み固めました。不可解なのは、そうして踏み固められたものは、もはやまるっきり異なるものになっていたということです。わたしはそのとき、疑うことができなかったというよりは、すでに疑うことを忘れていました」

このとき斉藤剣が行った「奇妙な兎歩」は、いわゆる「鳩歩き」とは異なるものであったようです。この日、雛伽藍の末席に招待されていた八町田友葉は彼の反閇を「<着爽地歩>に似ているがややアレンジが加えられており、優雅さよりも威厳さを重視したものになっている。しかし、そうでありながらにして足取りは軽やかでもあり、見る者に不思議な葛藤を惹き起こす」と評したそうです。

この友葉氏の寸評に呼応するように、この日、大会の司会進行を勤めていた疋梅むうみんは、この瞬間の会場の様子を次のように語っています。

「もしそれが、輝かしさを放たない存在に巻き込まれるような体験だったのだとしたら、もっとわたしの気持ちは穏やかだったに違いないと、わたしは思います。だから、そう、ブラックホールのように、われわれの気持ちを引き寄せて逃さない、それがためにその存在が観察される、もし、彼がそのような人物であったなら、もっとわたしの気持ちも単純なものだったでしょう。しかし、斉藤剣はそういう人物ではなかった。彼は、そう、黒いホワイトホールとでも言いましょうか、われわれの気持ちを撥ね付けて寄せ付けない、しかし、それなのに、わたしたちはそこを見ようとする気持ちからは逃れられない。そこにあるのに、そこに彼はいるのに、そこには誰もいないと思わないわけにはいかない。わたしはあのとき、そういう複雑な気持ちに陥りました」

そうして、この斉藤剣の退場によって、会場は日常的な雰囲気を取り戻したようです。司会進行の疋梅むうみんは台風の目となったアンドリューに締めの言葉を促し、三月の恒例行事「疑い雛祭り」の主役となったアンドリューは最後に一言、素直な感想を残して雛壇を降りました。

「ショック! 完全に喰われた」

こうして、様々な人々の思惑の軌跡を示しながら、疑い雛祭りは盛況を呈して幕を閉じました。アンドリューの「二月不在仮説」が現在のように活発に論議されているのは、こうした鳩連の保守本流と改革派の確執、及び、政治的対立、そして、斉藤剣の発言に起因しているのではないかと思われます。大会当日における「2008年の02月はなかった」という主張に対する構図は「二月の涙」「竹之塚派」 vs. 「アンドリュー」+「八町田組」「斉藤剣」というものでしたが、現在では、非常に複雑な構図となっており、このように単純に示すことはできません。特に「二月の涙」には有楽町の黒鳩の信奉者も多かったため、組織内部で混乱を示しており、結社全体の成員もこの大会以降、数十人単位で減じているといわれています。しかし、結社を抜けた人たちがどこにいったのかは明らかにされていません。そしてまた、斉藤剣の行方も明らかにされていないのです。

このようなわけですから、わたしたちはこれからも、理論的な関心とともに政治的な関心も考慮に入れ、アンドリューの「二月不在仮説」を検討していかなければならないわけです。今回は政治的な側面をやや重視して報告しましたが、続報が入り次第、さらなる展開を紹介していきたいと思っています。それでは。
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by kourick | 2008-03-05 00:00 | 結社
 皆様、始めまして、結社の者で御座います。本日は「鳩おじさん」に関して少し、お話申し上げます。

 皆様もすでに御存知の通り、この世界にはたしかに「鳩おじさん」と呼ばれる方々に存在致します。そして、私たちはその情報の少なさにもかかわらず、その言葉を耳にするとき、あるいは口にするとき、なにかしらの敬意をもって「鳩おじさん」を想起せざるを得ないでしょう。なぜなら、鳩おじさんほど、古今東西の鳩たちを巧妙に扱うことのできる人物は、この世界には存在しないことは明白だからで御座います。

