二種類の「愛しさ」

 唐突だけれど、人を愛するというときの「愛しさ」には、おおまかに二種類あるのではないかなと思っている。ひとつは、相手を特別な存在にする場合、もうひとつは、相手の存在を特別扱いする場合です。これらは似ているようでいて、異なっている。

 前者は「僕が君を愛するのは、君が特別な存在だからだ」ということになる。運命の相手と巡りあう場合などは、こちらになるだろうか。これはドラマティックな愛し方ということができる。自分にとって特別な存在である人を愛するのだから、これは必然的な愛ということになるだろうか。

 後者は「君は決して特別な存在ではないけれど、僕は君を愛するし、僕は君を特別に想うのだ」という場合である。こちらはリアリスティックな愛し方ということができる。自分にとって、決して特別な存在ではない人を特別に想い、その人を特別な存在として扱い、愛するわけです。

 すなわち、前者は「その人は特別な人なのだから、特別な人として受容する」という考え方であり、後者は「その人は特別な人ではないからこそ、特別な人として扱う」という考え方になる。一般的には、前者のほうが好まれるようだけれど、僕は後者を好む傾向にある。
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by kourick | 2007-09-27 00:00 | 考察