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 フランスの歴史家、フィリップ・アリエスが 『<子供>の誕生』 を発表したのは1960年のことだ。Amazon を見ると子供に<>が付いていないが、これは誤りで、山鉤括弧を付けるのが正しい。つまり、ここにおける「子供」というのは、近代的な「子供という概念」という意味である。

 このアリエスの著書は、とりたてて読む価値のあるものではないけれど、一読の味わいはある作品となっている。あるいはこの著書に限らずとも、「子供とはなにか」という眼差しは、翻っては「大人とはなにか」という視点を逆照射するため、大勢にとって面白いものかもしれない。

 子供を「子供」として区別するということは、良かれと思って大人のやりだしたことだが、「子供を大人から排除する」ことが子供にとってありがたいことかどうかは不明である。まあ、人権としての必然であるかもしれないが、大人のいう「子供」が「大人ではない」というだけのこともままある。

 優先されるのは「大人」である。大人の社会である。そこから子供は排除される。そして、教育され、統合される。簡単な話である。そうしておいて、面倒臭いことに大人というのは「子供」にいろいろなものを託す。そこに郷愁を感じることもあれば、無垢や素朴を期待することもある。

 本来であるなら、子供自身が子供とはどういうものなのかを語ることができたらよいのだけれど、子供とはなにかを語ることのできる子供が、はたして子供を代表しているかという問題はある。語弊を承知で言うならば、子供とは無知であり、無知であるからこそ子供だからである。

 ここには「我慢」という行為に似た不可能性がある。我慢というものを「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ」ことだとすると、辛抱や忍耐の上位版としての「真の我慢」とでもいうべきものは、「我慢できないことを我慢する」ことだ。できないことをせよ、という内なる指令である。

 とすると、本来、我慢とは不可能な行為である。だが、人は我慢する。我慢できる。その不可能性に直面し、なお、自身の言動を胸のうちに思い留めることができる、これはどういうことだろう。もしかすると、これは精神論だからこそできる、正当なる詭弁なのだろうか。

 ここにはふたつの見方があると思う。ひとつは「我慢は次第にできるようになる」という成長による我慢の拡張という見方であり、もうひとつは「真の我慢は認識できない、できたとしても語れない」という我慢の不可知論である。いや、そんなことはどうでもよいのだ。

 子供である。「子供」でなにか書こうと思い、僕は最初、ルソーを考えた。ルソーというのは知れば知るほどろくでもない人だったが、よくよく考えて見ると18世紀のフランスにはろくでもない人しかいない(偏見である)。にしてもルソーは出色のろくでなしだ。だが、ルソーを読む価値はある。

 そんなこんなで、ルソーのなにかを書こうと思っているうちに、ヴォルテールとベネディクトゥス14世の対話を打っていた。それがこれである。

 理想郷におけるエピローグ
 http://kourick.net/Durant.htm

 これはウィル・デュラントの 『世界の歴史』(全32巻)の第29巻に収められている対話である。おそらくデュラント夫妻の創作だと思うけれど、これがよくできていて面白い。もともとそんな気はなかったのだけれど、ところどころちょっと笑ってしまったので打たせてもらった。

 デュラントの 『世界の歴史』 はそれほど評価の高い歴史書ではないかもしれないけれど、僕はけっこう好きで読んでいる。というわけで、今週はこのあたりのことを書けたらよいかなと思っている。しかし、こういう予定を立ててしまうと、途端にやる気が失せてくるから不思議である。
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by kourick | 2011-12-18 23:00 | 考察
 さて、そもそも古事記は、なんのために編まれたのだろうか。意図は定かではないが、目的ははっきりしている。それは、古事記の筆録者・太安萬侶(おおのやすまろ)の書いた序文によると、「帝紀(天皇の系譜)と旧辞(古代の伝承)を削偽定実すること」である。
 聞いたところによると、「諸氏族が持っている帝紀と本辞は、すでに真実とは異なり、虚偽が加えられている」そうだ。いまのうちに誤りを正しておかないと、近いうちに本旨が失われてしまうだろう。
(中略)
 だから、帝紀を一書にまとめて、旧辞を詳細に検討して、偽りを削り、実を定め、後の世に伝えたい。(意訳)
 これは天武天皇の言である。そして、天皇は手を打った。
ここに舎人あり。氏は稗田、名は阿礼、28歳。人となり聡明にして、一目見たら誦めるし、一度聴いたら記憶できた。そこで天武帝は、阿礼に命じて、帝紀と旧辞を誦習させた。(こっちも意訳)
 さて、ここで謎の人物、阿礼、登場である。舎人とあるため、もちろん男性だ。しかし、天武天皇は「したいなー」と手を打ったものの、完成はしなかった。天武天皇から、持統天皇、文武天皇と続き、実に元明天皇の代になってから、ふと思い出したように太安萬侶に詔が下る。
稗田阿礼の誦める帝紀と旧辞を一書にまとめて献上しなさい。
 これが711年9月18日のことである。このとき、稗田阿礼は何歳だったのだろう。生没年不詳なのではっきりしないが、天武天皇の在位が672年から686年なので、若くて53歳、老いていたら67歳、わりと高齢だ。このとき、太安萬侶も55歳前後だったのではないかと考えられている。