 鳩おじさんは、凄い。

 そう、たしかに鳩おじさんは凄いです。私もそれには賛同致しますし、私の知り合いの鳩も「鳩おじさんには一目置いている」というようなことを言っておりました。ですが、そういったことから、なんでもかんでも鳩おじさんであれば凄いといったように「鳩おじさん」を把捉してしまうのは望ましいものではありません。

 私は鳩おじさんに直接的に接触できるような鳩脈はないのですが、間接的な鳩脈から耳にするところによると、最近、鳩おじさんの偉大さが必要以上に浸透している代わりに、鳩おじさんに真摯な興味を示すような人も減少しているそうです。そして、必然的に、鳩おじさんの実態というものも曖昧な誤解とともに広まってしまっているようです。

 しかも、哀しいことに、ここのところ、偽者の鳩おじさんが続出しているというではありませんか。これは、重大なひとつの文化の危機として把握されなければなりません。このままでは、本物の鳩おじさんが失われてしまう。ですから、今回は簡略に鳩おじさんに関する説明をすることで、そして、本物の鳩おじさんと偽者の鳩おじさんを区別する方法を皆様にお伝えすることで、不躾ながら注意を促させていただきたいと思います。

 まず、本物の鳩おじさんは神出鬼没で御座います。

 そして、大体、普通の鳩おじさんという人たちは自転車でやって参ります。ただ、時折、スクータでやって来る豪快な鳩おじさんもおります。そうした鳩おじさんの場合、鳩おじさん御用達の「見舞坂の鳩豆」の代わりに、トウモロコシを撒いていることも御座います。これを年季のいった鳩おじさんは「トオキビ」と呼びます。その景気のいい鳩扱いは見ていて気持ちの良いものですから、街でお見かけになられた際は注目してみると良いでしょう。

 豪快にせよそうではないにせよ、年季のいった鳩おじさんは、大体、10年ほどの鳩修行を積み、いわゆる「鳩祭り」を終えております。つまり、「鳩追い」の権利(それは同時に義務でもあるのですが)を持つ鳩おじさんで御座います。これは文句なしに凄い鳩おじさんですから、出会った際には握手をしてもらうと良いかもしれません。鳩おじさんとの出会いは一期一会ですので、次の機会にしようなどということは考えないほうが良いでしょう。

 また、この「鳩祭り」を終えた後の「鳩おじさん」のことを、通称「夢鳩」と呼びます。有名なところでは、札幌大通公園において「幻の夢鳩」と呼ばれた「八丁田」さんがおります。この方は、まさに神出鬼没を旨とした方でした。大通公園では人知れず鳩が集まったかと思うと地面に落ちた餌を食う。しかし、どういうわけか、その周りには人影はない。そんな不思議なことが毎週土曜日の午後三時に五年間も続いたと言われています。

 人々はその光景を見て「鳩が狂ったのではないか」と鳩の心配までする始末だったとか。これは鳩おじさんの存在が軽んじられてきている証拠ですね。これは「白影の夢鳩」こと「八丁田」さんの仕業であったと、現在では公表されております。現代における、鳩おじさんの見事な鳩表現でした。これは生きた伝説として、いつの間にか「八丁田イルウジオン」と名付けられ、大勢の不安と悩みを抱える鳩おじさんに夢と希望を与えました。

 しかし、このように社会的に認知された存在であるにもかかわらず、八丁田さんその人に会ったことのある人は、ほとんど、おりません。なぜなら、鳩おじさんという存在、ひいては八町田さんが、そもそも神出鬼没だからで御座います。こういう話があります。ある日、私の友人が大通公園を歩いていたところ、ふと、鳩の大群が空から舞い降り、噴水の周りに集まったそうです。その次の瞬間、噴水の中央に八丁田さんが現れ、「鳩に語りかけた」のだそうです。そして、それに対して、鳩も語り返したのだそうです。鳩との内的結合の後、そう、五分ほど後に、鳩がわっと飛び立つとともに八丁田さんは姿を消したのだとか。まさに神出鬼没。

