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エデュケーションはコミュニケーションではないけれど

どういう状況であれ、僕は学ぶ気のない人になにかを教えるということがいやで仕方がない。啓蒙という行為も好きではないし、もはや啓蒙によって人や社会が幸せになれる時代でもないと思っている。

自分がなにかを知っているということに興味がないし、他人がなにかを知っていないということにも興味がない。自分と関わりのない事柄を適切に無視できる能力のほうが大事ではないかと思われる。

僕は「教える」という行為は受動的な側面だと信じている。つまり、理想的には、「教える」という出来事は「学ぶ」という出来事に一元化できる。だから、可能な限り「教える」という行為を消去したほうが、僕は穏やかに暮らせると思っている。

もちろん、場合によっては異なる語り方も可能ではある。
by kourick | 2006-06-02 00:00 | 考察