 そうして撰進されるのが712年1月28日であるから、実に四ヶ月あまりで完成したことになる。これは早い。古事記の編纂は、平城京遷都(710年3月10日)にあたっての修史事業の一環だったのだろうと思うが、叔父の忘れ形見はしっかり成長していたのである。

 常識的に考えて、太安萬侶に詔が下った段階で、現在の古事記のもととなる資料というのは完成していただろう。要するに「ソースは阿礼!」という感じである。これは天武天皇のチェックの入った由緒正しい記録と記憶だ。有象無象の記録と口承から厳選されたソースである。

 想像であるけれど、このとき、数多ある断片的な文献・口承資料を集め、書かれた古語や話の整合性をチェックしたのは稗田阿礼だったのだろう。数学者によってそれぞれ好き勝手に使っていた記号の用法をまとめることになったデカルトみたいなものである。

 そうして稗田阿礼の言挙げする「正しい歴史」を太安萬侶が改めて文字に起こす。これは一種の儀式であろう。また、このときの太安萬侶の発想、その姿勢にも感服するものがあるので、古事記の序文に書かれた本人の言葉をみてみよう。ここにあるのは最古の凡例である。
しかし、古の時代のことは、言(ことば)と意(こころ)がどっちも朴(すなほ)なので、文章にしようとするとき、漢字を使って表現することが難しいものです。

漢字の訓を使って述べようとすると、詞(ことば)が心(こころ)と一致しないし、漢字の音を使って書き連ねようとすると、文章が見た目に長すぎる。

なので、ある場合は音と訓を交えたし、場合によっては、訓のみで書きました。そういうとき、文脈が分かりにくいものには註を付けました。ただ、音註をあまり付けすぎると煩雑になってしまうので、わかりやすいものに関しては省いたよ。(もちろん意訳)
 これである。当時の公文書は、およそ漢文によって書かれていたわけだけれど、それでは本意が伝えられないと安萬侶は思った。どういうことか。卑近ではあるが、わかりやすい例を挙げよう。「おしっこ」は漢字で「尿」と表記するが、普段の生活で「尿」と発することがあるだろうか。

 子供に「尿、してきなさい」とは言わないだろう。こういう言葉はけっこうある。漢字というのは現代においても書き言葉としてのみ機能していることが少なくない。外国語を勉強していても、うまくニュアンスが表現できず翻訳しづらい言葉は「ひらがなの言葉」であることが多い。

 それはこの社会・文化の生活に寄り添っている言葉だからである。魂が宿っているのだ。「おしっこ」に魂が! さて、古事記は本来、天武天皇が稗田阿礼に誦習させたものである。もともと、口承性の強い作品なのだ。だが、記録に残そうとすると漢字を使わざるをえない。

 そこで太安萬侶は苦心して、上記の様な序文を書いた。具体的な例を挙げると、「おしっこ」を「尿」としたり「於此子」みたいに書いた(仮にそうだとしても、もっと言い方がないものか)。このあたり、古事記が「日本の古語・古意によって古代を語った書」といわれる由縁であろう。

 再び、デカルト先生に登場願うと、当時、学術的な文章はラテン語で綴るのが一般的だったのに関わらず、デカルトは1637年、『方法序説』をフランス語で発表した。一般人でも読めるように。もしかすると、太安萬侶にもそういう意図はあったかもしれない。誰でも語り継げるように。