 このような事情ですから、私も残念なことに当人と会ったことはないのですが、幾つかのお写真で、幻の鳩おじさん「八丁田友野」氏を拝見したことは御座います。それはもう精悍なお顔で、周りをびっしりと鳩が取り囲んでおりました。あれはたぶん、「鳩尽し」を迎えたときのお写真だと思います。やはり、それは見事なものでした。写真を見ただけでその恐ろしいまでの鳩からの信頼、鳩望が感じられました。私はその様子を凝視したまま、身体の震えをなかなか治めることができなかったのです。

 この方の有名な言葉として「鳩に尋ねるな、鳩と通じ合え」というものが御座います。この言葉を晩年、八丁田さんは恥じていたそうですが、私は、八丁田さんの若かりし頃の荒削りな感性が現れている名言であると思います。現在は、跡取りのお孫さんでしょうか、その方が来年「鳩語り」を迎えようとしているということで、今後は「二代目八丁田」が大通公園に現れ、皆さんをあっと言わせることがあるかもしれません。

 しかし、鳩おじさんとの接触においては、注意があります。夢鳩のように鳩域の高い水準に達しておられる鳩おじさんには、安易に近付いてはなりません。というのも、鳩が怒る、からで御座います。ですから、夢鳩以上の鳩おじさんを見付けた場合は(いろいろ方法はあるのですが)、鳩おじさん自身がこちらに気付いて近寄ってきて、いわゆる「鳩歩み」の状態になるまで待つのが懸命です。しかし、鳩おじさんは神出鬼没を旨とする方が大勢いらっしゃいますので、そうですね、やはり鳩おじさんと出会うというのは運に左右されていると思います。

 神出鬼没性というものを考えたときに、もっとも意表をついた現れ方をしたのは「伝説の鳩おじさん」と呼ばれる故「竹之塚美倶羅」氏です。この方は、一説によると、『陽空翔白伝・鳩』 に現れる一子相伝の「鬼鳩」の称号を受け継いでいたと言われております。この方は明治五年、まだ開発の手が進んでいない東北の或る町に「空から鳩と共に現れた」という記録が残っております。この後、この町は開発が進み、現在の仙台の基盤になったと言われております。

 さて、以上のことから、鳩おじさんという存在も幾分明確になってきたかと思います。しかし、このような高水準に達しておられる鳩おじさんしか本物ではないというわけでは御座いません。そうですね、比較的簡単に本物と偽者の鳩おじさんを見分けるポイントとしては、その「供」のやり方に注意するということがあるかと思います。供とは、すなわち、「餌」のことです。本物の鳩おじさん、特に、そうですね、大体、「鳩寄り」以上の方は、三回に分けて、その供を打ちます。右、左、右の、右二回、左一回です。

 これは、先ほども登場した「竹之塚美倶羅」氏の考案した「供」の手順で、比較的キャリアのない方でも安心して鳩が寄ってきやすい「撒」の方法であると言われております。扇を開いて舞うように、水平に、一定の距離を保って「打つ」のが大事だと言われております。この「水巻」と呼ばれる方法は「供」の熟達具合をみるのに格好であるとも言われており、大体、この水巻をみることで、その鳩おじさんが本物か偽者か見分けることができるかと思います。

 というのも、簡単に申しますと、これは誤解が多い部分なのですが、基本的な「供」というのはおおむね「撒」のときに、手のひらが下を向いているものなのです。この「水巻」というのもたぶんに漏れずそうでして、素人や初心者は誤って手のひらにのせた「餌」を上向きにして鳩にたいして放りますが、本物の鳩おじさんは下向きに放ります。そして均一に「打つ」のです。そうすることで統制のとれた鳩との一体化が可能であると言われております。

