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俺ルソー>セビキャンダッシュ>滅・理性、ありがたやー!

 さあ、書いていこう。とは思うのだけれど、これを書き始めるにあたり、ルソーの発言を確認しているうちに本当にイライラしてしまい、かなり思考を放棄しかけたことを最初に言っておこうと思う。ルソーの言うことは首尾一貫していないし、無責任だからだ。無視したほうがいい。

 そして、実際、ヴォルテールやディドロがとった方策とは、そのようなものだ。しかし、無視されるとルソーは逆切れして、粘着してきた。仕方ないから構ってあげると「嫌がらせをするな!」と怒鳴る。本当にどうしようもない男だ。いや、それはさておき、まずは自然状態である。

 ルソーは自然状態において、人は自己愛と憐みに満ちており、完全に自由で独立していると考えていた。このとき、自己を愛するという「感情」が基礎にあることに注目してほしい。また、自己を愛する人ほど、他人を憐れむことができるとルソーは言った。

 なぜなら、他者の貧しさから受け取る不快感は自分を愛する人ほど強いからである。人が苦しむのを見ていることに自分が苦しいから、人は他者を憐れむのである。ルソーの自然状態に貧しさがあるのは謎だが、ここでも自己の「不快感」や、それを受け取る「感受性」が基礎にある。

 とにかくこのように、ルソーにとっては「人は自然状態においてこそ完璧」なのである。ホッブズや当時の常識とは逆である。しかし、真に逆であるのはここからである。そんな完璧だったはずの人間が、どうして現実の私たちのような人間になるのだろう、その問いにルソーはこう答えた。

 理性や文明のせいで、人はダメになる。ルソーは仲間の啓蒙思想家たちが教会の権威から脱却するために頑張っているなか、理性はたしかに重要かもしれないけど、それだけじゃダメっていうか、それこそがダメと言った。理性なんかがあるから、人は競争と敵対を始めちゃう。

 ルソー自身、感情的な人だったが、ルソーは理性よりも感情に重きをおいた。ルソーは 『エミール』 に「万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる」と書いているが、これは人間社会で知恵を付けるとダメになるということだ。

 ルソーは理性の素晴らしさをうたう、しかし、理性により感情が腐敗するともうたう。嫉妬や憎悪といった感情は後天的に人が知恵を付けることによって生まれる罪悪であり、ルソーのいう自然状態の人は持っていない。全員がアタラクシアの夢の中、牧歌的な幸福を味わっている。

 だからルソーは「子供に余計なことはするな」と言った。このとき子供は、小さな大人でもわがままな子鬼でもなく、天使になった。「子供には子供特有の感じ方、考え方があるので、それを尊重しなさい」と言った。これらの言葉は「子供」を「ルソー」に置き換えて読むべきだろうか。

 そして、文明があるからこそ、人は他の人に依存するようになってしまうし、私有財産などというようなものを認めるから貧富の差が出てきてしまうのだと説いた。だからこそ、裕福な人は横領や搾取を始め、貧困な人は略奪や強盗を始めてしまう。これがダメなのだとルソーは考えた。

 だから、ルソーは未開の人々こそが素晴らしいと言ったし、非文明的な状態こそ幸福だと言った。これは一種のオリエンタリズムだろう。だが、一方で、ルソーは「自然状態はもはや存在しないし、一度も存在したことがないし、これからも存在しないだろう」とも言う。困ったものだ。

 とにかく、これはホッブズの性悪説的な見方に対して、性善説的な見方としてよいだろう。結局のところ、これが衝撃的だったのだ。子供も大人もひとしなみに善い存在であり、悪いから型に嵌めるのではなく、型に嵌めるから悪くなるのだと説いた。この価値観だけは一貫している。

 そして、ルソーは自然の感情の素晴らしさをうたった。そして、それは時代の求めた自由とも適合した。人々にとっては理性もまた、力強いものであるものの、鬱陶しいものでもあったのだろう。ルソーは情感豊かに理想を語り、人々に素敵な夢を見させることがとても上手だった。

 だが、このルソー、ダメダメ言うのに歯止めが利かなくなる。僕が思うに、ルソーを突き動かしていたものこそが、まさにルソーが忌み嫌った文明によって毒された自尊心だっただろう。ルソーは胸中に渦巻いた不満を理性に頼って排出していた。まさに「感情のまま」に。

 ルソーの場合、これはどこか「いまからするのは悪いお手本だからね」と言いながら、お手本を示す行為に似ている。ルソーは理性を素晴らしいものと認めつつ、理性を非難した。なぜなら、人間本来の感情のほうがもっと素晴らしいからである。これは逆説的な人間賛歌になっている。

 これが嵐を巻き起こしたのだ。18世紀の人々がもうそろそろ、頭を使うことに疲れていたというのもあるのではないかと思う。もともとポテンシャルの高いブルジョアやインテリ以外の人たちには、これこそが福音に聞こえたかもしれない。事実、理性信仰は行き過ぎたところがあったのだ。

 だからこそ、死後のルソーの名声は、ヴォルテールたちに対するカウンターとして機能することになる。実際、借り物の言葉だとしても、ルソーはところどころ面白いことを書き残していた。要するに、ルソーがもし不幸だったとしたら、それは純粋に、彼の徳のなさ、素行の悪さにある。

(続きます、か?)
by kourick | 2011-12-25 22:00 | 考察