ケンちゃんラーメンはずっと新発売

 『記号論理学』 という書籍を持っているけれど、これはやはりちょっと奇妙なタイトルである。そのなかにある「記号言語」という言葉にしてもそうだけれど、およそ「記号」を用いずに表記される言語などないのではないか(ここでの「記号」は「symbol」といったところか)。

 たしかにフレーゲ以後の論理学を指して「記号論理学」や「数理論理学」を使うのはわかるが、それなら「現代論理学」で良いのではないか。しかし、いつまでたっても 『現代論理学』 が売られていてもわけがわからないかもしれない。「ケンちゃんラーメン新発売」みたいなものだ。

 ちなみに、ちょっと仰々しいぐらいが学問的には可愛い。近寄るとツンツンしているのに離れると少し寂しそうにこっちを見ている。そういったわけで人はその内側に愛らしい、美しい部分があることを一度でも予感してしまうとなかなかそこから目を逸らすことができない。

 これは、その逆もまた成り立つのではないかと思う。たとえばマルキ・ド・サドの小説はモラルの欠如を指摘されるが、あれはモラルがないわけではない。提示されているのはまさに不道徳な行いであり「immoral」ではあるが「unmoral」ではない。

 価値の逆転を生じさせるためには、価値の基準自体は用意されていなければならない。つまり、典型的な「美しさ」や「道徳」といったものが負の方向に反転しているだけである。そしてやはり、人はそういうところからもなかなか目を逸らせない。
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by kourick | 2006-03-15 00:00 | ○学