 そして、当時、最新の漢文体という表記法を退け、日本の古語・古意でなければ伝わらないものがあると考えた。こうした歴史認識はなかなかできたものではないと思う。とはいっても、漢字を使わないと表現できない。そこで編み出されたのが、上記のような独創的な表記法である。

 さて、いよいよ、どうしてこんなことを書き連ねているのか、僕自身、行方不明になってきたので、話を戻そう。稗田阿礼は女性だったのかどうかである。Wikipedia にも女性説が載っており、論拠は「猿女君の末裔だから」と「『アレ』は巫女の呼称だから」となっている。

 前者に関しては「猿女君の末裔・稗田氏にも、男性の人間はいただろう」ということで尽きてしまう。舎人は巫女じゃないし。後者に関しては、当時の戸籍を参照すると「アレ(阿礼)」というのはむしろ男性の名称であるそうだ。女性であるなら、「アレメ(阿礼売)」にならないといけない。

 これはたぶん、神名の慣習に倣っているのだろう。アメノウズメノミコトも「ウズメ」である。女神には「メ(女、比売、姫)」などの字が宛てられる。特に巫女を神格化したような存在には特徴的であり、もし阿礼が女性だったのなら、なおさら「メ」は付けられていたに違いない。

 ただ、女性説が広まったということには、なにか納得できるものがあるのも事実だ。少なくとも、僕はそう思う。たとえば、文字を持たないアイヌの口承の物語のことをユカラと言うが、これはどこか女性だけが謡い、語り継いでいるようなイメージがないだろうか。

 これはその行為に先立って、シャーマンだったり、巫女のイメージが浮かぶからだろう。古来、かんなぎには男性が多いわけだけれど、どういうわけか女性のイメージが強い。実際、在野のかんなぎということになると、イタコや歩き巫女のように女性が多かったという事実もあるだろう。

 また、ヒステリー症状を起こす人は女性に多かっただろうから、いわゆる神憑り的な状態に陥るのは感受性の強い女性が多かっただろう。そうしたトランス状態が、儀式における感情的な側面としての神秘性を担っていたというのは想像できる。

 つまり、こういった民間のイメージが稗田阿礼を女性にしていった。漢文という男の学問のスペシャリスト・太安萬侶に誦み聴かせをした可愛らしい阿礼(?)が男性のわけがない! 要するに、稗田阿礼は日本史上初の「男の娘」だったのだ! だが男だ。
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by kourick | 2011-12-13 20:00 | 考察
 東方project というシューティングゲームを主体とした作品群がある。僕は「地霊殿」までをけっこう遊んだ。ちなみに、ゲームとして一番好きなのは「紅魔郷」、背景やストーリを含めて好きなのは「永夜抄」、設定との絡みでよく考えられているなと思ったのは「風神録」だった。

 その作品のなかに「稗田阿求」という女性が登場する。女性である。彼女は舞台となっている幻想郷の異変や妖怪のことなどを巻物にまとめ、後世に伝える役目を担った人間(離れした人間)なのだけれど、こうした表象というのはどこからきているのだろう。『蟲師』の狩房淡幽などもこれに近い。

 少し逸れるけれど、『うしおととら』のお役目様や『乱と灰色の世界』のお館様のように、結界能力の高い人物というのも女性として描かれることが多い。どういうわけか漫画の例ばかり思いついたが、イメージとして女性のほうが見栄えするということもあるのかもしれない。神秘性もある。

 この「稗田阿求」というのはむろん、古事記の編纂者の一人といわれる「稗田阿礼」がモデルになっている。東方project では、およそ人間・妖怪・妖精・亡霊、さらには神まで、みな女性像をとって描かれるのだけれど、稗田阿求のデザインというのが、これがまあ、妙にしっくりきている。

 思えば、そもそもモデルとなった稗田阿礼に女性説があったのだ。民間人的には「なんかマイルドな名前だしオンナじゃない?」みたいな感覚で女性説を唱えていたんじゃないかと勘繰ってしまうが、柳田國男先生も女性だと言っている。泣く子も黙る、柳田國男、迫力のある名前である。

 その根拠は「稗田氏が猿女君の一族である」ということにある。猿女君というのはアメノウズメを始祖とする氏族であり、古代より朝廷の祭祀に携わってきた一族である。政祭の一致することの多かった古代社会において、重要な役割を担っていたというのは想像に易いところだ。

