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サイトと名前と中の人

鴎庵 さんに昨日の 開かれたネット的誤謬 に感想をいただきました。ありがとうございます。というわけで、少し返答したいと思います。面倒なら、さらっと読み流して下さい。お互いのテキストの差異は基本的に表現の差異であって、内容に大差はないと思いました。だから、きっかけをもらったという感じで、反論をしたいというわけではありません。そういうわけで、今回は「定住化と名前」です。

鴎庵さんで指摘されているとおり「定住化」の流れというのはあったと思うし、いまでもあると思っています。これは「名無し」であることの安息が日本語圏におけるウェブの専売特許であったにもかかわらず、昔からずっとあるというのが面白いと僕は感じています。

それはたぶん、自分の業績から生まれた利潤に見合う報酬を企業から得られずに逆に権利を搾取される科学者や、自分の作った音楽の著作権を企業に搾取されて本来的に妥当な主張もできずに報酬も得られないゲーム音楽の作曲家と同じようなもので、それまでにはなかった価値のある独創的な発想や、ある程度のクオリティを持ったものには自分の名を刻印したい、ないし、それによってなにかしらの権利を主張したいという願望が人間にあるからだろうと思います。

この問題は、ウェブというフィールドで考えるなら、ふたばちゃんねる という場が、しばしば非常にクオリティの高い作品が投下されるのにもかかわらず、どうしてあそこまで商業的な雰囲気を漂わせずに成り立っていられるのかという、日本式文化の不思議さに直結すると思います。どのような素晴らしい作品であっても、自分のサイトも自分の名前ももたない製作者(たち)には、その作品を自分たちの作品として主張することができないのです。厨雑誌として名高い ネトラン にネタを搾取されたときも、憤慨することはできても権利を主張することはできませんでした。それでも、名無しによる作品発表は尽きることはありません。

こうした職人気質の内輪主義とも言える状況は、実際、不安定なところもあって、去年の四月頃に ぁゃιぃ(*゜ー゜)NEWS さんを起点に勃発した とらぶる・うぃんどうず祭 などは、こうした不安定さを露呈する象徴的な事件だったと思います。この祭は 電脳遊星D さんが妥当なまとめを早めに書かれたこともあって早々に終結しますが、二次創作作品の取り扱いに関することについて、また、個人ニュースサイトの運営に関して、さまざまな問題を差し出す興味深いものになりました。

こういった事柄から、僕がなにを言いたいのかというと、別に名無しでの作品発表という姿勢が悪いということではなく、勘違いをして暴走してしまう一握りの人を除けば、自分のサイトをもたない、つまり、定住化をしないような名無しであっても、ウェブ上で自分の居場所を見付けて安息を得てことはできるだろうということです。つまり、「定住化する」ということと「名前を持つ」ということは切り離したほうが良いだろうと思います。

サイトを構築するということから名前を掲げるということは帰結しますが、その逆は違います。名前はあるけれどサイトはないということは、しばしばあります。「あのサイトの何某」ではなしに「何某」であることが重要なのです。「あのサイトの」といったような「何某」の固有の発言の場があるかどうかということは、重要さとしては次点になるだろうと思います。