 この他にも「一本背負い」や「簾打ち」、「八丁田の恵み」等、「供」にも様々な方法がありますが、およそ一般の方や偽者の鳩おじさんには不可能な「撒」ですので、このような「供」を偽者の鳩おじさんがやっている場合は即座に分かると思います。というのも、このような場合は鳩が怒って「餌」を食さないからです。この状態を「鳩の舌打ち」と申します。

 また、本物の鳩おじさんには鳩しか寄って参りません。

 たまに、カラスなどに追いかけられる鳩おじさんなども見受けますが、よほどのことがない限り、最近ではそれらの方々は偽者の鳩おじさんと思わざるを得ないでしょう。なお、本物の鳩おじさんであった場合、仮にカラスに追われるようなことがあったとしても、鳩が大挙して助けに現れます。このことで有名なのは「五稜郭八月鳩会議」でしょうか。そして、あの歴史的な事件「函館の逆襲」が起きるので御座います。

 一昔前には、鳩おじさん独特のユーモアから、鳩以外の鳥類にも「供」をやる「洒落巻き」と呼ばれる遊びがあり、「洒落撒きの六」と呼ばれるような一大奇人も登場しましたが、以前では遊びだと分かったこれらのことも、いまでは「隻手鳩の失敗」ととられることが多く、本物の方々はほとんどやられません。

 さて、大体、鳩おじさんの見分け方というのはこういったところでしょうか。

 以上の判断基準に照らし合わせ、それを大幅に逸脱している鳩おじさんは偽者で御座います。私の思うところでは、「鳩断ちの儀」を前に「鳩おじさん」の道を捨てた方たちが、偽者の鳩おじさんを名乗って皆さんを惑わしているように思います。私の推測するところでは、「鳩断ちの儀」で年に数百人ほど、さらに「鳩立ちの集い」で数百人ほどの脱落者が出ているのではないかと思います。そうすると、確かに「反・鳩おじさん」という勢力もなかなか馬鹿にできないものがあるかもしれません。

 しかし、本物の「鳩おじさん」の歴史と伝統を尊重するならば、偽者の鳩おじさんは活動を自粛し、また、一般の皆様は、真に洗練された鳩おじさんという存在を見極める必要があるのではないかと思います。詳しいことにつきましては、おひとりおひとりの質問に解答するということで、その解決とさせて頂きたいと思います。遠慮なさらずに当結社に連絡していただきたいと思います。

 本日は真に有難う御座いました。


He instantly fell in love with the pigeon.

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by kourick | 2002-09-10 00:00 | 結社
 皆様、結社の者で御座います。本日は還って来る犬に関して少し。

 世界中の「犬」と呼ばれる生物は二種類に分けられることを皆様は御存知でしょうか。すなわち「還って来る犬」と「還って来ない犬」であります。まあ、これは大雑把な括りなのですが大局的にはこれで十分かと存じます。これは実に奥深い話でして、大勢の犬やドッグが世界中にいるなかで、そのなかにときおり「還って来る犬」がおもむろに混じっていたりするわけで御座います。

 そのようなことになって参りますと、やはり「還って来ない犬」や「還って来る機会のない犬」など、まあとかくいろいろな分類がなされだすわけですが、古来、話題にされ、最近になってもその謎、その不思議、その魅力を減じることのないのはやはり、なんといっても「犬社会のプラチナダイアモンド」と呼ばれて久しい「還って来る犬」で御座います。

 しかし、私はいまここで「ゆりまろ」の物語から始めようとしているわけでは御座いません。私が思うに「ゆりまろ」は還って来る犬としても、あるいは単に犬としても特殊なカテゴリに属しているのではないだろうかと、そう思うのです。最終的には確かに我々は「ゆりまろ」を研究することになるでしょう。しかし、やはり、それなりの手順を追って話を展開しなければならないのではないか、そう思うのです。

 ではまず、「還って来る犬」とは、ということからお話致したいと思います。

 還って来る犬は、まず「還って来たこと」が大前提として御座います。還って来る犬は単純に「還って来る素質がある」というだけでは駄目なのです。「還って来るに違いない犬」などというのもやはり駄目です。ですから、「還って来る犬」とは同時に「還って来た犬」でもあるわけで御座います。しかし、それは、ただ単に「還って来た犬」に対して与えられる名誉の称号というわけでは御座いません。