 また、この一族のかわっているのは、おもにその役目を女性の巫女が果たしてきたことにある。ほかの祭祀氏族は男性が携わっていたが、猿女君は女性が携わっていた。稗田氏というのはその末裔であり、ゆえに稗田阿礼も女性だったのではないかと想像されている(ちょっと飛躍しているが)。

 僕も浪漫があるので女性説を支持したいけれど、当の『古事記』に「舎人(男性が務める)」と記されているので難しいところだ。もっと想像を豊かにしたら女性にすることは可能ではあるのだけれど、考えれば考えるほど、やはり男性なんじゃないかという気がするから困ったものである。

 阿礼というのは聡明な人だったそうで、抜群の記憶力があったようだ。そこで天武天皇は、阿礼に帝紀と旧辞を誦習させた。「誦習」という言葉はもう、この場面でしか使わないのではないかと思うが、どうも「節を付け、声に出して読むこと」のようである。暗誦までを意味するのかは定かではない。

 要するに、稗田阿礼は超エリートである。もちろん文字が読めた。おそらく古語、大和言葉に精通していたのだろうが、ある程度は漢文も読めただろう。しかも、記憶した。それを後になって、漢文のスペシャリストであるところの太安萬侶が改めて文字に起こした。それが古事記である。

 スリムクラブの真栄田でなくとも、「あなたたち、高い教育受けてますね」とマジレスしたくなるだろう。僕が言いたいのは、そんな高い教育を当時の女性が受けることなどできたのかということである。うーん。いや、あるいは CLAMP のように「稗田阿礼」という特務機関があったのだとしたら!

 もしかしたらワンチャンあるかもしれませんよ、これは。(続く)
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by kourick | 2011-12-12 22:00 | 考察
 「元始、女性は実に太陽であった」と言ったのは平塚らいてうである。ときは1911年、『青鞜』の創刊号に載せられた宣言文のはじまりだ。らいてう、実に26歳であった。この一文は有名なキャッチフレーズになっているが、この文章の全体を読んだことはあるだろうか。

 折角なので是非、一度、目を通していただきたい。らいてうという人は彼女自身、時代の求めに応じた一人の天才だったのだろうが、僕はやはり、個人的にはノーサンキューといったところである。どうも自分の筆致に酔っている。しかし、その若さに任せた勢いが絶対的に必要だったのだろう。

 本人はオーギュスト・ロダンに共感して感動していたようだけれど、僕が傍から見たイメージとしてはオランプ・ド・グージュに被る。なににおいても創始者というのは別格に数えられるべきものではあるが、はっきり言って、らいてうの宣言文は「なに言ってるかわからない」の境地である。

 僕なりに簡単にまとめると「うおー! ワタシは自由だー! 止めるな! ワタシを止めるな! ていうか、来いよ! わたしはいまちょーすごい! いまから魂のステージを登るぞ! お前たちも来い! 行け行け行っちゃえ! お前も行っちゃえ! ロダンかっけー!」という感じだ。

 最初の「うおー!」の部分が「元始、女性は実に太陽であった」に相当する。この「うおー!」は本文中でもちょいちょい挿入されるので、大事な掛け声である。誰かが「先生、正直、ちょっと意味わかりません。あと、落ち着いて下さい」とマジレスしなかったのは、らいてうの人間力だろう。

 彼女は熱狂の人、内なる嵐に身を任せる人だったのだと僕は思う。これは別に平塚らいてうを馬鹿にしているわけではない。らいてうという人はこのあと晩年までいろいろある人だが、結局のところ、この「うおー!」を様々な仕方で吐き出していたんじゃないかなと思うだけである。

 さて、ところで、そもそもではあるが、「元始、女性は実に太陽であった」とはどういう意味なのだろうか。僕の知っている限り、むろん女性は人間なのであって太陽ではない。ちなみに、よくある間違いだけれども、この一文の始まりは「元始」であって「原始」ではない。

 となるとやはり、神話的なイメージが湧き上がる。すぐに思い当たるのはアマテラスだろう。だが、アマテラスは男神であるところのイザナギが禊ぎをしたときにその目から産まれているので、ちょっといまいちではないか。むしろ元始の女神なら、メジャーなところでイザナミあたりが妥当だろう。

 というかである、この文の続きを読んでみよう。

「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である」

 読んでわかるように、「元始」と始まっているわりに、ここで扱われている日月というのはずいぶんと近代的なメタファなのである。しかも、月の扱いが酷い。その一方、このあとには国生みの神話を意識しているように思われる箇所もあり、まあ、いろいろと混乱している気配がある。

