もし売られているのなら、愛だって買うことができるだろう

 ライブドアの堀江さんが「お金で買うことができないものはない」という発言をして非難を浴びたそうだ。といっても、「非難を浴びた」というのは後付けの認識で、初めて耳にしたときは「そりゃそうだ」と思ったのを記憶している。言われてみると、たしかに非難を浴びそうな発言ではある。

 堀江さんがどういう意図で発言したのかは知らないけれども、およそ「買う」という行為は「お金で買う」ということが前提されているので、買うことができるものはお金で買うしかない。だから、「お金で買うことができないものはない」と言われても、それは当然だろうということになる。

 売買というのは、お金でするしかない。「物々交換」まで遡るなら解釈の余地はあるかもしれないけれど、それはやはり「交換」であって「売買」とは異なるものだ。むしろ、金銭を物やサービスと交換することを「売買」と定義するだろう。

 堀江さんの発言が非難を浴びるのは、その発言が「なんでも自分の思い通りになると思っている」という印象を聴き手に惹き起こして嫌悪感を生じさせるからだろうけれど、(その感覚のもっともらしさはさておき)言っていること自体はそれほど変なことではない。

 むしろ、この発言を非難する側が、暗黙のうちに「愛情」とか「友情」とか「信頼」といったものを売買の対象と見なしているのだとすると、そちらの意識のほうが汚いという印象を受けないこともない。いわゆる、下衆の勘繰りと言われるものでしょう。

 買うことができるものはおよそ、あらゆるものがお金で買うことができて、お金でしか買うことができないのだ。その他に「そもそも、お金で買うことのできないもの」があるのだろう。あらゆるものを売買の可能性の範疇に置いて思考しているという発想の汚さこそ、たまに反省したほうが良い。
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by kourick | 2005-01-22 00:00 | 考察