 還って来た犬は「そもそも還って来る犬だったからこそ、還って来れた」のです。ですから、あえて当結社においては「還って来た犬」という分類は御座いません。驚嘆と畏敬、感動の涙を言葉に代えて「還って来る犬」と分類しているので御座います。まあ、事前に「この犬は還って来る犬であろうな」と感じ取ることができる場合もあることにはありますが、実際にはそのように期待されていた犬といえども還って来れない場合というのは当然、稀とは言わずに御座います。

 それでは、還って来る犬は「何故、還って来ることができた」のか。

 それはそうと、あ、閑話休題で御座いますけれども、最近「お前の話は長い」などと上司から小言を言われてしまいまして、私としてもそれは大変恐縮忍びないというわけでして、いやあ、寂しいものですね、私としてはもう、還って来る犬のことに関して、少しでも皆様にお伝えできれば幸せなものですから「手短に話せ」と言われれば、手短に還って来る犬に関してお話しようと懸命に努力をしたいと思うんです。

 昨日の夜も、どこの辺りを掻い摘んでお話申し上げれば皆様に喜んで頂けるかと必死で思案させて頂いたのですが、どうにもこうにも、全てが大事であるなような気がしてきてしまいまして、とてもでは御座いませんが中途半端にすることなどできず、どのようにしたら「還って来る犬」に関して皆様に御理解を示して頂けるか、本当に頭を悩ませました。

 それで息子に訊いてみたんですよ、「僕の話は長いかなあ」って、そしたら息子、なんて言ったと思いますか? 「お父さんの話は長いけど、とっても面白いから、僕、好きだよ」って、私もう、迂闊にも息子の前で涙を流してしまいました。昨日、食したカレーは本当、いつものカレーよりもそりゃあ、ずっとずっと辛かったですよ、そして、とても、美味しかった。うちの奥さんなんかもですね、「今日はあなたのために本場のカレーを用意してみたわ、明日は頑張ってね」って、本場のカレー、美味しゅう御座いました、そのようなわけで寝る間も惜しんで、必死で皆様のためにお話を用意させて頂いた所存で御座います。

 そうでした、もし、還って来る犬の嗅覚や還って来る犬のマーキング、還って来る犬は普段何を食しているのか、還って来る犬が還って来たときの第一声などに興味を持たれた方は遠慮せずに質問して頂ければ、当結社としては嬉しいばかりであります。私は本当に還って来る犬に関してお話しすることができれば、これ以上の幸せはないので御座います。

 ああ、すみません、長いですね、私の話は長いですね、すみません。

 真に勝手な流れで御座いますがお話を戻しまして、還って来る犬は「何故、還って来ることが出来たのか」という事で御座いますが、それにつきましては様々な憶測が飛び交っているというのが客観的な判断であろうかと思います。還って来る犬が「何故、還って来れたのか」という問題は古来、一種の神秘的な出来事として連綿と語り継がれており、また、いろいろな検証もなされてきております。

 それは「渡り鳥のマイグレーション」と同じような神秘性と申しましても、差し障りはないものと思われます。つまり、渡り鳥はどのようにしてその目的地を誤らずに渡っていけるのかという問題に似ているということで御座います。そして、渡り鳥の「渡り」の場合は磁場の関係だ、海流の影響だ、風に乗った臭いでわかるのではないか、などの推測がなされておりますが、どれもそれらしい話ではありますし、実際にその線で探求を進めていけば、そのうち「渡り」の正確さの原因を突き止めることが出来るのではないかと思われます。