 だが、思うに、これは混乱でもなんでもないんである。要するに、このあたりは全部、らいてうが「それいいじゃん、かっけー」と思ったものを切り貼りして自分の言いたいことをまとめているだけなのだ。つまり、細かいことはいいのである。僕が「うおー!」の人だなと思うのはこういうところだ。

 ひとつひとつを精査していったらきりがないし、そういうことをすると逆によくわからないんである。言いたいことが先にあって、言いたくて言いたくて仕方ない人というのは、えてしてそういうものだ。エネルギに満ちているときというのは、よくまとまっていないものなのである。

 そして、そういう人はときにとても魅力的だ(おいおい、ちょっとうっとうしいなと思うことになるが)。「ん?」とかどこかで思ってしまったら、それはもう駄目なのである。らいてうの思う「わたしかっけー!」「これうまいよね!」が連続してぶちまけられているところに、読者はなんか感動するのだ。

 こういう「うおー!」の人が言論には必要なものである。
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by kourick | 2011-12-06 19:00 | 考察
表現者であろうとなかろうと、表現をするということを意識した途端に表現できないようになるということはある。どうして、そういうことがおきるのか。それには表層的に多様な理由が考えられる。けれど、その躊躇の根底にあるのは、表現したいことと表現との間隙、そして、表現と表現の受け取られ方との間隙を過剰に自覚してしまうということではないか。

それらが一致しないかもしれないという不確かさを人は恐れる。その恐れは、自分が誤解されてしまうのではないかという不安に起因している。誤解されてしまう不安というのは、表現と人格の両方に向けられているだろう。自分の表現したいことが適切に相手に伝わらないのではないかという恐れと、その表現をした人格が肯定的に受け取られないのではないかという恐れである。

もちろん、表現と人格というのは弁別されるものである。しかし、まるで無関係なものでもない。むしろ、理知的な論証をしているのでもない限り、それらは大きな影響関係をもって成立していると考えるほうが自然である。光源に向かって影が伸びることのないように、一方が他者の視線に照らされるとき、他方はその影として、一定の傾向性をもってその裏側に伸びている。

人に誤解されることを恐れるというのは、その表現から人格に波及する他者からの不信に許しがたい悔しさを想像してしまうからだろう。それは積極的な意味合いにおいては、他者のなかの自己が当人の理想像から逸脱してしまうという想像に起因しているだろうし、より消極的な意味合いにおいては、肉体を守るのと同じように精神を守りたいという欲求に起因しているだろう。

しかし、精神に服を着せることはできない。外面に晒される部分に関して、精神を守るというのは肉体を守ることほど容易ではないのである。ところで、人はおよそ無価値なものを守ろうとは思わないものである。それゆえ、精神を防護するときに働いている意識は、自己自身の表出可能な内面の価値をどのように値踏みしているかという自己愛の強さと表裏一体ということができる。

自己の内面に渦巻きなす言語が常に同一のままに自己を現すと考えられるのも、自己愛のなせる業ということができるかもしれない。そして、自己愛という孤独に引き篭もらない限り、わたしたちは人格の肯定をも欲する。表現が内なる世界から外界に向かって自己の居場所を求めるために迸っているときは、なおさらそうである。そのとき、表現の繭は自己自身を幾重にも包み込む。

表現できなさの表現というのは自己愛の発露の境界面にある。そこにある矛盾は、重力に惹かれて落下するのでもなければ、宇宙に向かって解き放たれるのでもない自己愛の限界において揺れている。しかしいま、僕は循環する自己愛の弊害を指摘するのではない。むしろ、表現への躊躇が自己愛の空回りに起因していたとしても、それを恥ずべきではないとすら言いたいのだ。

表現と自己愛を天秤にかける必要はない。その裁量は自身のゆらめきの熱量に委ねたら良いのである。言い知れぬ息苦しさのなか、自信の欠如と能力の不足に塗れて産み落とされたのが不細工な表現でしかなかったとしても、それは無益ではない。だから、ただただ、僕は戒める。考えることだけは止めてはいけない。やはり、僕の深奥に残る言葉も、これに尽きてしまう。

