J.J.ルソーはゲザらない

 そろそろ最後にしようと思う。ちなみに、ここに書いているようなルソー理解というのは、粗削りで大雑把な僕のなかのスケッチに過ぎず、細かい知識に場所を与えてちゃっちゃと頭のなかに収めるための下書きに過ぎないので、あまり真に受けないほうがいい。偏見に満ちている。

 もし興味を抱いたのなら「おいおい、ホントにそんなに酷いのかよ?」という気持ちで僕を批判するように、自身でルソーを読んでみることをおすすめする。まあ、個人的にはルソーなんて読まないことをおすすめするけれど、古典を直接読み進めるというのは悪いものではない。

 しかし、ルソーに関して言うと、彼の場合はプライベートの逸話が酷すぎて、その著書を読んだところでルソー自身の面白さには敵わない。友人関係も出鱈目であり、ダランベールに宛てた手紙のなかで、なぜかディドロと絶交するあたりはルソーの本領発揮といったところである。
友人に対して剣を抜いたとしても、絶望することはない。剣をおさめる方法はある。言葉で友人を不幸にしたとしても恐れることはない。和解は可能なのだ。しかし、秘密を暴き立て、裏切りによって友人の心を傷付けたなら、もはや友人の心から優しさは失われる。彼は去り、そして二度と戻ってはこない。
 詳細は割愛するが、これはディドロに嫌がらせを受けたと妄想したルソーが「裏切り者め!」とディドロに噛み付いている一節である。全然関係ないはずの手紙のなかで、いきなり私怨が混じるのが熱い。ルソーはやはり、思想家というよりは、思想をアレンジする作家という感じである。

 そのときの感情に任せて、なにかに反発するために文章を書いている。ディドロやグリム、ヴォルテールといった人たちがいつもフェアだったかというと疑問ではあるが、ルソーの病的な被害妄想には負ける。しかもこのときは百科全書の<ジュネーヴ>問題の巻き起こっていた時期である。

 ジュネーヴの宗教解釈に首を突っ込んでしまい喧々囂々の騒ぎになっていた頃、ルソーもそれを批判するのだが、正直、宗教なんてどうでもいいルソーは「お前ら、ジュネーヴに劇場を立てようとしているな!そんな悪徳は許さん!やめろ!」とよくわからない方向にキレた。

 ルソーも作曲家だし、劇作家なのにである。こうした対応に疲れてしまった理系人間ダランベールは「もうやめるわ」と百科全書の編集を降りようとするし、ヴォルテールも「やめろやめろ、百科全書なんてやめろ」とか言い出すし、このときはさすがにディドロもかなりムカついただろう。