 ところがここで、だがしかし、還って来る犬もまた同じように磁場や海流や風や臭いによって還って来ることが可能であるのか。そのような疑問が生じます。結論から言うとこれは非常に怪しいもので御座います。「渡り」のように地球規模の広域な現象であれば地磁気を利用した分析というのも可能であるように思いますが、生憎、還って来る犬の「還り」はそれよりずっと局所的な現象で御座います。札幌市北区に置き去りにされた「還って来る犬」が札幌市南区の自宅に帰還するといったような、そのようなこじんまりとした、それでいて重大な問題なので御座います。

 しかし、そのような側面から、すなわち、自然現象を本能により活用することによって「還って来る犬は還って来れたのだ」と主張し、アプローチしている団体もあるにはあります。海流の影響は論外と致しましても、風やそれに類する臭いから、それを辿ることで「還って来る犬は還って来れたのだ」と主張する団体も御座います。しかし、そのような理論には幾つかの反証もまた行われておりまして、自宅から自動車で遠方まで移動し、その間の道路などには臭いなど残りようもない状況なのにもかかわらず「還って来る犬が還って来れた」という場合が存在致します。つまり、このことから臭いを辿って還って来たのだという可能性は否定の要素を多分に持つことになりました。

 その他にも「太陽昇降位置記憶理論」と呼ばれるものや「特種犬脳内マッピングシステム理論」と呼ばれるような大胆な仮説も存在致しますが、やはり、決定力不足で御座いました。というのも「証拠」または「裏づけ」というべきものがそれらの理論では致命的に不十分であったのです。つまり、そのような理論によって還って来れないことはないが、だからといってその理論によって還って来れたのだという積極的な証拠にはならないような仮説であったのです。

 まあ、このような還って来る犬に関する仮説の歴史というのもそれはそれで興味深いかとも思いますが、やはり、そればかりでは皆様も退屈を弄ばれるかと思います。ですから、当結社において、その問題をどのようにして受け止め、考えているのかということを端的に申し上げて、今回の「還って来る犬に関するお話」を終了させて頂きたいと思います。

 この考え方は、きわめて根本的でありますが、あまりにも荒唐無稽であるという断定的な意見のもと、常識という不完全なものに押し切られる形を持ちまして、長い間、日の目を見ることはありませんでした。ですが、いまや「伝説の還って来る犬」とすら言われることのある「ゆりまろ」の登場と共に、私どもの業界でも頭の柔らかいコーディネータが増えまして、いまでは表社会での浸透性というものはまだまだ低いものの裏では半ば確信を持って語られるに至っている理論が御座います。

 それこそが、当結社の提起した画期的な理論なので御座います。この理論は証拠がどうのこうのという以前に圧倒的な説得力を持っております。むしろ、もう、この可能性以外は残り得なかったのです。つまり、人々の盛んな想像力と厳密で精密にして広範な諸仕事を通して産出された最終的帰結だったのです。それは20世紀初頭にアインシュタインが相対性理論を発表したように歴史的必然にして画期的な仕事でした。

 では、どのような理論をもってしても「還って来る犬が、何故、還って来られるのか」判明できないという、いわゆる「犬帰還性理論、堕胎の暗黒時代」と呼ばれた30年間に終止符を打つことになった、当結社の創始であります先々代とその盟友「香美峰・J・都茂」の両名によって提唱された理論を簡単にご説明させて頂きたいと思います。すなわち、

 【犬コミュニケーション】

 この衝撃的な理論の発表によって、当時、巷をにわかに賑わせていた「ダンパー・F・ジャネット」氏の「犬帰還不可能性理論」が覆されるに至りました。これは真に画期的な出来事でした。私はこの理論が発表された当時、駆け出しの新卒でして、この業界にも片足を突っ込んだ程度のひよっ子でしたが、この「犬コミュニケーション仮説」が発表されたときには全てを理解できなかったにも関わらず、思わず、涙がこぼれ落ちました。