表現のできなさを無闇に解消しようとすることはない。それは間違ってすらいる。暗闇に向かって叫び、虚しさのなかに想いを拡散し続けることは、傍から見ると魅力的でもあるからである。暗闇と虚しさに孤独が直面するとき、人は恐ろしいほどの脆さを引き寄せる。色を失った世界は、寄せては還す感情の波をすっかり吸い尽してしまう不毛な砂漠に変わり果ててしまうかもしれない。

しかし、不毛な砂漠に佇む人にしか見ることのできない星空も、きっとあるに違いない。
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by kourick | 2009-03-26 00:00 | 考察
 唐突だけれど、人を愛するというときの「愛しさ」には、おおまかに二種類あるのではないかなと思っている。ひとつは、相手を特別な存在にする場合、もうひとつは、相手の存在を特別扱いする場合です。これらは似ているようでいて、異なっている。

 前者は「僕が君を愛するのは、君が特別な存在だからだ」ということになる。運命の相手と巡りあう場合などは、こちらになるだろうか。これはドラマティックな愛し方ということができる。自分にとって特別な存在である人を愛するのだから、これは必然的な愛ということになるだろうか。

 後者は「君は決して特別な存在ではないけれど、僕は君を愛するし、僕は君を特別に想うのだ」という場合である。こちらはリアリスティックな愛し方ということができる。自分にとって、決して特別な存在ではない人を特別に想い、その人を特別な存在として扱い、愛するわけです。

 すなわち、前者は「その人は特別な人なのだから、特別な人として受容する」という考え方であり、後者は「その人は特別な人ではないからこそ、特別な人として扱う」という考え方になる。一般的には、前者のほうが好まれるようだけれど、僕は後者を好む傾向にある。
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by kourick | 2007-09-27 00:00 | 考察
 お米を団子にして投げて遊んでいた児童を叩いた校長が懲戒処分を受けたらしい。叩いたタイミングの悪さなどを鑑みて想像するに、わりと面倒な児童で日頃の行いから頭にきていたのだろうと思う。

 なので、「微妙な事例」と言いたい気持ちもあるのだけれど、知人の教員に訊いてみたところ、原則として「手を出してしまったら、もうアウト」だとか(問題を起こした直後で、親の理解があったら微妙)。

 戒告処分なので教職を続けるのかもしれないけれど(教育業界において減給・停職を受けるというのは「自主退職しろ」ということです、か?)、なにはともあれ、僕は「校長、やりましたね」と言ってあげたい。

 ただ、こうした事件が起こると体罰容認派がけっこう現れるので、それが大衆に与える影響というのは少し心配ではある。巷には「うちの子が悪いことをしたら殴って下さい」というような人はけっこういるものだ。

 しかし、そうしたところで児童の扱いに差を付けるのは難しい話だし、「体罰容認」の最初の一歩を認めてしまうと、どこまでが「良い体罰」で、どこからが「悪い体罰」なのかという線引き問題になる。

 しかし、体罰を受ける側の個体差も考慮すると、この線引きは明らかに不可能だ。仮に線引きができたとしても、その「良い体罰」が適切に運用されるかには、きわめて疑わしいものがある。

 たしかに「体罰によって目が覚めた」という人も一定数いるのでしょうが、それはイレギュラな例であり、少なくとも公立学校の教育方法論としては「体罰」は危険だろう。適切に運用できるとは思えない。

 しかしまあ、仮に体罰を容認したとしてみましょう。そのとき、殴られる子供は百歩譲って仕方ないとしても、殴る教員はこれ、しんどいですよ。人ってそう簡単に人を殴れるものですか。

 もし、それが教育行為として認められていたとしても、人を殴るということは言うほど簡単なことではないでしょう。それこそ殴り癖を付けておかないと良い感じには殴れない。それもまた、教師の資質ですか?

 体罰を容認しろと言うだけの人は楽だけれど、実際に大勢の子供に体罰を行う人の気持ちは複雑です。ただでさえ精神を病む人が多いのに、体罰の容認はさらに教員の精神的負担を増やすでしょう。

 結局、安全側の発想を維持するための教訓は、やはり「体罰は原則としてだめだ」ということです。これが前提になっていないと、現実的で協調的な取り組みは不可能といってもよいと思う。

 ただ、この前提を認めつつも、教員の安全もきちんと確保しないといけない。教師の正当防衛はどこからが正当なのか。教育の問題を考えるということは、子供の問題であるのと同じだけ、教員の問題でもあるのだ。

