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自信を必要としないほどの自信家であったなら

近頃、いろいろな音楽を聴いている。主に作業用BGM(安息時)としてだけれど、大いにネットの恩恵を与っていると言うほかない。民族音楽やアンビエントはまだしも、ハウスやテクノ、エレクトロニカ、ミニマム、あとノイズなんて、それこそネットになかったら生涯聴かなかったかもしれない。ノイズはもう、大変なことになっている。もはや音楽の枠にあるのか判然としないほど原初的だ。

僕はもともと音楽に興味のある人間ではないのだ。幼い頃からピアノをやっているからクラシックやジャズにはそれなりに親しんでいたし、もちろん、アニメやゲームの音楽は聴いていた。ただ、その範囲に留まっていた。それは結局、僕の生活圏内に漂う音楽がそういうものだったというだけの話だ。僕は自分の好みの音楽を選ぶという段階を思春期に踏まなかったのである。

邦楽ロックに流されることもなかったし、洋楽ロックに目覚めることもなければ、愛や青春、それに平和を歌うものには妙に覚めていたし、昭和の音に耳を傾けることもなかった。もちろん、クラブミュージックなんて知りもしなかった。僕は当時、どういう服装をしていたのだろうか。その記憶もない。それはたぶん、僕が自分の好みの音楽を選択しなかったということと無関係ではない。

僕はそういう仕方でアイデンティティを育成するということをしなかったし、そういう事柄に自覚的でもなかった。自分は人にどう見られたいか、どう見られるような自分でありたいかということに、それほど関心がなかったのだろう。もしかすると、それはいまだにそうかもしれない。どこかで、自分が何者かであること、自分はこういう人物だと特定されることを恐れているようなところがある。

自分の底の浅さを露呈させないために常に解放区を残し、ふらふらと彷徨っているのである。
by kourick | 2009-04-14 00:00 | 日記