 その後に、私はこの「犬コミュニケーション理論第一次草稿」をより完全なものにしたいという思いから当結社の門を叩き、何度も何度もリポートを提出しているうちにその熱意をかられて、このように皆様方にお話申し上げられるようになっているという次第で御座います。少しばかり自慢話のようになってしいますが、「犬コミュニケーション理論第四章第六節、最後のワン」の不足について指摘し、加筆したのは他ならぬ私です。それだけが私の唯一誇れる仕事と言っても過言ではありません。

 そこで「犬コミュニケーション理論」について、もう少しお話申し上げたい所存で御座いますが、まず、先にお断りしなければならないことがあります。この、犬コミュニケーション理論のアウトラインがすなわち可変的であるという事実です。つまり、一定の形を保たないということが「犬コミュニケーション理論第六章第七節、最後にニャーの可能性」で触れられているのです。また、この終章の言葉からこの理論の壮大さ、無限の可能性というものを感じ取っていただけるかとも思います。

 ですから、私がこれからお話しする内容も、いつかまた私がお話申し上げるときには若干の修正、変更が加えられているかもしれないことを最初に申し上げます。では、端的に申しまして「犬コミュニケーション理論」とは「任意の犬が他の犬と積極的にコミュニケーションをとることである種の意思疎通、情報の交換が可能であり、それによって様々なネットワークを形成している」という内容で御座います。詩的な言い方を使わせていただきますと「井の中の蛙、井の中において大海を知る」ことが可能であるような理論で御座います。

 この理論によって、見知らぬ任意の地点から、還って来る犬がもともとの生息地に到着するまでの過程を、そのミッシングプロセスを読解することが可能となります。つまり、「還って来る犬」は見知らぬ土地の犬に道を訊きながら、少しずつ、自分の普段の生活圏内への帰還を果たすのです。この考え方によって「還って来る犬」が還って来たことに対する全ての謎が解けます。しかし、そのように簡単にコミュニケーションが取れるのなら「もっと迅速に還って来たって良さそうなものではないか」と疑う人もいるかと存じます。

 しかし、それは「早計」というもので御座います。

 これは、犬であれば、どんな犬でも、どんな犬ともコミュニケーションが取れて、そして還って来れるというような安易な事態ではないのです。人間と犬のコミュニケーションには圧倒的な自由度の差があります。まず第一に犬には意図的な身振り手振りというジェスチャは不可能であるという実験データが得られております。このことから、基本的に「還って来る犬」はその意思や意図を対外的に半ば無意識的に表出することで、他の犬とコミュニケーションを取っていたと推測されます。

 また、人間社会の「言語」と同様に、犬コミュニケーションにおいても最重要であるその「鳴き」についてですが、犬にも各国の犬がおり、日本人と米国人が同一の言語を使用しないのと同様に犬社会でも多種多様な「鳴き」が報告されています。これによって、人間と同じように、いや、もちろんそれ以上に、犬のコミュニケーションは困難で難解なものとなっているのです。しかもそれは、多国籍化が著しい犬社会において、爆発的な変遷を遂げていっております。したがって、あらゆる犬があらゆる犬と意思疎通、それも道順を尋ねるといったような高度なコミュニケーションを図れるわけではないのです

 この点に関しまして、しかし、それをそのまま放置しておいているのでは犬社会の秩序は保たれません。そもそも犬というのは群を形成して生活をする哺乳類で御座います。とりわけ、その秩序というものにはうるさい生物と言われております。そんなことから「町内会レヴェル」から「地方自治体レヴェル」まで、そのピラミッド状の上下関係というものが構築されていると考えられています。

 ここで、少しばかり、理解の助けとなる寄り道をしたいと思います。

 世界三大美女と呼ばれて久しいクレオパトラは絶世の美女を謳われて名高いですが、その実は「それほどの面相の持ち主ではなかった」と評されることも、まま、あります。では、何故、クレオパトラはそれほどまでに美女の名を有して離さなかったのか? それは、ひとえにクレオパトラが数ヶ国語を話す、並々ならぬ知性美の持ち主であったからだと言われています。中世ヨーロッパといえば、フランス、ドイツ、イタリアというように地続きでありながら、幾多の国がせめぎあう抜き差しならない地帯で御座いました。