 「教育」というのはわりあい漠然とした言葉なので、教育に関して語ろうとするとついつい、自分の経験から得られた限定的な教訓を当てにして無遠慮・無責任なことを言ってしまうことがある。

 しかし、たまには子供の通っている学校に実際に行ってみて、子供や保護者と教員と交流を図り、子供の通う学校と、その学校を取り巻いている環境を見詰め直してみるのも有意義なことでしょう。
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by kourick | 2007-01-18 00:00 | 考察
下の話題に関して、「個人」という個の水準にあるものと「人間」という種の水準にあるものを混同しているとお叱りを受けるかもしれない。確かにそうかもしれない。

個の水準にある個人(あるいは個体)の複製であるクロンを造るということと、種の水準にある人間を模して機械や人形を造るということは違う話かもしれない。

しかし、だとすると僕は逆にこう反論したいと思う。そもそも「原型と複製」という関係は「個の水準」に当てはめられるべき構図なのであって「種の水準」に当てはめられるべき構図ではないのだ。

人間を模すとはいったいどういう意味なのか。これはより詳細に語られなければならないことだろうし、いわんや、神を模すとはいったいどういう意味のことを言っているのか、僕にはさっぱりわからない。
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by kourick | 2006-08-27 00:00 | 考察
 「人間/機械(アンドロイドやレプリカント)」「人間/人形」の関係を取り上げて、そこに「原型(オリジナル)/複製(コピー)」という構図を当てはめて話題を展開することはわりとある。

 こういった発想はそれほど目新しいものではなくて、古いところでは一神教における「神/人間」の関係がこれにあたる。いわゆる「人間は神を模して創られた」というものだ。

 といっても、さらに遡ってギリシャ神話になると「神々は人間を模して創られた」という様相を呈しており、似通った物語の枠組では語れない動機や目的、社会的役割の違いがあるように感じられる。

 ただ、僕は「人間/機械」「人間/人形」という関係を「原型/複製」という構図で理解するのには違和感があって、ある個体をオリジナルとしたとき、その個体の複製はやはり、その個体のクロンだろうと思う。

 だから、人間を機械に喩えるのも、機械を人間に喩えるのも、それらはやはり類のメタファであって、いまいちリアリティを感じられない。むしろ、その構図の性格上、実情に漸近していかないように感じる。

 それはむしろ、あるオリジナルから近縁のオリジナルを創るというテーマである。ただ、たしかにそうしたテーマは「原型と複製」という構図の物語のなかで成立するものなのかもしれないとも思う。

 もちろん、こうしたレトリックは現実的には問題にならない。ただ、そうした構図のなかにある物語がどのくらい現実を説明してくれるのかということについて、僕はとても懐疑的だというだけの話である。
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by kourick | 2006-08-26 00:00 | 考察
「<」という記号がある一方で、どうして反対向きの「>」という記号があるのだろう。集合論における「⊃」と「⊂」、「∈」と「∋」も対になっている。

ちなみに、逆向きだけれど意味は同じという記号は左右の反転に限られていて、上下に反転している記号はそれぞれ明らかに違う意味をもっている。これは横書きの文化でこれらの記号の属する体系が発展してきたからだろう。

それはともかく、どちらか片方だけあれば事足りるように思われるのに二種類の記号があるのはなぜだろう。僕の推測では多分、関係を表示する記号を固定したまま、両辺に現れる対象を置換すると証明の流れが不明瞭になる場合がけっこうあったからだと思う。

つまり、左辺に短い式を置いておきたいという心理的な事情によってである。あるいは、証明はどうしたって左辺から先に書かれるため、それを基準に「左辺より大きい」「左辺より小さい」を表現しようとすると、どうしても「<」「>」という二種類が必要になるということかもしれない。その証拠かどうかわからないが「<」は「しょうなり」と読まれ、「>」は「だいなり」と読まれる。

このようなわけで、わりかし両方向の記号が用意されているわけだけれど、たまに論理学なんかで使う「⇒」という記号には、逆向きの記号は用意されていない。このことから思うに、順序関係や包含関係や大小関係などを左右の別なく表現しつつも、やはり時間は左上から右下に向かって流れているということだろう。右から左に向かう矢印は不自然なのである。ちなみに「⇔」という双方向矢印は用意されているし、テフでは逆向きの矢印も使うことができる。
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by kourick | 2006-08-09 00:00 | 考察