 一方のルソーはというと、文明国フランスの道徳の荒廃を嘆いたかと思うと私生活では変態行為にいそしみ、ディドロたちにジュネーヴに劇場を作るのをやめろと言ったかと思うと自分は新しい戯曲を書いて上演していた。サン・ランベールは「二度と戻ってこない人」からの手紙に、こう返信した。
君の贈り物を受け取るわけにはいかない。君にはディドロを非難する理由があるのかもしれないが(おそらくはないだろうが)、公の場で彼を非難する権利はないはずだ。君はあの告発で、彼がどんなに苦しんだかわかっていない。(中略)
 私とは互いに納得し合うにはあまりにも主義が違いすぎる。私の存在など忘れてしまえ。私も君のことなど忘れてしまい、君のことや君の才能を思い出すこともないと約束する。
 熱い展開である。だが、もっと熱いのは、ルソーがこの類の手紙を書かれるのは、これが初めてではないということである。記録にある限り、ここまでで同種の手紙を三通、書かれている。一通はグリムからルソー、一通はディドロからグリム、もう一通はエピネ夫人からルソーへのものである。
もし私が君を許せるなら、私は自分を友を持つのに値しない人間だと考えなければなるまい。二度と君には会いたくない。そして、もし君のふるまいを記憶から消し去れるなら、どんなにか幸福だろう。私を忘れてくれたまえ、そして、これ以上私の邪魔をしないでくれ。
 これがグリム。そして、次がディドロからグリム宛の手紙。
彼は気違いだ。私はありったけの力で彼の行為を非難したが、彼は怒りにまかせた自己弁護をして私を苦しめた。(中略)
 ああ、この怒り狂った男の光景、なんという男なのだ! もう二度と彼には会いたくない。彼は私に悪魔と地獄の存在を信じさせた。
 すごい言われようである。そして、エピネ夫人からの手紙だ。
何年もの間、私はあなたに友情のあらゆるしるしを差し上げてきました。しかし、いま私にできることはあなたを憐れむことだけです。あなたはたいへん不幸な人です。(中略)
 私はもうこれ以上、あなたに言うことはありません。
 どんな事情があるにせよ、ここまで言われる人間はそういないのではないかと僕は思う。なんらかの精神疾患や脳の器質的疾患を疑ってしまうところだが、それこそ憶測なのでやめよう。しかし、ルソーもやられっ放しではない。だからこそ泥沼に突入する。彼はヴォルテールに手紙を送った。
私はあなたが嫌いだ。あなたの弟子と熱狂者、そしてあなたは私に最もひどい苦痛をもたらした。(中略)
 一言で言えば、私はあなたを憎む。あなたがそう望んでいるからだ。しかし、もしあなたがそう望むなら、私は心の中にあなたへの一抹の愛を残して憎む。
 私の心には依然としてあなたの才能を称え、あなたの文筆を愛する気持ちは残っている。私がただ、あなたの才能だけを評価したところで、それは私のせいではない。今後、私があなたの才能だけを褒めたとしても、それは私の罪ではない。
 そうさせたのはあなただからだ。
 熱っつい。というか、面倒臭い。親しかった友人たちに対する全方位射撃である。さすがのヴォルテールもルソーのこの手紙には返信しなかった。そして、ダランベールに宛てた手紙の中で、こう語る。
私はルソーから長い手紙を受け取った。彼は完全に気が狂っている。(中略)彼は友人たちを見捨てたのだ。彼は私に気違いでも書かないような手紙を書いてきた。
 気持ちはわかる。もし仮にヴォルテールがすべて悪かったのだとしても(おそらくそんなことはないだろうが)、ルソーの相手をするのは面倒臭い。その著作からルソーは名声もあり、どこに行っても歓待されるのだけれど、どこに行ってもルソーは不満を感じ、喧嘩をするか脱走している。

 そして、どうして自分は誰にも理解されないのだろうと嘆いた。もうみんなわかっているだろうけれど、はっきり言って、僕はルソーが嫌いである。歴史上の人物でこんなにうんざりする人間がいることに驚いてしまう。だが、彼は魅力的な人間だし、晩年のルソーの嘆きには感じるものもある。

 『告白』 というとアウグスティヌスを思われる方も多いと思うが、あれは人前でそろそろと帽子を脱いだようなもので、告白というにはなまぬるい。一方、ルソーの 『告白』 というのは、これは人前でとりあえずズボンを下ろしたようなもので、そこからさらに全裸ネクタイまである。

 ルソーは困った男だが、面白味のある気の良い変態だっただろうなという気はする。直接会って話すことができたら、けっこう刺激的で楽しかったのだろう。まあ、フランス語あまりわからないけど。ド・スタール夫人はルソーの死後、彼をこう評している。
ルソーは新しいことは何一つ生み出しはしなかったが、あらゆるものに火をつけた。
 これはなかなか、なるほどと思うところがある。『エミール』 の含蓄のあるところはモンテーニュやフェヌロン、ロランやロックなどに負っているし、『社会契約論』 もロックやプーフェンドルフ、グロティウスやホッブズなどに負っている。強固な「主権在民」の主張以外に、どこか役に立ったのか。

 当時の市井の人たちが 『社会契約論』 を精読していたとはとても思えない。精読した人は極端な話、ロベスピエールくらいのものではないか。基本的に脳内お花畑のルソーの思想は、「一般意思」や「市民宗教」などの謎概念も含んでおり、かなりグロテスクである。

 まあ、グロテスクさということでは 『社会契約論』 が特別だとしても、さまざまなルソーの著作は、読者の思考に訴えかけるというよりは、読者の価値観を揺さぶるタイプのものだ。感情的なフックが効いている。そういう言論家というのは往々にして、反論を受けることでテーマセッターになる。

 それがルソーにとって見越していたことなのか幸せなことだったかどうかは定かではないけれど、ルソーはいつも言論の渦中にいたし、ルソーはいつも情熱的な何かを求めて悲嘆に暮れていた。行動を起こすたびに傷付き、怒り、後悔した。僕はほとほと、そこに人間を見るのである。(終)
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by kourick | 2011-12-27 03:00 | 考察