 当然、用いる言葉も違いますから、どのような言語を喋るかということによって帰属意識・仲間意識というものが発生していたようです。つまり、幾つもの言語を喋ることができるということはそれだけで大きな力となり、人々のコミュニケーションを円滑にするのに非常に好意的に把捉されていたということです。

 このことが、そのまま「犬コミュニケーション理論」に対して応用できます。

 犬というものは単に強ければ一群のリーダになれると一時期は考えられてきました。確かにそういう部分は御座います。犬演劇「路地裏の悲劇」で有名な「五月雨タケル」など、そのようなリーダの際たるものかと存じます。しかし、単に強いだけでリーダになれるというほど犬社会というものも気楽な世界では御座いません。そこには陰謀があり、策略があり、多種多様な犬の駆け引きというものが御座います。そのような中でやはり、圧倒的な犬脈と犬望を誇るのは幾多の「鳴き」を理解し、発することの出来る犬で御座います。

 そのようなことから、必然的に群のリーダを務めるのは「多種鳴き」の犬であるというのが、最近の込み入った犬社会の事情を反映して一般的になってきているように思われます。この辺りの変遷に関しましては現時点では確定的な説明は困難で御座います。というのも、その「鳴き」の実態については当結社でも把握しかねているというような現状で御座います故、申し訳御座いません。しかし目下、調査中で御座います、近々、新しい報告ができるのではないかと思います。

 それはともあれ、このように「多種鳴き」の犬のなかでも「五種鳴き」以上を駆使できる犬を当結社では「マルチ犬」と読んでおります。マルチ犬は現在三匹しか確認されておりませんが、その一匹が「ゆりまろ」であることは言うまでも御座いません。その他、「二種鳴き」は「リトマス犬」、「四種鳴き」は「ジョハリ犬」、そのなかでさらに分類されると言った具合に細分化はきりがないので御座いますが、このように「還って来る犬」という特殊な事例を作り出すような犬というのは数種類の「鳴き」を理解することができたと推測されています。すなわち、逆を返すと、最低でも数種類の「鳴き」を聞き分けられるような犬でなければ還って来ることはできないだろうということで御座います。

 ちなみに「三種鳴き」が可能である犬というのはいまだ確認されて御座いません。このような犬というのは「トリニティ犬」と呼ばれておりまして、その「二種鳴き」から「四種鳴き」に移行する際の謎というものが、現在当業界では最大の関心事となっております。これらのことは「犬コミュニケーション理論第三章、クゥンクゥンで東の兆し」で触れられております。興味のある方は御一読をお薦め致します。

 以上のことから、ひと通りのことをまとめて申し上げますと、「還って来る犬が、何故、還って来ることが出来るのか」という質問には、当結社においては「還って来る犬は、様々な犬と積極的かつ意図的なコミュニケーションを取ることでその生息域への帰還を果たす(なお、その犬は数種類の「鳴き」が理解できなければならない)」とするのが正当な解答かと存じます。

 ああ、これ以上、お話を致しますとまた上司の方から怒られてしまいますので、今回はここまでということにさせて頂きたいと思います。まだまだ不十分なところは多々あるかと存じますが、不明瞭な部分につきましてはおひとりおひとりの質問に解答するということで、その解決と致したいと思います。

 それでは、長々と私の話にお付き合い頂いて、真に有難う御座いました。息子にも、今晩は良い話をしてあげることが出来そうです。それもこれも、皆様方のお陰かと存じます。なにとぞ、今後も「還って来る犬」への理解と関心を欲していただければ、私としても喜ばしい限りで御座います。それではまたお話申し上げる機会があることを心待ちにして、今回の「還って来る犬に関する話」を終了とさせて頂きます。

 本日は真に有難う御座いました。


Yurimaro has exerted an immeasurable influence on the society of dogs.

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by kourick | 2002-09-09 00:00 | 結社