輸入される言葉と概念

 日本語には「主語がない」と言われている。いや、「私」や「僕」があるではないかと思われるかもしれないけれど、これらはもともと一般名詞であって、文法的な「主語」ではない。それぞれ「公」「君」と対をなすもので、他国語の「I」「Ic」「Ich」「Je」のような主語ではない。

 むしろ、日本語にはこれといった主語がないために、いろいろな表現が主語の位置に収まりうる。「私」「僕」「俺」「自分」「ゆきこ(自分の名前)」「お母さん(自分の役割)」などはメジャなところだと思うけれど、他にも無数にある。いや、無数は過言だとしても、数百はある。

 また、一人称と同様に二人称にも無数の一般名詞が考えられ、「you」のような確定したものはない。迷子と思われる子供に「僕、どうしたの?」と声をかける場合などは特徴的だろうか。むろん、このときの「僕」は発話主体を指す主語ではない。迷子の子供に問いかけているのだ。

 本来、一般名詞なので、それを一人称的に用いるか二人称的に用いるかという使い分けすらできる。というわけで、「主語」というのは外国語教育をやるための文法上、日本語に導入された概念であって、もともとの日本語にはどうやらそういうものはないらしい。

 夏目漱石が教壇に立っていた頃、「I love you」を生徒に訳させた(まことしやかな)逸話がある。彼は「僕は君を愛しています」や「貴女が好きです」といった意見がでたところで、「日本男児はそんなことは言わない」と一喝し、これを「月が青いですね」と訳したというのだ。

 もはや主語どうこうというはなしでもない気はするが、「主語」や「恋愛」という概念は明治期に海外から輸入されたものであり、もともと日本には自己を中心として直接的に意見を表明するような文化はなかったのだろう。それにしても、夏目漱石の奇訳は情緒に満ちている。
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by kourick | 2006-03-14 00:00 | 言葉