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おもちゃ箱エル・ドラード

 古い LEGO ブロックを片付けようといろいろ容器を探していたんだけれど、最終的にダイソーで売っているセクションケースに辿りついた。これは感動的な手頃さで、売切れる前に15分割セクションケースを7個大人買いしておいた。本来の用途はなんなのか、謎の便利さである。

 細々とした部品をそれにまとめ、大きなブロックと板のブロックはそれぞれ食パン保存用のケースに分けてしまった。書類保存用のものも含め、ダイソーのプラスチックケースは便利だと思う。たぶん、これまでに2-30個は買っているだろう。

 食品保存用に使うのはちょっとどうかと僕は感じるけれど、サイズが豊富にあるので工夫次第である。ちなみにファイル類も便利で、とりわけクリアポケットファイルはダイソーが幅を利かせるようになってから全般的に安価になった。以前は500円とかする商品がざらにあったように思う。

 そんなこんなで、容器探しの旅の途中、トイザらスにも立ち寄った。僕はおもちゃ屋を散策するのが好きなんだけれど、これは子供の頃、あまりおもちゃを与えられた実感がないからだろうか。子供の頃にこんなおもちゃ屋に連れてこられていたら、もう、どうしていいかわからなかっただろう。

 僕のイメージするおもちゃ屋というと、駄菓子屋的なものか専門店的なもので、どうも子供の頃から僕には縁遠いものだという印象だった。だからかどうだか、明るい印象もない。むしろ、どこか悪徳の気配すら感じていたかもしれない。

 そこは七夕と遠足準備の時以外は行っちゃ駄目な場所で、ビックリマンチョコを箱買いするようなブルジョアの金銭感覚に違和感を覚える場所でもあった。ときはファミコン全盛期、うちにもあったとは思うが、それにしたってメインの遊びはイキシ(カタキ)などのボール遊びと木登りだった。

 恋愛というものが恋に恋することのできる選ばれし者にのみ与えられる幸運であるような気がしてしまうのと同じようにして、玩具というものは遊びに遊ぶことのできる選ばれし者にのみ与えられる幸運であるような気がしていた。そして、僕は早々に、そういう舞台からは降りていたと思う。

 要するに、あまり頭がよくなかったのだろう。おもちゃを使った遊びは想像力が必要だし、なにより、そのおもちゃが価値のあるもので、それを持っている自分は凄いということを理解する脳みそが必要だった。残念ながら、僕にそれはなかった。とりあえず考える前に走っていた。馬鹿である。

 だからだろうか、僕は他の子のおもちゃを羨ましいと思うこともなかった。むしろ、そうしたさまざまなおもちゃを所持することが怖かった。たぶん、僕は他の子が持っているようなおもちゃを与えられても、どうしたらよいのかわからなかったと思う。ちょっと心配な子供である。

 ここには圧倒的な「子供騙され力」不足がある。折角、大人が大真面目に子供を騙しにきているのに、当の子供のほうに騙されるだけの余地がない。これは大人にとっても子供にとっても不幸なことだ。もっと幼少の頃から騙されていたら、僕の騙され力も増していたのではないかと思う。

 僕が思うに、子供の騙され力が足りないと、例えば、「誕生日は素敵な日だ」ということを感じられなかったり、「贈り物に感激する」ことができなかったり、「遊園地を楽しむ」ことができない人間になってしまうだろう。子供を子供扱いするのもどうかと思うが、大人扱いするのも考えものである。

 そうしたわけで、紆余曲折の末、僕は無難にちょっと心配な大人にクラスチェンジしたわけである。昨今は知育玩具に興味があって、かなりの数を持っているのだけれど、はたして知育玩具はおもちゃかと問われると、いささか疑問に思わないこともない。これは食器や家具に近い気もする。

 あるいは、あれはどうだろう、アンパンマン。大人になると特に意識を払わないけれど、おもちゃ屋に行ってよくよく見てみるとアンパンマンの息の長さには驚かされる。おそらく、アンパンマンに日本語の読み書きを教わった子供は相当数いるはずだ。みんなの夢を守るどころの騒ぎではない。

 対抗馬のドラえもんやトーマスも奮闘してはいるけれど、やはりアンパンマンには敵わない。穴馬としてはキティちゃんもいるが、彼女は喋らないので分が悪い。プリキュアに至ってはまあ、色物だろう。結局、学習という子供の孤独な戦いを愛と勇気のみで支えるアンパンマンが優勝である。

 優勝、アンパンマン! アンパンマンが優勝です!!
by kourick | 2011-11-25 02:00 | 日記